詩はどこにあるか(86) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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高橋睦郎『語らざる者をして語らしめよ』(思潮社)

 「20」。「同じ」ということば。

世界と同じほど老けこんだおばあさんの  (46ページ)

 この行を読むとき私は何を見ているのだろうか。世界だろうか。おばあさんだろうか。そうではなく「老けこんだ」時間を見ている。歴史を見ている。
 世界とおばあさんが同じなのではなく、別個の存在が存在するとき、それをつなぎとめようとする精神の運動が、その二つのなかから何かを生成する。「同じ」ということばで。
 「同じ」は以前見た「一つ」と同類のことばである。

 この作品は乱暴に終わる。

そんなこと ぼく(ぼくらだろうか)
知らねえぞ カンケーねえぞ
ぼくとは(ぼくらとは だろうか)

 一方、「同じ」(一つ)を拒否する力がある。
 生成は、「同じ」や「一つ」を拒否しながら突き進む運動である。
 この定義は、矛盾している。そして、その矛盾が「詩」である。高橋がこの作品でころ見ている「神話」である。矛盾のなかで「神話」は「詩」になる。