「こどもの定期」。17ページの末尾の行。
正確なことを知っていくと みんなどうなるのだろう
この一行に「詩」がある。荒川の核心がある。
どうなるか。
人と人は出会う。触れ合う。忘れられなくなる。「正確」は「正直」である。「正直」にまで触れると、人は人を決して忘れない。
この作品に森鴎外の「寒山拾得」が出てくるので書くわけではないが、今回の荒川の詩集を読みながら私は森鴎外を思い出した。人を追う手つき、まなざし、「正確なこと」だけをことばにしようとするときの人間のにおいのようなものが森鴎外を思い出させる。
20ページの5行目。
自分が忘れられてはいない、と感じるひとときは濃厚なみそ汁のようなものだった
「濃厚なみそ汁」。ここに「詩」がある。「濃厚なみそ汁」ということばで表現された「正確なこと」は他のことばには置き換えられない。だから「詩」である。
「濃厚なみそ汁」とともに、私は、そこに描かれた人間に触れる。そして、その人間をけっして忘れることができなくなる。