詩はどこにあるか(83) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

高橋睦郎『語らざる者をして語らしめよ』(思潮社)

 「17」。

書き換えても 書き換えても
消すことのできないのが私の名  (41ページ)

 それは「絶対的存在」であるからだが、絶対的存在は単に自己から独立したどこかに存在するのではない。
 絶対的存在を把握しようとする精神の運動とともにある。
 「書き換えても 書き換えても」という運動があってはじめて「消すことができない」のである。「書き換え」ようとする運動がなければ「消す」以前に存在し得ないのである。

 ここに「詩」がある。
 「書き換え」は生成の別の名前である。繰り返される生成の中、その場(無)のなかに、形にならずに、しかも形を誘うように存在するものとしての「絶対的存在」。