安部公房『飛ぶ男』(再読) | 空想俳人日記

安部公房『飛ぶ男』(再読)

 生誕100年を記念して、新潮文庫が2冊出版された。30年ぶりだそうな。『飛ぶ男』は当時、単行本をすかさず入手したけど、また買ったよ。何故なら、当時単行本で出版された安部真知による加筆改稿版とは違う加工を元に戻しての文庫化らしい。

安部公房『飛ぶ男』(再読)01

そして、『水中都市・デンドロカカリヤ』よりもさらに初期の作品集『(霊媒の話より)題未定』。
 前にブログ記事「芸術新潮2024年3月号【生誕100年記念 特集】わたしたちには安部公房が必要だ」にも書いたけど、実は、手に入れたのは、新潮文庫の『飛ぶ男』、そして『題未定』、それから、『芸術新潮2024年3月号【生誕100年記念 特集】わたしたちには安部公房が必要だ』の順だよ。でも、逆に読むことにしたので、先に『芸術新潮2024年3月号【生誕100年記念 特集】わたしたちには安部公房が必要だ』を読んだのね。そして、続いては、『(霊媒の話より)題未定』を読んだ。
 そうして、この『飛ぶ男』の再読。

安部公房『飛ぶ男』(再読)02 安部公房『飛ぶ男』(再読)03 安部公房『飛ぶ男』(再読)04

 ちょっと、『飛ぶ男』の単行本との違いを見てみた。

安部公房『飛ぶ男』(再読)05単行本
安部公房『飛ぶ男』(再読)06文庫本

安部公房『飛ぶ男』(再読)07単行本
安部公房『飛ぶ男』(再読)08文庫本

 なるほど、ちょいちょい違うね。

 で、ここには『飛ぶ男』と『さまざまな父』が収録されている。途中まで『飛ぶ男』を読んでたのだが、『さまざまな父』が「新潮」1993年1月、2月に掲載され、『飛ぶ男』は没後に、タイトルが表書きされたフロッピーディスクが発見された、ということから、
「『さまざまな父』から読んだ方がいいな」と判断し、先に『さまざまな父』を読んだので、そちらから。

安部公房『飛ぶ男』(再読)09

『さまざまな父』
 読み終えて、「なるほど」。こちらは、『飛ぶ男』の序章というか、前段だと理解した。
 寡黙で分けわからぬ父と父に反目する息子の話。ある日、父が二つの薬を息子に見せ、「どっちがいい」と。つまり、その薬は、透明人間になれる薬と、飛ぶことができる薬。「どっちでもいいよ」と息子。父が先に飲む。すると、カラダが消えていった。
 この透明人間と父とのドタバタ劇が暫く描かれる。「早くお前も飲め」と言う父に対し、父のいないところで飲んでみたい。そして、やおら、薬を飲むと、体が軽くなる。浮き上がる。結構、飛ぶのには訓練がいる。
 ここに、家政婦というか、家のことを手伝う《おねえ》が登場するが、どうやら、この《おねえ》、父とほにゃらら? みたいな存在でもあるが、『飛ぶ男』の方で、主人公の隣室の、いつ男に襲われるか被害妄想する女として描かれるんだよね。
 とにかく、この作品も途中まで発表後、安部氏は亡くなってしまったので、未完なのだが、「飛ぶ男」登場で終わっているので、前半に収録の『飛ぶ男』へとスライド(漸進的横滑り)させて読むよ。

『飛ぶ男』
 冒頭、患者名と主訴、病名がポスタリゼーションで。この保根治(ほねおさむ)という名の男が主人公だ。『さまざまな父』には出ていない。彼は、飛ぶ男の目撃者だ。
 ちなみに、目撃者は、彼以外に二人いる。一人は、先の『さまざまな父』の《おねえ》から生まれた、隣室の女性。運の悪い男性遍歴で重度の男性不信。暴行魔の次のターゲットなる女性は自分だと思い込んで空気銃を備えている。もう一人は、腎臓疾患で利尿剤を常用している暴力団の構成員。通報しようとするが、自分の立場を考えると大人しくしてた方がいい、と。
 そして、三人目が彼、保根治。そして、彼の携帯電話に電話が、なんと目撃した飛ぶ男からだ。飛ぶ男は、「兄さん」と。主人公の腹違いの弟だというのだ。年齢差から、ありえない。父親はとうに死んでいるはずだ。ところが、「死んでいない」と飛ぶ男。棺桶くぐりで、死んだふりした、と。
 おおい、こらあ! 最後までの、あらすじを言う気かよ。それは止めようよ。興味があったら、買って読んでよ。
 さて、ところで、でも、しかし、どうしても、まあ、その、ちょっと言いたいのは、隣人の女が、自分が射撃した飛ぶ男が、隣の保根氏の部屋へ滑り込んだとみて、保根氏の部屋をピンポンする。保根氏は、「しめた」と思う。何のことはない、いつも空想でしか女性と交われない彼に、生身の女性が飛び込んできたのだ。その描写が、安部氏らしい、生理学的感覚をそそる。そう、安部氏は、理性よりも感性よりも生理学的叙述が有効だと、ずっと試しているのだ。ちょっと引用しよう。
《保根は女の後ろ姿を胸いっぱいに吸い込んだ。茂った柳の匂いがした。腰だめにした空気銃なんて似合わない。しかし熱反応レーダーを思わせる、左右をうかがう神経質な首振り運動は、ブリキの兎みたいで可愛らしい。保根の視線は高倍率のズームレンズになって、はじめはこわごわ、やがて大胆に、女の臀部を凝視する。肉付きはいいのに、想像していたような球形とは違い、中身の詰まった良心的な稲荷寿司に似ている。》ほら、なんか食べてみたくなるよね。稲荷特有のじゅわっとした、涎が垂れてこないかい? 《化膿した歯茎を連想した。生地の種類は知らないが、絹の軽さと、ゴムの伸縮性を兼ね備えた感じ。二つの球のあいだに想像を食いこませようとするのだが、うまくいかない。弟だったら、実像が透視できるのかな?》読者は、さながら「弟」のように、想像を食い込ませ、実像を感じるのじゃないかな。
 ところが、これ以上に、隣の女が、どこかに飛ぶ男がいるのではないかと、保根氏の室内を探索するのだが、その女の目を通した描写が長い。どういうのかな、まるで、安部氏の仕事場(箱根かな)のアチコチの部屋にあるガラクタどもを書きとどめておきたいと言わんばかりの執念の描写が延々と続く。おそらく、最後の小説だという意識があって、前作の『カンガルーノート』で、彼の愛する音楽家、ピンク・フロイドのアルバムに対する思いが生で出ているように、ここでは、彼の現実の身のまわりのモノたちが「死んで処分されないうちに書きとどめておこう」といわんばかりの描写だ。
 それにしても、女の名が途中で明かされるが、小文字並子。これ、いいねえ。小文字だから小柄なんだろうな。並子は、先の稲荷寿司から、上寿司じゃない、並寿司を想起。ネタで勝負の上寿司じゃなく、お得感一杯の並寿司。違うか。
 ボクは、思想的には、『方舟さくら丸』が後年というか晩年というか、今、この令和でも進行しているナショナリズムを駆逐せんとする作品として素晴らしいと思うが、その後に、連載という形で僅か7か月で完成させた、完結している最後の小説『カンガルーノート』のが、前々作の奇妙な『密会』の後を継いでいるので、ボクは、思想度返しで、面白いと思うのだが。
 その思想度返しが、この『飛ぶ男』の『さまざま父』と本作『飛ぶ男』で、ひょっとかしてもしかして、安部氏は、死と直面しながら、これまでの思想的な呪縛から逃れて、新たな文学精神を獲得したのではないか、そう思う。
 それは、思想とか哲学とかいう難しいものでなく、ボクらが日々夢で見る、透明人間になること、飛ぶ男になること、それが何なのか。ボクは透明人間になる夢はあまり見たことがないが、飛ぶ男になる夢はしょっちゅう見る。ここでの飛ぶ男よりも下手くそな飛行、地上90センチくらいなところを、ゆっくり平泳ぎの恰好で泳ぐようにして飛ぶ。あれ、空中を飛んでるのでなく、水中かも、そう思う。そうすると、安部氏の「水中都市」なのだ。
 ひょっとすると、安部氏は、『方舟さくら丸』でナショナリズムと言う、ある意味、国家的な思想に取り組みながらも、その前の『密会』で描いた現代都市社会の「出口のない迷路」の構造を、まったく別のカンガルーの袋の中で考えた『カンガルーノート』で完結させたのではないだろうか。
 そして、それを完結させたことで、念願の、透明人間と飛ぶ男に取り憑かれ、この『飛ぶ男』に至ったのではなかろうか。だから、思想や主義から外れた自由な世界が進んでいく、と、途中まで思ったのだが、いかんせん、「8 鴉」の章からだよ、呪縛から逃れたかった世界が流入してくるのを。
「ホトホト、ホトホト、ホットホト」という呪文が、「トホホホ、トホホホ」に聞こえる。ポスタリゼーションでは、「ほと【陰】女性の陰部。女陰。「この子を生みしに因りて、み陰炙かえて……」」と。いつも夢の中の女性とでしかなかった保根は、並子によって現実の女に欲を得んとする。でも、彼女の部屋への流入はそれだけでは済まない。彼女を媒介にして、断ち切りたい世界が社会が、押し寄せてくる。
 飛ぶ男の流入だってそうだ。いないはずの「弟」がいた。しかも、死んだはずだよ親父さんも世界のどこかにいるらしい。
 保根は、一人自由に生きてきたんだが、そうはイカの金玉子~、そうは問屋は卸してくれぬよ~、いまわしい鴉の流入と同じように、開いてしまったドアから、世界は流れ込んでくるので。
 それがさらに垣間見られるのは、「9 陰謀の成立」だ。ここで、話が大きく飛躍する。小文字並子の素性と、某企業の経営の話。そしてよくある話だが、株の暴騰と暴落、そして計画倒産。ありふれた世の中の企業の姿が語られるとともに、小文字並子が勤務する発酵研(いつしか氷雨発酵研)になっている。そして、上司、というか共同経営的な立場の剣呑悠優(悠々と剣を吞む? 飛ぶ男マル・ジャンプのスプーン曲げの向こうを張るのか)が登場(と言っても、まだ人物名だけだが)するのだ。つまり、世界は、というか、世の中は、結局、一人でいさせてくれないのだ。何かにかかわりを持たぬものは、生きていく資格がない、というように。人類は、いつの頃かグループを築き、社会を築き、階層や階級を築き、仲間意識と、グループ間の反目を創り上げたのか。その最たるものが国家であり、企業もそうだ。古くは、部落や村社会。
 結局は、『方舟さくら丸』の世界観がここにも登場せざるを得ないのか。しゃあないじゃないか、人類はこの地球の上で生きていくためには、霊長類として支配者として生きていくしかないのだ。弱者は強者の支配のもとで生きていくしかない。
 いや、待て。安部氏は、そんなことが言いたいのではない。確かにそうした人類史で今日まで来たホモサピエンスは、ある意味、ネアンデルタールよりも頭が良いが野蛮で狂暴かもしれない。
 ただ、ボクは、そうじゃない、新たな思考を、安部氏は、この『飛ぶ男』で始めようとしていた気がする。
 ただなあ、この「9 陰謀の成立」まで来ると、文章がキチンと繋がっていない。糸がちぎれた首飾りのように、脈絡なく、思い付きのような言葉が、隅間を埋めることなく並べられている。
 また気になったので、このあたりのページの単行本と文庫本の違いは? あんまし変わらんね。

安部公房『飛ぶ男』(再読)10単行本
安部公房『飛ぶ男』(再読)11文庫本

 さらに気になるのは、老人病学会で発表された「ネバリノン」や、「ナットノン」という納豆菌製剤、納豆菌による大豆蛋白高分子「ねば」など、先の発酵研との関係。「納豆」も「ねば」も「ネバネバ」の粘着性と「ねばならない」の人間としての義務感を想起させる。そして、その納豆のように粘っこく、ここでも触れられる、並子に対する過剰性欲。
 そして、未完の最後の文。
《いざとなれば、一挙に形成を逆転できるのだ。/ヌード写真で、家族に火をつけてやる。/さらに決定的な企業秘密……/試験農園の温室の実態は、ただの廃屋にすぎない。》
 安部氏は、この『飛ぶ男』で、文字通り拾っていけば、一挙に形勢を逆転させようとしたのではないか。しかも、それは、ヌード写真で家族に火をつけるのだ。家族とは何だ? ヌード写真とは? 試験農園の実態、廃屋!!
 もちろん、では、これが何を意味し、『飛ぶ男』で何を書きたかったか。それは、死んでしまったので分からない。でも、でも、でも、
 今回『飛ぶ男』を再読したら、見えてきたよ。何が? 何がって、まさに飛ぶ男だよ。
 どういうこと?
 どういうって、この小説には、主人公を含めて3人の目撃者が出てくる。飛ぶ男を見たという。そして、目撃者の4人目が、「キミ」なのだ。「キミ」って、誰なの? 決まってるじゃないか、ボクも含めた読者だよ。
 ボク(キミ、読者)のとこへ来て、
「兄さんと僕を守れるのは、キミしかいない。とりあえず、あの兄さんの隣人を犯してくれ。そうでないと、世界は、現実が洪水のようになだれ込み、世界を海の底に沈めてしまう。そうなったら、人類は、僕みたいな飛ぶ男以外、水棲人間になるしかない」と。
「どういうこと?」と、繰り返し反論してもいい。そうすると、飛ぶ男は言うだろう。
「親父だって、新自由主義で世界を駆逐する企業の手下になり、あの目撃者の一人である暴力団員が暴力団を使って、法のギリギリのところで弱者を半殺しするだろう。だから、彼女が、その主犯格の共同経営者なんか見切りつけて、キミの性欲でキミに溺れさせ、こちら側につかせてほしいのだ」
 そんな、世の中は簡単じゃないはずだ。飛ぶ男だって、スゲエ能力なのに、いざ身に付ければ「なんで必要」、せいぜい見世物小屋の「あいちゃんや、はいは~い」と首を伸ばし、親の因果が子にたたり、なのだ。だから、親に使われるよりもオタク兄さんの保根に全面委託したいのだ、自らのプロモーションを。しかも、スプーン曲げは胡散臭いから、普通の人のネタありマジックだから同じ仲間、だけど、飛ぶ男、仕掛けもないなら、もう普通から迫害視される。特殊能力は、差別の対象、それが、この世界なのだ。ただ、飛ぶ男は、透明人間よりも自由だ。透明人間は意外と不自由のはずだ。親父は、絶対に、その不自由さと透明人間特有の自らの特殊能力を、先の国家を揺るがすバイオ団体に身を売っているはず。「そんな中、ふつうのキミが今、活躍すべきなのだ。新黄金バットとなって、バットを振り回してほしい」。
 言っとくけど、ボクは荒唐無稽な話をしているわけじゃないよ。安部氏の小説から見えるこの世界の全体像が、見えてしまうのだ。普通は、誰にも全体像は見えないのだが、安部氏の超望遠広角ズームレンズを借りれば、見えちゃうのだ。 
 そうしてボク(キミ、読者)は、言われた通り、次は自分が暴行魔に襲われると楽しみにしている隣室の女、小文字並子を犯しに行った。ちょっと待てえ、ボクは、読んでいて、小文字並子に惚れることにしたけど、そんな女、面倒くさいと思う読者もいるのじゃないかな。それ、どうするの?
「安部公房の文学は生理的に合わない」人、日本に多いかも。
 ああ、やっぱり、それだよねえ。彼の文学、理屈や屁理屈じゃなく、理性や感性でもなく、生理学に基づいた、「おえええ」「うげええ」だもんねえ。
 どこまで行ったっけ。ボクは並子と会うんだ。
「とうとう来たわね、あなたなのね、飛ぶ男は」と女は言ってそっと股を広げた。ボクは、そこへ、自分しかない思想をぶちこんだ。
 家族とは、町や村、一族、グループ、企業、国家の一番小さな形。赤い繭で形作られた殻。それを燃やすのは、生身の裸の人間。獣のような、かといって排他的ではない人間。ヌードとは殻も仮面も身に着けないネアンデルタール。3%の遺伝子よ、甦れ。
「そう、それだよ。それでいいからさ、あとは、続きをキミが書いてくれ。もう、僕は、この世からおさらばするからね。飛ぶからね」と。
「ホトホト、ホトホト、ホットホト」「トホホホ トホホ トホトホホ」「オタスケ オタスケ オタスケヨ」。
 似てるけど、今回は、オタスケ倶楽部みたいな団体を作っちゃダメよ。
 分かるかなあ、これ。安部氏が書かんとしたことじゃないかもしれないけどね。「ただ、言っておきたいことがあるけど、親父が透明人間になった薬も(『さまざまな父』参照)、僕が飛ぶ男になった薬も、実は廃屋である試験農園で出来たものだよ。廃屋だからこそ、出来た代物なんだ」
「ほんと?」
「とにかく、参加してよ。キミはヒーローだ。そして、その世界を俯瞰するもう一人のキミが世界を再構築していくんだ」
 さあ、いかがでしたでしょうか。どこからどこまで誰が言っていることで、どこからどこまで感想で、どこからどこまで作り話なのか、ボクにも分かりかねるけどね。
 この『飛ぶ男』には、未完であることが乗じて、読み手の数だけの『飛ぶ男』ができるのじゃないかな。勿論、「あたしは、この後、どうなるかなんて、考えられない~」と言う人もいると思う。そういう人は、どうなるか分からない、それが、この小説なのだ。
 図らずしも、安部氏は『飛ぶ男』を完成させられなかった。だが、彼の小説の殆どは、終わっても終わらない、「あとは読者が自分で考えてよ」がほとんどだ。そういうことからすれば、この小説は、安部ファンにとって、最後の贈り物、「この後、どうなるか、キミが考えな」という、素晴らしい遺作だと思う。
 ボクがどう捉えたかは、もう書いたと思うけど。
 さらに、ちなみに、安部公房の作品、どれが一番傑作かと問われれば、全ての作品が書かれた当時からすべて傑作である。が、その評価に至るためには、早すぎたかもしれない。否、ボクたちが気づくのが遅すぎたのだ。そして、今こそ、真に再評価されるべき時代なのだ。彼の作品に、傑作ではない作品は、ない。

安部公房『飛ぶ男』(再読)12
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