「デトロイト」の書き出し。(24ページ)
ぼうっと目の前にあるものを
見ているとき
その人の「見る」枠組みのようなものがある
そこにトマトを入れる人もいるし
他に会社の建物、故郷の山川、霜の墓地など。
「トマト」に「詩」がある。
ものを見る枠組みは人事や哲学、倫理のような抽象的なものばかりではない。「トマト」を物差し(定規)にして世界を見ることもあるのだ。
「トマト」は「強いまぼろし」(27ページ)ではない。「強いまぼろし」を拒む出発点、あるいは基準である。
太陽の光を浴びて泥臭くなっていくトマト、かぶりつくと汁が滴るトマト、あるいは日焼けした父の黒い手がもぎとる一瞬……なんでもいいのだが、その人の強い実感である。
唐突に挿入され、けっして書き手自身が説明しないもの、書き手には説明できないもの(彼にとって、その存在が密着しすぎていて距離の取れないもの)、それが「詩」である。