ゴッドハンドか、ゴッドハンド以外か。ゴッドハンドという生き方 | Shogo公式BLOG -5th season-

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Shogoです。

 

以前のgooブログで何度も話してきましたけど

 

改めてこの話をしておかねばなるまい。(笑)

 

 

2024年からレプ○○○が本格的に始まります。

 

レプ○○○のの「シェ」は、それ自体が

 

ワクワクしたのと同等の威力を発揮するはずです。

 

 

 

既にワクワク済みの人達は、

 

蛇(サタン)の遺伝子を挿入されたことにより

 

いわゆる「使徒」に堕とされてしまったワケですが

 

さらに、「使徒」「ゴッドハンド」に分かれます。

 

 

多分、この話をしても

 

99.99%の人には何を言ってるのか分からないでしょうね。(笑)

 

でも私には確信があるから言ってるのです。

 

 

 

グリフィスが贄を差し出したことで

 

「闇の翼フェムト」→「光の鷹」として再臨したように

 

彼はもう人間ではありません。

 

 

 

しかしながら

 

もう人間として生きる道など

 

とうに失われていると思ってよいでしょう。

 

 

 

つまり我々「人類」に残された選択肢は3つ。

 

 

 

一、ワクワクして使徒になる

 

二、シェを喰らって使徒になる

 

三、人として死ぬ

 

 

 

そして第四の道、これは選択というより

 

運命とでもいうべきか。

 

 

四、ゴッドハンド(守護天使)になる。

 

 

ある意味私は家族を生贄に差し出したと言えるかもしれない。

 

彼らの選択とは言え

 

ワクワクがヤバいものだと知りながらも

 

本気で止めなかった。

 

 

最初の一発目の段階で

 

力ずくで止めることも出来たかもしれないが

 

そうしなかった。

 

 

まだ俺の周りで死んだのは祖母だけですが、

 

今後はどうなるか分からない。

 

 

使徒になったからといって

 

別に嘆くことはない。

 

現世においては、あまり関係のない事だ。

 

 

ただし、悪魔に魂を売った代償は

 

死後に払うことになるでしょうね。

 

少なくともキリストによる救済は望めない。

 

 

 

霊性を失うことなく

 

神の子として生き残れる者は、ほんの数%でしょう。

 

そういう意味で人口削減は既に完了していると言ったはず。

 

ゴッドハンドとなり得る可能性がある者は、一握り。

 

 

矛盾しているように思うでしょうが

 

人として死ぬ覚悟がある者でなければ

 

ゴッドハンドになる器ではないという事です。

 

 

使徒になってでも生き残ろうとする者、

 

これが要するに、ワクワクしちゃう人達です。

 

何としても助かりたい。

 

自分だけは助かりたい。

 

 

 

そういう浅ましい霊性では、使徒に堕ちるのも必然と言えます。

 

ゴッドハンドになろうと思ったら

 

業が深いだけでは駄目で、そこに信念がなくては。

 

 

 

多分、ローランド氏ならこう言うでしょう。

 

「俺は欲しいものは絶対手に入れる」

 

と。

 

 

彼はそういう男だと私は思うし、

 

グリフィスもそういう男だと思う。

 

グリフィスの名言で一番好きなのは

 

 

「生まれてしまったから仕方なくただ生きる。そんな生き方、俺には耐えられない」

 

 

というもの。

 

 

 

ヤーヴェとかクニノトコタチは五次元に自分の国を造るため

 

各々が信念を貫いて、あれこれやっている。

 

結果的に誰かが助かったり、誰かが死んだりしても

 

お構いなし。

 

 

でも、俺はそれでいいと思う。

 

生きるっていうのは、そういうことじゃないか?

 

俺だって生きるために他の命を貪ってきて、今日を迎えた。

 

 

 

自分の人生を完遂するためには

 

綺麗事だけでは通らない。

 

そして、神がいるのなら、そういう者にこそ手を貸すと思う。

 

 

今生を通して見て来た全てを「映画化」して

 

それを「主」に見て頂くとして

 

「主」に、褒められる自信があなたにはあるか?

 

 

 

俺はある。

 

俺は自分を曲げないからだ。

 

傍から見れば退屈な人生かもしれないけれど、

 

問題は「俺にとって、どうか」である。

 

 

 

俺はこういう信念を持って生き抜いたんだと。

 

そう言えるのなら、どんなクズでも構わない。

 

自分という個性を最後まで貫くことの方が重要だと思う。

 

 

ただ生き長らえて何の意味がある?

 

まず生き延びることは確かに重要だが

 

ダラダラダラダラと 真面目に会社行くだけの人生で

 

頑張ってます感を出してんじゃねぇよ。

 

 

 

「主」は、そんなのを望んでないと思うがね。

 

誰かのために生きるってのは ズルい生き方だ。

 

我が子であろうと、そいつの人生はそいつのもの。

 

 

 

自分の夢を、他の奴に託すなよ。

 

 

 

あなた自身が望んだ人生を生きるあなたを見てこそ

 

「主」は、喜ぶんじゃなかろうか。

 

 

それが滑稽であればあるほど

 

酒の肴としては最高だ。

 

 

 

何故ならば

 

「主」とは、あなたの「本体」なのだから。

 

 

 

グリフィスが団員を生贄に捧げた時

 

「なんてことするんだコイツは…。」

 

と思った人は、グリフィスの事を理解してなかっただけです。

 

 

彼なら、そうするのは当たり前です。(笑)

 

それでこそグリフィスであり、鷹なのです。

 

勝手な期待を押し付けてはいけない。

 

 

彼自身、悪魔に魂を売ったと捉えられても仕方ないですけど

 

彼が彼の意志で選んだ道なのだから

 

それは尊重されるべきです。

 

 

 

他人がとやかく言う事ではないのです。


ゴッドハンドになるくらいなら、

 

人のまま死んだ方がマシだ、と思うなら

 

それはそれで尊重されるべき選択です。

 

 

どっちにしても一番重要なのは

 

自分に噓をつかないということです。

 

自分は、どうしたいのか。