無農薬・無肥料の実践と無投薬・無医療の実践のための媒体考 | 医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

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長期にわたって、

 

「療養に専念する」

その際、会社に提出することになるのが医師からの「診断書」

これがタダのサボりではなく、正真正銘の病気であることの証明になる。

世の流儀であり、作法になるというわけです。

診断書をもらうこと自体は決して難しいことではないのですが、私のように「無投薬・無医療」。

こうしたテーマを掲げ、愚直にそれを実践する者にとっては、かなり高いハードルといわねばなりません。

医院に赴き、初診の際の問診票を記入し、これまでの病歴、親族の病歴、ワクチン接種の有無などなど。

過去と現在について様々に聞かれるハメになるからです。

現代医療に対して強い不信感と猜疑心、それ以外の何も持ち合わせていないこの私。

そんな私であっても、医者の前では何某かのウソや偽り。さらには社交辞令。そして一切の必要を感じず、ただただ害悪としか思えないクスリの処方箋の授受。

こうした一連のプロセスを経ることで、虎の子の「診断書」をようやく手にできるといったゴールに辿り着く。

お終いは、受付で請求される費用。これまでをも支払わざるを得なくなる。

現代医療及びクスリに対して、徹底した不買運動!これを繰り広げたいと強く心に思うこの私が医療に対してお金を落とす。

そんな耐え難い事態を受け入れなくてはならなくなるのです。

この一事を以ってしても、本当に住みづらい世の中だなと思ってしまいます。若いころなら、

"そんなモン適当にやっておけばいいんだよ"

そうカンタンに割り切れたのかもしれませんが、齢53にもなるとできるだけウソをつかずに生きていきたい。

こうした思いが強くなっている自分に気づく。

私の命がけの実践やスタンス。主義主張をきちんと理解したその上で、「診断書」を書いてくれる。

そんな医療機関や医師のもとにこそ赴きたい。そしてそうした医師のみに対して診療費用を支払いたい。

この思いが譲れないレベルに達してしまっている。そんな自分に気づいた次第です。

そこで遠方ではあるものの、かつて私の無投薬・無医療の闘病生活を見守り続けてくださったある医師のもとへ。

動きが著しく制限され、不自由な体を押しての強行軍。20年の時間を経て、4月の末に訪れることにしたのが経緯です。
※参考:無投薬無医療での30年の病気治療・震え続け、濡れ続けた我が闘病の全記録①



■この程度で・・・
事前に問診票の記入を求められたのですが、病歴、クスリの服用歴、食生活の具体的な内容。

 

排便排尿の回数や使っている洗剤の種類。さらには住居の築年数などなど。

生活シーンにまつわる多種多様な質問が網羅されていたのです。

その上で診察となったのですが、特に指摘されたのが

「夜勤の是非について」

夜勤を続けることは体に甚大な負担になってしまう。症状があろうとなかろうと、いま元気であってもそうでなくても。

誰にとっても夜勤は好ましくないし、医者として推奨できない。

診断書を作成するので、それを使って会社が加入する健保組合からの「傷病手当金」を申請するように。

いまの給料の3分の2の金額が健保組合から1年6か月にわたって支給されるので、その間に

「新たな仕事を見つけなさい」

こんな風に告げられてしまったのです。

でも田舎の給料は本当に安くて、多くの人が親とその親との三世帯同居。これが至極当たり前。

親やそのまた親の資産や年金、さらには子供世代の夫婦2人が働いて毎月の給料。

 

これらを合算することで各家庭は日々の暮らしを営んでいる。

私の場合、夜勤を行い、深夜手当をつけることで何とか日々の暮らしを営むことができるというもの。

 

特に我が家は資産の乏しい認知症の義母を抱えているため、何かと費用がかかってしまう。

 

オムツ代ひとつにしたって、本当にバカにならないくらい高いのです。

そう簡単に辞めることはできない旨を伝えると、

「この程度の症状で済んでいることをありがたいと思わないと。透析が必要になるなどの事態も招きかねませんよ」

そう返されてしまったのです。

■空っぽな日々
退職し、仮に日勤で週5日の仕事に変えれば、給料は今よりもずっと安くなる。

さらには連続で昼間5日間も仕事に出れば、農作業がどうしたって疎かになってしまう。

今は昼夜を通して丸1日働いて、夜勤明けの日、そしてその翌日といった具合にかなりの時間を農作業に充てることができている。

連続してシフトに入ることはないので、日々の畑の状況に対しても小回りでの対処が可能になる。

5日間は畑に入らず、土日のみの農作業・・・。

肥料農薬を駆使した農法なら、それも可能なのかもしれませんが、私が実践しているのは無肥料・無農薬の自然栽培。

5日間放置は正直困難であるのが現状です。

私から農作業を取ってしまえば、他には何も残らない。後は退屈でただ賃金にぶら下がるだけの何もなく空っぽ。

無味乾燥でつまらない。そんなハリのない空虚な生活が続くばかりとなってしまう。

そんな人生に何の価値も覚えない。正直、死んだ方がマシだ。そんなことまで思ってしまうのです。
    
妻も、あなたは農業を専業にしなさい。生活費は私が稼ぐから。私が闘病中に在宅ワークを探す中で、このように私に言ってくれました。

その言葉をありがたく受け取りつつも、重度の認知症で片時も目を離すことができない義母を抱えての在宅ワークなどは絵に描いた餅。

またあくまで私自身の感想としてあるのは、肥料も農薬も一切使わない自然栽培は現代の腐れ金融資本主義の文脈にはどうしたって不適合。

そんな農法であるようにも思えて仕方がない・・・。

商売にしてしまえば、様々な種類の野菜が必要になるだろうし、雪国なのでビニールハウスなどの施設だって不可欠になる。

私が思い描くコンセプトから遠ざかっていかざるを得なくなる。

土にムリを強いる場面だって、往々にして生じてしまうのではなかろうか。

私が以前勤めていた自然栽培の農産物流通会社でも、自家採種を継続して行っている農家は正直、ほとんどいなかったのが現状です。

"収量が落ちる、めんどくさい、今までずっとこれでやっていたから"

理由はさまざまでしたが、自然栽培を行うのと同時に、タネを採る農家は正直かなりの少数派。

中には何の躊躇も覚えることなく、市販の苗を買ってきてそれをそのまま植えてしまう。

そんな方々だって少なからずいたのです。

さらに専業でやるならさらに広い農地が必要になるだろうし、今のような手作業での営農は放棄しなくてはならなくなるだろう。

機械類を使ったことで、樹齢100年を超えるアンズの木が枯れてしまったことを目の当たりにした私は、そこから手作業での農法を志すに至った。

重機類が土を固め、土壌中の微生物層を破壊し、自然な土の生態系を破壊してしまう。

手作業にこだわる理由はこうしたことにもあるのです。
※参考:

 

■世界史の創造!
自然栽培をネタに儲けてしまおう!

そういう気持ちにはどうしたってなることができない。

商売にしてしまえば付き合いたくない人にまで、この野菜を売り込まざるを得なくなる。

そうしたことにもなっていくだろうし、事実、かつて自然栽培の流通会社で個人宅配の責任者を務めていた私はそれを散々に繰り返してきた経緯があるのです。

肥料も農薬も一切使わない自然栽培は私をクスリ漬けの日々から解き放ち、『無投薬・無医療』。

この境地へと導いてくれた、いわば"命の恩人"とでもいうべき存在で私にとっては崇高な農法であり、かけがえのないコンセプト。

それを儲けの具にしようだなんて発想には、もはや私はどうしたって至らない。

私はただ、私と心を一にして、無投薬・無医療でこの人生を貫徹しようと志す。

そんな方々にとっての具体的な実践ツールとして、これらの野菜を活用してもらいたい。そのことを心に強く願うだけ。

第一、肥料も農薬も一切使わない自然栽培を田畑で実践する人々は、まだまだ先駆者の範疇であろうと思うのです。

いわば夜明けの農法であり、それは人類が金融資本主義を打倒して新たなポスト資本主義の世の中。

約400年の長きにわたって続いてきた白人中心の世界から人類が解き放たれ、アジア・ユーラシアの時代の到来。

これらに至った際に脚光を浴び始める、そんな農法ではないかと私自身は思っているのです。

そんな呑気なことを言って・・・。こうした声も聞こえてきそうなものですが、私の師匠筋にあたる栽培歴50年の農家さんは、

「自分はあくまで柱づくり。母屋が建つのは子や孫の世代」

常にこのように話すのです。

後継者がいないなんてこともいわれますが、その方は子が継がないのなら、近隣の青年に後を託せばよい。

実際に今の現代農法の跡継ぎもほとんどが村の青年たちであり、地元の企業であったりもする。

自然栽培が「時代の必要」に至るまでには、まだまだ時間がかかる。

必要なことは待つことではなく、未来を促進していくこと。そのためには新たな世界史の創造に積極的かつ能動的に参加していくこと。

田畑における無肥料無農薬の実践、そして生活シーンにおいての無投薬・無医療の実践。

私はそのための媒体の1つであり続けたい、個人的には思そんなことを思って過ごしているのです。

医師からはありがたい忠告を頂いたわけですが、私としてはこのまま夜勤を継続しつつ、畑における自然栽培の実践と無投薬・無医療の実践。

これらを続けていこうと思っています。

体にとって大きな負担になる。そのリスクを重々承知した上で、食を含めた生活環境により一層心を配る。

そして太陽の光を全身に浴びつつ、農作業で筋骨を動かす。

こうしたことを継続していこうと思っております。

 

 

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