汚れた体を
“キレイにする”
病気の症状とは体内浄化のための大切な反応。
自然医療の分野ではこのように解説されるのです。
風邪を引けば、熱が出る。熱を合図に免疫部隊の白血球が活性化していく。
その活躍よって咳が出たり痰が出たり、下痢になったりするのですが、それらはすべからく体内の
『浄化作用』
体の中の異物や不純物を排出するための欠かせない反応であると説明されるのです。
私たちが忌み嫌う病気の症状とは、汚れた体を元のキレイな状態に戻すための清掃作業。それこそが病気の正体。
皮膚は人体最大の排泄機関だなんて言われたりもするのですが、腎臓や肝臓などで処理しきれない異物。これらを皮膚から
“排出している”
オデキや吹き出物、炎症の意味をこのように考える声だってあるのです。
現在、日本人の2人に1人はガンになるといわれていますが、ガン1つとってしてもさまざまな見方があるものです。
現代医療はガンを『悪の病巣』と決めつけて、切除や消滅。こうした抹殺行為を頻りに繰り返しているのですが・・・。
でも、日本の自然医療の最高権威といわれている森下敬一医師は、『血液をきれいにして病気を防ぐ、治す』(講談社α新書)の中で、
ガンとは有害物質によって体内が
「汚染されたことの警鐘」
であると解説しています。
血液が農薬や添加物などの異物や毒物で汚染されてしまうと、やがて『敗血症』を起こしてしまう。
敗血症とは血液に細菌類が繁殖してしまう症状のことで、この症状にかかるとわずか1週間程度で死に至る。実に恐ろしい病気であると解説するのです。
森下医師はガンの発生とその肥大化は、一種の
“猶予期間”
であると位置づけています。
敗血症という致命的な事態を回避する目的で、人体があえて行う浄血装置こそがガンの正体。
汚れた血液を一か所に集めるといった具合に、私たちの体はあえてガン腫を作り出している。それにより、敗血症による
“処刑の時期”
を延期させようと懸命になっている。
血液の汚れといった異常事態から、私たちを全力で守り抜こうとしている姿がガンであると説明するのです。
血液を清浄化するための延命措置がガンなので、ガンであることが分かったのなら、
「まず食生活を始めとする生活習慣など、自分のやってきたことすべてを反省することから出発すべき」
食べものの汚染が血液を汚し、その汚れた血球が融合し合うことでガンは
「形成されていく」
このように指摘しているのです。
※参考:『ガンを巡る2つの学説・異なる主張の重要部分を比べてみる自然派医療考!』
■生き方の誤り
森下医師はガンにかかることの本質は、生き方を見直すための貴重でありがたい
“大切な機会”
になると述べています。
病気の意味について真剣に考え、これまでの生き方を総点検し、それに対して謙虚な気持ちを持つ。
そのことが何より大切であると指摘するのです。
運命を呪ったり、悲しみで心が覆い尽くされるのではなく、人間的成長に向けた貴重な機会。このように捉え直して、これまでの生き方を見つめ直していく。
それがガンの治療にとって欠かせない心構えであると繰り返し強調しているのです。
新潟大学名誉教授の故・安保徹医師も、ガンは
“生き方の間違い”
を教えてくれる、大切な機会であると述べていました。
過度に体を緊張させ続け、無理にムリを重ねてきた。その結果がガンであると解説しているのです。
そして安保氏もガンを敵視することなく、必要以上に怯えないこと。 この重要性を強調しています。
そしてガンがコワイのではなく、本当に怖いのはガンが発見された直後に始まる
「ガン治療」
この方がよほどコワイと警告を発し続けていたのです。
現代医療はガンの『早期発見・早期治療』を永らく宣伝し続けています。
でも、早期発見をどんなに叫び実行したところで、ガンによる死亡率は一向に低下の兆候を示していないのです。
多くの方はガンになったら、抗ガン剤・手術・放射線の三大治療を受けることになるのでしょうが、ほとんどのケースにおいて有効性は示されていないのが現状です。
ガンに向き合う方法は人それぞれなのでしょうが、何を選ぶかの判断は私たち自身の選択に委ねられている。
ガンにならないように、普段から食を含めた生活環境にできる限り気を配ることが不可欠になるのでしょう。
そして実際にガンになる前に、なった場合は
“どうするのか?”
森下氏も安保氏もこの点を前もって調べ、考え、自らの立ち位置をしっかり定めておくことも大切であると強調しているのです。
ガンの治療に当たっては、つまるところ、
「クスリか?食か?」
の二択になる。クスリには当然、手術も放射線治療も含みます。
どちらを選ぶかは、それぞれの選択になるのでしょうが、常識とは別のもう1つの視点についても学んでおく必要を感じます。
いざガンと告げられてしまえば、驚き焦り、慌てふためき、さらに脅されてしまうもの。
現代医療に頼る以外に、他に選択の余地がなくなってしまうのです。
繰り返しになりますが、現行のガン治療の成果は医療の進歩からはホド遠い、
“散々な結果”
に終始していることも事実といわねばなりません。
原因あって結果アリ、それが自然界の法則であるのなら、なるべく自然でムリのない。
そんな食材群を選んで欲しいと思うのですが、あなたはいかが思われるでしょうか?
■嫌われているけど・・・
私たちが病気の症状を忌み嫌うのと同様に、農家は
「虫・菌・草」
この3つを敵視しています。
虫や菌は悪いもの、こう一方的に考えて殺虫剤・殺菌剤の農薬を何度も撒き散らしている。
草は栽培の邪魔者以外の何者でもなく、作物に与えた肥料を横取りしてしまう。実に面倒で手を焼く憎き相手。
だから草に対しては除草剤を振りかけて、根絶を図ろうとするのです。
でも、健康な作物は健康な土から育まれていくもの。
土の汚れこそが虫や菌を呼び寄せる温床になっていく。農薬を使わずにお米や野菜を栽培するなら、土をとにかく
“キレイすること”
ココから始めなくてはならないのです。
土は植物の残骸から作られていきます。
(※木が朽ちて腐葉土、土に変化している姿です)
地上部分では葉や草、幹や枝が枯れて倒れて朽ちていく。地下部分では根っこが朽ちて枯れていく。
そこに太陽の熱と地球の真ん中から発せられる地熱が加わり、雨や霜、雪などの水の力が降り注いでいく。
さらに土の中のバクテリア、微生物が働くことで枯れた植物の残骸は時間をかけて土へと変えられていく。
こうして100年~150年もの時間をかけて、自然界は表土1センチの土を作り出していく。
こんな風に説明されるのです。
草が生えることの意味は、新たな土を作り出すための自然界の意志ではないかと推測されます。
動物や昆虫の糞尿、さらには死骸なども入りますが、それらはどこまで行っても
「部分」
に過ぎません。土の主原料はあくま植物。自然の土は植物の残骸から作られるものなのです。
ブナの巨木一本が、年間に落とす枯葉の量は36万枚といわれています。
それらが長い時間をかけて土へと変えられていく。
草を敵視するのではなく、草を活かし共生していくあり方。
こうしたあり方が求められているのではないかと思うのです。
■土と健康の関係は?
人が介入しない自然界の土には、農薬や肥料といった人工物が入ることはありません。
でも、田畑においては過去に投入し続けてきた肥料や農薬の残骸がたくさん
「残留している」
ことが考えられるのです。
土が汚れていたり、未熟であったりする畑においては、背が高く、大きな根っこを持った草が生えやすいといわれています。
自然界はこうした畑の土に対して、大きな根っこで肥料や農薬の残骸を吸い込ませようとする。
大きな草は土を自然で健康な状態に戻すための浄化作用と考えることができるのです。
それと同時に大きな草を生やすことで、新たな土を作り出そうとしている。清掃と新生、それこそが草の使命ではないかと推察されるのです。
無肥料・無農薬の自然栽培を最初に行うのなら、
「大豆や小麦」
などが栽培品目として適しているとされています。
特に小麦の根っこは直根性で、地中深く2メートルくらい真っ直ぐ下に伸びていくものです。
小麦の利点は肥料食いといわれるくらいに、『吸肥性』が高いこと。太い根っこで深くまで染み込んだ肥料成分を貪欲に吸い上げようとする。
過去に使った肥料や農薬の残骸を長くて太い根っこからドンドン吸い上げてくれる。
バキュームクロップ、クリーンアップクロップとして、自然栽培では重宝される作物になっているのです。
これらの作物を植えながら、土の
“進化と清浄化”
とを同時に促していく。
今の日本の農地は肥料と農薬が多投され、草は除草剤で根絶やしにされている状況があります。
小麦の国内自給率は十数%というくらいの低自給状態が永らく続いているのです。
清浄化・浄化作用が全く行われていない。いうなれば汚しっぱなしのゴミ屋敷のような状態・・・。
日本の農地の現状は、このようにいわねばならないと思うのです。
その国の国民の健康度合を計るには、その国の土を見れば良い。こうした言葉がありますが、土の汚れと人体の汚れとは正比例の関係にある。
そう思うのは私だけでしょうか?
土にムリをさせることなく、今の状態に適した作物を栽培していく。それが無肥料無農薬・自然栽培の方法論でもあるのです。
(※越冬キャベツも撒き始めました)
■秩序ある世界
高い草が生えていた畑には、時間の経過で次は
「中くらい」
の高さの草が生えてくるようになります。
ヨモギやハルジオン、ヒメジオンなどが勢力を増していく。こうした変遷を辿っていくのです。
この段階で自然栽培に適した作物は豆類。アズキやインゲン、エンドウ豆、ソラマメ、大豆などが適した土の状態といえるのです。
そしてさらに時間が経過していくと、今度は、スギナやハコベ、ツユクサ、ホトケノザなどの
“背の低い”
草が生えるようになってきます。こうなってくると、次第に野菜の栽培に適した土の状態が整備されていく。
ジャガイモ、カボチャ、大根、ニンジンといったように草の力で、さまざまな野菜を育めるだけの状態が徐々に整備されていく。
草が生えることで新たな土は作られていく。草が生えるからこそ、過去に使った肥料・農薬などの異物を取り除くことができていく。
草を“雑草”だなんて呼ぶのは、あんまりではないだろうか?草は自然で安全な野菜を作り出すための大切な
「パートナー」
であるともいえてしまう。決して、敵視してはならないものなのです。
ガンをはじめとしたさまざまな病気の数々。農地における草虫菌の憎き相手。
それらにも積極的な意味があるのではないだろうか?
こうした視点を併せ持つ必要を思います。
私たちはとかくモノゴトを『良い悪い』で判断してしまう傾向が強いのですが、問われるべきは
『自然か?不自然か?』
このことではなかろうか?
そう思うばかりなのですが、あなたはいかが思われるでしょうか?
■参考文献
■無肥料無農薬米・自然栽培と天然菌の味噌・発酵食品の通販&店舗リスト
■自然食業界キャリア15年のOBが綴る