昨日、仕事で4月から大学院に通うという方にお会いした。
去年の夏まで、私もその大学院を受験しようかと悩んでいた。
それでその時のことを思い出した。
夜間・土日の社会人向け大学院で、今の仕事にも関係するので、今後の仕事のキャリアになると思ったのだ。
でも、なにかしっくりこなくて、結局受験はしなかった。
興味がないわけじゃない。
でも本当に勉強したり、研究したい訳じゃないって、心のどこかがわかっていた。
私が欲しかったのは、大学院を卒業した、この分野を研究したというキャリアだった。
それで、資料請求はしたものの、願書提出には至らなかった。
今ならわかる。
それは不安だから鎧を被りたかったんだって。
それを正直に書いたブログもあった。
所属という鎧、
職位という鎧、
それにただ学歴という鎧を足したかっただけ。
自分はわかっていた。
もちろん、勉強・研究したい人はいる。
そういう方は大いにやって欲しい。
でも私は、安心したいからキャリア・学歴を得ようとしていただけ。
なぜならその鎧があれば、安心だから。
それってつまり、今が不安だってことだよね。
何にも襲われていないのに、勝手に不安になって、もっともっと鎧を纏おうとしているだけ。
でもどんだけ纏ったって、この不安は消えない。
纏えば纏うだけ、次の鎧が欲しくなる。
だって、裸の自分を自分が信じてないから。
それに気づいたから、鎧を脱ぐことに決めた。
全部の鎧を脱いで生きていく。
気持ちよさそうだなあ。
なんの鎧を纏わない自分を信じて生きるということ。
そんな選択をしてもよい。