後編【鬼将軍史観による日本史の天下統一】
目次
前編【鬼将軍史観による日本史の天下統一】
中編【鬼将軍史観による日本史の天下統一】
後編【鬼将軍史観による日本史の天下統一】
鬼将軍による日本史時代区分の新案。
鬼将軍案 新時代区分法の詳細。
⑦政治体制の変容と国号の変更が重なれば、中央政府の改称とする
中央政府の交代で区切るのは分かったが、なぜ「王権時代」と「朝廷時代」は、同じ中央政府(朝廷)なのに、時代を区切っているのか?
それは、中央政府の名前が変わっということにしているからだ。
それ以前に、王権時代と朝廷時代を区切らずに一括してしまえば、約900年間の大時代区分になってしまうからだ(笑)
時代区分が細切れになるのも問題だが、長蛇になるのも大問題で、そもそもの時代を区分する意味がなくなってしまう。
では、なぜ中央政府を改称したのかといえば、「政治体制の変容と、国号の変更が重なった」からである。
無論、私を含む後世の人間が、勝手に政権名を名付けたり改めたりしてるだけだが、
当時代区分では、701年から政治体制と国号が改められたので、中央政府名を「ヤマト王権」から「(大和)朝廷」に改称した。
言うまでもなく、国号の変更は国家の一大事、大きな時代の分岐点であったと断じて問題ないだろう。
もちろん、ヤマト王権と大和朝廷は呼称が違うだけで、両者は同一の中央政府だ。
かつての歴史学界では、区別せずに大和朝廷と呼ばれていたが、諸事情によってヤマト王権と改められるようになった。
私の時代区分でいう朝廷時代までは、「大和」という漢字表記はなかったらしく、また朝廷というほどの制度は整っていなかったらしい。
では、王権時代から朝廷時代に変わった701年にはなにがあったのかといえば、あの超有名な「大宝律令」が制定されたのだ。
大宝律令とは、今でいう憲法みたいなもので、おそらく大日本帝国憲法や日本国憲法の制定と同じぐらいのインパクトがあったと思う。
なぜなら、我が国の国号が倭国から「日本」と正式に改められて、中央集権体制と朝廷が確立されたのが、この大宝律令の制定からなのだ。
つまり「日本はこれから律令(法律)に従って政治を行って、天皇を中心とした立派な国家になりまーす!」と宣言したということだ。
それまでの日本は、なんとなーく先例や占いで政治をしていた訳だが(そんなことはないとは思うが…)、一気に法治国家になったのだ。
大宝律令と比べたら、聖徳太子の十七条憲法や大化改新などは、ほんの一部の法律改正にしか見えなくなってくるし、実際そうだと思う。
日本の政治体制は、701年の大宝律令の制定をもって、倭国王権体制から律令国家体制にへと移行した。
しかも、国号が変更されたので、当時代区分の基準に従い、同じ朝廷ではあるが中央政府名をヤマト王権から大和朝廷に改称したい。
これをもって、王権時代が終わり、朝廷時代が始まったと見なしたい。
ここから一気に近現代の話になる。
実は今の日本の正式国号は未定、それどころか未だに「大日本帝国」という国号が有効である可能性があるのだ。
そもそも、1935年の外務省決定で日本の国号が正式に「大日本帝国」となったが、それ以降は改正・無効の手続きがとられていないのだ。
7年前、京都のヤンキー中学生たちがケンカをしたとき、「決闘罪」という明治時代の刑法が適用され、書類送検されたらしい。
明治時代の刑法が今も有効ならば、昭和時代の外務省決定も無効になっていないはずなので、大日本帝国の国号は未だ健在である。
もし、終戦により無効になっていたとしても、現在の日本の正式な国号は「未定」ということだけであり、国号が変更された形跡がない。
もちろん、外務省決定以降、日本の正式国号を変更するような手続きや法定はなされてない。
ただ、日本国憲法が施行された1947年以降は大日本帝国という国号が使用されなくなったに過ぎない、というのが現状なのだ。
また、大日本帝国憲法も日本国憲法も、条文で正式国号については書いていないし、両憲法の名称自体が国号を規定している訳でもない。
戦前と戦後で日本はまるっきり変わったという印象を我々は抱きがちだが、実は正式国号だけではなく、政治体制も変わっていない。
明治維新によって、日本は主権国家体制という政治体制になり、それは現在まで続いている。
考えて欲しいが、戦前も戦後も日本は変わらず天皇がいて、日本政府があり、内閣総理大臣がいて、選挙があり、経済だって資本主義だ。
変わったのは、軍国主義から平和主義になったぐらいで、政治体制自体はまったく変わってはいないのである。
従来の歴史区分においては、あたかも終戦から日本の国体が変わって、新たな時代が始まったかにような区切りがされるが、それは不当だ。
細かい政策や制度などはもちろん変わったが、日本の国体が護持されたばかりではなく、政体(政治体制)さえ変わっていないのだ。
この辺りのことは、憲法研究家の竹田恒泰氏の言論を参考にしている。
政治体制の変容もなければ、国号の変更すらもない、よって当時代区分においては戦前戦後で時代を区切らず、「東京時代」で一括したい。
当然ながら、GHQは連合国の命令なくしては動けなかったので独立性はなく、統治機構でも中央政府でもない。
日本の国号:701年に「倭国」から「日本」に改称、1935年から正式に「大日本国帝国」と決定されたが、1947年から正式国号は未定。
⑧中央政府内の政変・政権成立は区切らない
もし、国体(皇室)が断絶して、新たな王朝や政権に交代したら、それは「革命」と呼ばれることになるが、日本では一度も例がない。
だが、政体(政治体制)や中央政府が断絶し、新たなものに交代されることは、幾度と前例があり、これを「政変」という。
政変なら何度も起こっており、中央政府が交代したり、政治体制が変わったり、中央政府内に新たな政権が出来たりもする。
当時代区分では、主に中央政府の交代で区切ることにしているが、中央政府のなかに新政権が成立したとしても区切らない。
中央政府内の政権・政変
朝廷時代
長屋王政権
藤原四子政権(長屋王の変で成立)
藤原政権(承和の変・応天門の変で成立)
平氏政権(治承三年の政変で成立)
室町時代
細川政権(明応の政変で成立)
東京時代
歴代98内閣
※他にも政権はあるが、特に〇〇政権と名前が付いていないものは省略している。
一見、平氏政権の成立は、中央政府が誕生したように思えるが、平清盛は朝廷の最高権力者になっただけであり、あくまで朝廷内の政権だ。
平氏政権とよく似ているのが、細川政元による細川政権であり、これも室町幕府を乗っ取っただけなので、中央政府の樹立とはいえない。
中央政府の条件は、独立性と排他性があることなので、幕府や朝廷の意向に従っていないと、やっていけない政権はこれに該当しない。
このように、中央政府内の政権樹立(政変)は区切らないという基準も、時代区分の細切れを防止するためにある。
それに、内閣制度が成立してからは、新内閣が頻繁に発足するので(例:第○次○○内閣)、その度に区切っていれば大変だ。
■総括
極めて天皇中心の史観なので、いわゆる保守の考えに似ているが、愛国心や勤皇精神うんぬんではなく、現実的に考えればそうなるのだ。
もちろん、従来の皇国史観とも一線を画す内容であることは確かだし、天皇家の黎明に関する史観も比較的現実に即したものである。
もちろん、天皇を裏から操っているのは裏天皇とかヤタガラスとかいわれる存在だが、天皇を神輿として担ぎ上げてるのは事実である。
黒澤明なくして黒澤の映画を語れないように、やはり日本は天皇が建国した以上、天皇中心で考えるのが妥当である。
「国家」というものは実体がなく、また概念に過ぎないものだが、それゆえにどう捉えるかが重要になってくる。
天皇はあくまで中心や象徴、あるいは統治者であって、諸外国のキングや皇帝のような支配者とは異なる、きわめて特殊な存在である。
一部の左翼はあたかも、天皇と国民は対立関係であり、天皇制のせいで、国民の権利や自由が制限されているような世迷言をいう。
しかし、国民と対立関係にあるのは、あくまで〝中央政府〟であり、皇室と国民が対立関係になるのは構造上ありえない。
しかれども、崇神天皇、雄略天皇、天智天皇、天武天皇、桓武天皇、白河天皇、後醍醐天皇といった独裁者はいたが…。
特に後醍醐天皇は、落書きで政策を批判されており、国民とは敵対関係だったと解釈できないこともないが、なにをとっても彼は例外だ。
とにかく、中央政府の実権者となった天皇以外であれば、国民と敵対関係にある訳ではなく、また、皇室と中央政府も敵対関係なのだ。
本当の敵を誤ってはならない。
つまり、今の日本政府と我々国民も敵対関係にあるのだ。
政府が社会保障政策を行うのは、国民のためを思っているからではなく、国民に反乱や暴動を起こされないための妥協策だからである。
いつの時代も中央政府は、国民には自殺しない程度の奴隷になってほしいし、国民はいつでも中央政府の政策には不満をもっている。
なので、そもそも政治に期待するという発想が間違っており、被治者は選挙でマシな候補者を選ぶか、政界に潜入するしかない。
中央政府がもっとも恐れているのは国民の反乱であり、国民全員が決起すればいともたやすくクーデターが成功してしまう。
右翼も右翼で、愛国心と政権支持を履き違えている奴があまりにも多すぎる。
政権支持とは、親中央政府という意味であり、愛国心とは、国体(皇室)を愛するということだが、皇室と現政権は果たして蜜月だろうか。
皇室・国民vs中央政府という構造で、日本は成り立っている国であり、それを扇動して支配しているのが裏天皇(ヤタガラス)である。
国体(皇室)が一度も断絶することなく、護持されてきたのも彼らの意向であるのと同時に、彼らに選ばれた者が中央政府の実権者となる。
繰り返すが、本当の敵を誤ってはならない。
しかし、勝つためには敵を打倒しようとするのではなく、敵よりも国を治めるに相応しい存在となれば良いのだ。
そのためには、まず正史を学ぶ必要がある。
また、国民が命をかけて天皇を護って来たから国体が護持されたのであって、国民全員の命が犠牲になっても国体=天皇を守るべし…。
そんな極めて見当違いかつ、愚の骨頂のような主張をする自称愛国者や右翼がいるが、これぞまさしく真の売国奴・国賊の思想である。
一体、誰のための国なのか?言うまでもなく、日本人のための日本とその国体、国民のための天皇であって、それを履き違えてはならない。
日本人なくして天皇の存在価値はなく、国民があっての国家であり、万が一、国体が断絶してしまったら、その時はもはや天の意思だ。
昭和天皇は敗戦に際し、マッカーサーに対して自分の命と引き換えに、国民を救ってほしいと言ったそうだが、これぞ天皇という存在だ。
国体=皇室=天皇を意地でも護持しようという思想こそが、実はもっとも国を滅ぼしかねない危うさを孕んでいることを肝銘されたし。
■歴史=勝者の形跡
鬼将軍案の時代区分、日本史一覧年表。
この表さえ丸暗記しておけば、日本史の大方はほぼ制覇したようなものである(笑)
「代表的な為政者」には、教科書に登場しない人物もいるが、今まで過小評価されてだけで、実際に日本を動かしたのは彼らである。
ほかに覚えておくべき人物はたくさんいるが、この10人を押さえておかずして、日本の歴史を理解したとはいえない。
もちろん、時代を変えたからといって偉人とは限らず、北条義時や足利義満のように、朝敵や逆賊とされているような人物すらもいる。
むしろ、そういう人物ほど影響力が大きいので押さえておくべきだし、いわゆる英雄ばかりに気を取られていては真の歴史は見えてこない。
だが、今の教科書はハッキリいって、別に暗記しなくてもいいような人物ばかりを取り上げ、本当の為政者や実権者を見えなくしている。
卑弥呼は政治家というよりも巫女、聖徳太子は別に時代を変えたわけじゃないし、坂本龍馬に至っては、今でいう密輸業者である。
人物の人気や用語の知名度など、なんとなくの印象に囚われていれば、歴史解釈や国の未来を大きく見誤ることになるだろう。
権力監視の意味を込めて、中央政府の実権者をしっかり押さえておこう。
①
・
・出雲族の族長の父・スサノオから
・死後、その皇位が日向族のイワレヒコに継承されたことにより、出雲・日向連合王朝体制が確立し、天皇家=日本の国体が完成した。
・スサノオを含め、彼こそ日本人の祖。
②
・ヤマト王権の第10代・
・出雲・日向連合王朝体制を解体に追い込み、ヤマト王権と倭国王権体制を確立させた。
・日向天皇・出雲皇后の盟約を破却し、強引な天下統一によって出雲族排斥を断行した。
・日本史上初の独裁天皇。
③
・朝廷の
・
・
・結局、彼がすべての秩序を作った。
④
・朝廷の公卿、
・
・家人であった平将門が乱(承平天慶の乱)を起こしたが、鎮圧される。
・
⑤
・鎌倉幕府の第2代・執権
・承久の乱を起こした
・3代将軍・
・普通の人だったが、情勢で最高権力者に。
⑥
・朝廷の第96代・天皇、南朝の初代天皇
・
・
・なにもかもが例外な天皇。
⑦
・室町幕府の第3代・征夷大将軍。
・
・自らが
・典型的な専制君主タイプ。
⑧
・大名政権・三好政権の創始者
・父を殺した主君・
・室町幕府を実効支配していた元主君・晴元を倒し、また将軍の
・信長も秀吉も、彼の後を追っただけだった。
⑨
・徳川幕府の初代・征夷大将軍
・関ヶ原の戦いに勝利した後、将軍に就任して江戸幕府を成立させ、豊臣政権を滅ぼした後に幕府領分体制を確立した。
・長慶、信長、秀吉の辿った「合戦を継続しなければ政権が崩壊」という負の連鎖を解消した幕府領分体制によって、無合戦国家を実現。
・戦国三英傑のなかでは別格の為政者。
⑩
・明治政府(東京政府)の初代・
・島津家の家臣として倒幕を成し遂げた後は、明治政府の
・内務卿とは、内閣の発足以前の首相であり、大久保は経済力・軍事力・政治力を着実に向上させ、明治維新=日本の近代化を主導した。
・私財をも国政に投じた本当の功労者。
どうだろうか。
この面々の中でもダントツで一番ヤバいのが、藤原不比等である。
なぜならば、大宝律令を起草することで、国のルールを形成し、記紀(古事記・日本書紀)を編纂することで国のルーツを改竄したからだ。
律令体制が崩壊しても、大宝律令で決められた官制は明治時代まで続いたし、記紀で作られた偽の天皇家の歴史は今も引きずられている。
言わば、天皇制を確立したのも不比等であり、権威は天皇、権力は為政者、という区別をすることで、天皇が滅ぼされない仕組みを作った。
偉人と呼べるかは微妙だが、その影響力は半端ないし、頭の良さも相当だったのだろう。
結局、不比等以降の日本人は、不比等の敷いたレールに沿って生きているに過ぎないのだ。
好き嫌いや人気などの印象論ではなく、本当の為政者は誰か?ということに注目することが、歴史という川で溺れないためのコツだ。
歴史とは、国と民のアイデンティティだ。
海外の人に対して、自国の歴史について朗々と語れる現代日本人はどれぐらいいるだろうか?
絶対的に、自分の国籍のある国家の歴史だけをアイデンティティの根拠とする必要はないが、知っているだけで生きる活力が違ってくる。
私には日本国政府に対する忠誠心は、まったくないどころか、反中央政府的な発言が多いが、日本列島への郷土愛、大和魂への誇りはある。
右翼や左翼、保守や革新、そういう前時代的な政治思想というジャンルではなく、もしや私はオカルトに分類されるかもしれない。
本当の愛国者なら、中央政府による権力行使を監視しつつ批判するのが良い。
権力監視のためには、やはり歴史を学ぶことが必須であり、歴代の中央政府の政策を知って、権力者の支配パターンを把握することが肝要。
また、歴史を知る上で重要な指針となるものが時代区分であり、その国の独自性や国家体制を明らかにする骨子でもあるのだ。
当時代区分は、中央政府を基準にしているが、それがもっとも歴史を把握しやすい方法であるからそうしている。
そして、要は中央政府とは「勝者」なのだ。
勝者が歴史を作るというが、実際には勝者しか歴史を作れない。
では、敗者とは誰のことか?
それはきっと、中央とは真逆の存在であって、化外や辺鄙に潜んでいる蝦夷や妖怪と呼ばれるアウトサイダーのことだろう。
日本史における、中央の対概念の象徴的存在、それは「鬼」である。
つまり、中央から排斥された出雲族のことだ。
中央政府を基準とした歴史を知るのと同時に、その裏、いやその外にいた彼らのことも忘れぬように心得て頂きたい。