詩はどこにあるか(29) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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ナボコフ「港」(「ナボコフ短篇全集Ⅰ」作品社)


床屋がシャンプーを手のひらに取った。心地よい冷気が頭のてっぺんを通りぬけ、指がねっとりした泡をしっかり擦り込み、それから氷のように詰めたいシャワーがほとばしって、心臓がどきんとし、ふかふかのタオルが顔や濡れた髪の上で働き出した。

 「心臓がどきんとし」という一文が「詩」である。
 床屋でシャンプーされている。意識は頭にある。頭部の描写は綿密だが「詩」ではない。その描写はリアリティーがあるようで実際にはない。というか、「心臓がどきんとし」という一文がなければ、引用文は、単なる描写である。

 意識が頭から心臓へと急に動き、再び頭(顔)に戻って来る。そのとき、肉体が突然浮かび上がる。その激しい運動が「心臓がどきんとした」に凝縮している。