詩はどこにあるか(82) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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 黒岩隆『海の領分』(書肆山田)

 繊細な文体である。繊細な精神だけが押し開く詩の扉がある。


人指指では強いので
薬指で
眠るリリィの目蓋をそっと撫でる  (「雪暗れ」51ページ)

 この繊細さに触れた後では、どんなふうに夢が立ち上がってこようと納得してしまう。
 この行に続く世界が納得できないとしたら、それは読み手の方に繊細さが欠如しているということだろう。
 繊細さがわかるものにだけ向けて、黒岩は、自己の宇宙を開く。人指指と薬指の強度のちがいがわからない人、この詩のなかに書かれている「強さ」ということばに反応できない人にはたどりつけない世界がある。

 黒岩の繊細さは、人指指、薬指ということばがあらわしているように、きわめて日常的である。肉体、生活に密着している。繊細さは、虚構の世界ではなく、今、ここにある現実なのだ。黒岩が押し開く繊細な世界はあくまで現実の世界、彼とともに生きている人間の世界の出来事である。

荒れる海は
沖から
幾重にも白波を立てては崩し
宛名のない封筒の
糊代のように
ただ あなたへ
あなたへ
と寄せてくるのだ  (「オズの娘」65ページ)

 「宛名のない封筒の/糊代」この現実の細部をとらえる静かな視線。その視線とともに、「あなた」にあてた手紙の悲しみが見えてくる。
 ここにあるのは深い愛情である。愛情が深いからこそ、黒岩は繊細になる。

 繊細さが押し開く世界は、また繊細な世界である。繊細なものは壊れやすいか。たぶん、現実と戦い、自分の位置を確立できるほど強くはないかもしれない。しかし、その繊細さがあったことは、黒岩のことばとともに残る。そうしたことを確かめるための詩集かもしれない。
 詩集中、冒頭の「牽牛」にもっとも強く引かれた。今年読んだ詩の中でももっとも印象に残る一篇である。ぜひ多くの人に手にとって読んでもらいたい。水牛が水に入るように静かに静かに人を恋するこころへ、その宇宙の静かさの中へ入って行けるはずである。