詩はどこにあるか(85) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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高橋睦郎『語らざる者をして語らしめよ』(思潮社)

 「19」。一と多。あるいは一と他。

両手を挙げて迎える私の異形こそ
外ならぬおまえがたの異形の先取り  (45ページ)

 「私」は「一」。「おまえがた」は「多」であると同時に「他」である。そして、その「多」「他」は「一」である。「私」に収斂していく。
 いや、収斂ではなく、常に行き来する運動である。

 「19」の「青」と同じように、「私」を通って「おまえがた」は「異形」になり、同時に「私」とは別の、それぞれの「異形」になる。それぞれの別の「異形」として生成されうるがゆえに、「私」は常にあらゆる「異形」を超えた「異形」として存在しつづける。

 この運動の関係の中に「詩」がある。