Shizca的☆週刊 桐生だより(12) 坂口安吾 | 裸足のピアニスト・下山静香のブログ

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オモテの顔はクラシックピアノ弾き。

音楽・芸術を軸に、気になること好きなことを徒然なるままに。

2月の桐生は、坂口安吾が盛り上がります。

ここで聞く「アンゴさん」の名前は、なにか特別な響きをもっているように感じます。

 

17日は、安吾が桐生で亡くなった日。

その前後には、「安吾の集い」が開催されるのが恒例です(主催 安吾を語る会)。

友人の作家・南川潤を頼って桐生に移住してきたのが1952年(昭和27年)、閏年の閏日=2月29日でした。

そのため、4年に一度だけやってくる2月29日には、「安吾引っ越し記念日」というスペシャルイベントが開催されるのです。

 

安吾が桐生にやってくることになるきっかけは、群馬大学工学部の電子顕微鏡といわれています。

いわゆる「伊東競輪不正告訴事件」にからみ、ここの顕微鏡で疑惑の判定写真を調べようとしたのですね。

ただ、実際はどんなに拡大しても粒子だけしか見ることができなくて、成果はなかったようです。。

 

今年の2月17日には、安吾が生まれ育った新潟、そして売れっ子作家として暮らした東京から、安吾を愛する筋金入りのファンや文学研究者、関係者の方々が桐生に集結し、合同での「安吾忌」が開催されるはずでしたが。。。

年末あたりはかなりおさまっていた新型コロナでしたが、やはりオミクロン株の勢いで急拡大、昨年に続きやむなく中止となってしまいました。

今回は、素敵なメゾソプラノ歌手のかたをお迎えしての歌曲もまじえ演奏出演させていただくことになっていたのですが、その楽しみはまた1年お預けです。

 

さて桐生にやってきた安吾が居を定めたのは、書上邸。

書上家の当主は代々「文左衛門」を名乗り、明治30年台以降は両毛地域(桐生・太田・足利・佐野など、上毛野国と下毛野国の一部を合わせた地域))最大の織物買継商としてその名を轟かせました。

その十二代・文左衛門が、安吾と三千代夫人に広い屋敷の離れを提供したのです。

(離れだけでお部屋が10もあったそうです!)

取材旅行から戻った直後に脳出血で倒れ、48歳で帰らぬ人となってしまったのもここでした。。

 

御子息で写真家の綱男さんは桐生で生まれていますが、御父様とのお別れは物心つくかつかないかの頃。

ご自身はおぼろげな記憶しかないのに、桐生にいらっしゃると、いろんなかたから綱男ちゃん綱男ちゃんと懐かしそうに声をかけられて、なんだか不思議な感じ、なのだそうです。

 

書上商店の本店は、いま「花のにしはら」さんになっています。

28年ほど前に改修され、創建当時の面影をみることができます。


それから、うなぎの名店「泉新」も、安吾のお気に入りでした。

普通にお食事したり、2階に上がり込んで書き物をしていただけでなく、安吾らしい場所(なんて言っていいのかしら)から出前もとりました。

それは、留置所。

泥酔して桐生署に拘置された安吾、翌日泉新のうな重を運ばせて、係官と同房だった人にもふるまったという...

さすがです。

 

現在6代目のこの「泉新」さん、1829年創業ということは、あと7年もすれば200周年!

私も久しぶりに味わいたくなってきました、泉新のうなぎ!

 

 

このあたりは、「桐生新町重要伝統的建築群保存地区」となっており、歴史的な建物をみることができます。

歩いていると、ついつい写真を撮ってしまう私なのでした。

 

来週の「桐生だより」も、安吾つながりを続けようと思います。

今回はこのへんで!