アイヌと縄文 | 空想俳人日記

アイヌと縄文

 以前読んだ「時空旅人『今こそ知りたいアイヌ』」、そして「100分de名著知里幸恵『アイヌ神謡集』」で「人間と人間以外のものが対等に交流」するアイヌの世界観を知った。
 そして、この本のタイトルの『アイヌと縄文』にピピンと来た。手に入れた。

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 この本でも、「はじめに」に書かれているが、アイヌ文化には弥生文化がない、それを、もう少し、知りたくてね。

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 この本は、5章ある。第1章が「縄文時代」、第2章が「続縄文時代」、第3章が「擦文時代」、そして、第5章は「アイヌの縄文思想」。

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 そうしたら、いきなり第1章で書かれているよ。

第1章 アイヌの原郷ー縄文時代
《縄文時代の社会は、自然の猛威にうちひしがれ、呪術に支配されていた蒙昧な社会、祭りや土器の装飾などに時間を費やし、生産力の拡大に向かわない停滞した社会と考えられてきました。》
 そう。ボクも、学校教育で、縄文時代をそんなふうに教えられた。でも、岡本太郎氏は、見抜いていた。「祭りや土器の装飾」=「人間性、芸術という人間の営み」であると。
《一万年以上も続いた縄文社会を停滞と論じる以外、どう評価してよいかわからなかった縄文文化の研究者は、「自然との共生」「持続性」というポジティヴなキーワードを手に入れたのです。》
 そうなのだ、停滞でなく、サステナブルな社会であり、人間と人間以外が共生できていた時代だったのだ。

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 この章では、比較言語学の観点から、ボクは全く知らなかったことを学んだよ。ユーラシア大陸の2,500以上の言語の中で、系統不明の孤立言語が9つ。アイヌ語も日本語も朝鮮語もそれなんだ。
《縄文人の話していた言語は、日本語、アイヌ語、朝鮮語、ニヴフ語の祖語である出アフリカ古層A型の、より原型に近いものだったと考えることができそうです。》
 ということは、アフリカで生まれたホモサピエンスに最も近いっていうことになるのかね。
《日本語、朝鮮語、ニヴフ語の膠着語は新しくあらわれた形式であり、アイヌ語の抱合後は古層の特徴をとどめるものであった可能性も考えられそうです。》
 へええええ。

第2章 流動化する世界ー続縄文時代(弥生・古墳時代)
《続縄文人は寒冷な北海道で二流の農耕民となる道ではなく、弥生文化の宝を手に入れるため、毛皮生産としての狩猟に特化していく道を選択した》
 北海道が稲作に向かないから弥生文化がない、これもあるだろうが、ポテンシャルの高い毛皮生産で、本州と交易をし、弥生人の宝を手に入れる、ということだったのだ。

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 あと、確か学校の歴史の教科書で習った阿倍比羅夫が、ここで登場する。蝦夷に水軍をひきいて奥羽地方の蝦夷を攻めた、だよね。百済救済のため新羅とたたかったが,白村江の戦いでやぶれた人だよね。
《比羅夫が続縄文人に加勢し、オホーツク人を排除したのは、オホーツク人の本州南下が続縄文人の交易の障害になっていた》
《続縄文人と東北北部の人びとのあいだでおこなわれていた交易を王権の管理下に置くことです。》
 なるほど。

第3章 商品化する世界ー擦文時代(奈良・平安時代)
《九世紀になると擦文人の土器も変化します。それまでの土師器とうりふたつの、文様をもたない土器ではなく、次第に濃密な文様を施した土器に変わっていくのです。その文様は縄文ではありませんが、土器が文様によって意味や物語を帯びるという点では、失われた縄文伝統への先祖返りにほかなりません。これは縄文アイデンティティの復権といえるかもしれません。》
 ここの「意味や物語」「縄文伝統への先祖返り」「縄文アイデンティティ」はキーワードだね。

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《日本海沿岸グループの拡大はとどまることなく、10世紀初頭には道東オホーツク海沿岸、10世紀末にはサハリン南部西海岸へ孫出していきます。》
《太平洋沿岸グループは12世紀には道東の太平洋沿岸へ進出します。かれらは15世紀には北千島からカムチャッカまで進出していきました。》
 この勢力の拡大の目的は「交易品の生産と流通体制の確立」だそうな。
《北海道の社会は、9世紀後葉以降、交易品の生産と流通をめぐって大きく変化しました。私は、このような交易とかかわって成立した生態系適応のありかたを「アイヌエコシステム」とよび、それ以前を「縄文エコシステム」とよんでいます。》
《いたるところにある縄文時代の遺跡をみると、ただ食べていくだけであれば、どこでも暮らすことができたということがわかります。しかし、交易品の生産や流通に適合した立地となると、そう多くなかったようです。このような空間利用の粗密化もまた、商品化にとりこまれたアイヌエコシステムの特徴ということができるのです。》

第4章 グローバル化する世界ーニブタニ時代(鎌倉時代以降)
 ここで著者さんは、アイヌ時代じゃなく、ニブタニ時代って呼ぶ方がいいと言ってるよ。弥生時代は、東京都文京区弥生の地名から、擦文時代は、土器の表面を板でなでつけたときに生じる細かい筋目の跡。ニブタニは、日高の平取町二風谷(ニブダニ)遺跡から。アイヌ時代って言うと、いきなりアイヌ人が何処からかやってきた、また、いきなりアイヌ人に変身した、そう思っちゃうよね。
《擦文文化から「アイヌ文化」への移行もゆるやかで連続的であり、そこに人間集団の交代を想定する研究者はいません。》
 ニブタニで行こう。
《ニブタニ時代の特徴を一言でいえば、アイヌが広大な北東アジア世界へ進出しながら日本との関係をさらに深め、交易を拡大していった時代》
《交易品生産者であると同時に、日本と北東アジア世界をむすぶ中継交易者としてグローバル化していったのがニブタニ時代》
 アイヌ女性の宝のタマサイという首飾りは、金属製品が本州産だけど、ガラス玉は大陸産だそうな。

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 あと、中近世のアイヌの遺跡「チャシ」も興味深い。日本の山城のような砦でもあったり、また、祭儀をおこなう聖域や談判の場であった。
《祭儀を統括して神とたたえられることもあった首長の居館となり、あるいは祖霊が鎮座して血縁集団を守護するチノミシリとなり、さらにはその祖霊の守護によって人びとを守る砦となることもあった》
 チノミシリは、「われら・祀る・山」という意味で、祀っていた霊山のこと。
 サハリンアイヌのミイラ習俗も興味深い。以下は間宮林蔵『北夷分界余話』。
《アイヌの首長が死ぬと内臓をぬいて家の外の台の上に安置し、女が日々これを拭き清め腐らないようにする。このミイラにすることを「ウフイ」という。そのあいだに棺をつくるが、製作には一年かかる。一年経って遺体が腐っていなければ、女を賞めて服・酒・タバコなどを与える。もし腐敗していれば女を殺して先に葬り、その後ミイラを葬る。》
《孤立した習俗であるサハリンアイヌのミイラが、北海道で縄文時代からおこなわれていた長期間遺体を埋葬しないモガリ習俗と、あるいはミイラづくりの伝統そのものに帰属したと考えています。》 
 ここでは、「孤立した」とあるが、最終的には、
《サハリンアイヌのミイラ習俗は、周辺地域には類例のない孤立した文化であり、その孤立性ゆえに注目を集めてきた文化でした。しかし、そこには南西諸島をふくむ日本と北東アジア、さらには朝鮮半島、中国にまで広がっていく環を読みとることができそうです。》
 この章では、アイヌの文化にも世界史的同時代性があったことが語られてるんよね。

第5章 アイヌの縄文思想
《アイヌは和人や北東アジアの諸民族との交易を行っていました。しかしアイヌ同士で物々交換をおこなうことは基本的にありませんでした。アイヌ同士でのモノのやりとりは、すべて贈り物としておこなわれていたのです。》
《アイヌは、社会内部の結束を高めるため贈与交換をおこなっており、同族間で純粋な物々交換、つまり商品交換をおこなうことは基本的にありませんでした。》
《K・マルクスによれば、商品交換とは異なる共同体のあいだでおこわれる物々交換からはじまるとされます(『資本論』)。
 マルクスが出てきましたねえ。「商品」そして「貨幣」、これらは、不平等と差別をもたらしてしまうからねえ。彼らは、それを避けていたんじゃないかな。

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《10世紀中葉になると、渡島半島の日本海側には、擦文文化と本州の文化の中間的な様相をみせる、私が「青苗文化」とよぶ文化が成立します。》
《擦文文化の人びとにとっても、この平等原則をおびやかす商品交換は強く避けられており、そのため文化の境界に、和人との「中立地帯」や「擬似親族」が求めらていたのではないでしょうか。そして、その役割を担っていたのが青苗文化だった》
《擦文文化の人びとは、祖先を共有する青苗文化の人びとと贈与交換をおこない、その青苗文化の人びとは、婚姻関係をもつ東北北部の和人と贈与交換をおこなう。》
 15世紀に武装した和人商人が入り込み、「中立地帯」「擬似親族」ののっとりで、直接的な商品交換をせざるを得なくなる。
《ただし和人との商品交換は、市場で売り買いをするようにおこなわれていたわけではありません。アイヌが道南の和人のもとへさまざまな交易品を土産として持参すると、和人が酒食でもてなし、コメ、木綿、漆器などを返礼として贈る、交換儀礼をとおしておこなわれました。贈与交換の形式を踏襲したこの儀礼的な交易は、ウイマムとよばれていました。》
 あと、「沈黙交易」という習俗も。
《交換したいとおもう品物を海辺や山中などの「境界」に置き、しばらくその場を離れると交易相手がやってくる。交易相手がこれに見あう品物を置いて立ち去ると、再びやってきて交換品を持ち去る、というものです。》
《異民族との直接的な物々交換=商品交換にたいする忌避の意識があったのはまちがいありません。かれらのなかでは、私たちが考える以上に、平等原則を突き崩す商品交換という「ウイルス」が強く恐れられていたのです。》
 確かに、商品交換はウイルスかも。
 唾4章に出てきた、中近世のアイヌの遺跡「チャシ」で大量のシカの解体も。
《アイヌは、狩り捕った獲物の神をその国に送り返す「送り」とよばれる儀礼をおこなっていました。》
《大量の獣の解体処理をおこなっていたチャシが、獣という仮装から神を解き放ち、無縁化がおこなわれる場であったとすれば、チャシはそこへ獲物をもちこむこと自体によって送りが成立するような、儀礼の簡略化とむすびついた大量捕獲・大量生産に適合した聖域となっていたのかもしれません。シカの送り儀礼は省略されていたわけでなく、チャシで解体処理すること自体が送りになっていたとおもわれるのです。》
 なるほど、和人との交易が活発になるなか、縄文思想(贈与交換しそう)を保つための苦肉の策だったん。
 この最後の章で、まさしく、「ではないか」と思っていたことが書かれている。
《アイヌが守りとおそうとした縄文思想とは、人びとを「親戚」としてむすびつけるこのような連帯の原理であり、かれらが商品交換を忌避したのは、それが人びとを不平等化し、差別化していく対極の原理だったからにちがいありません。》

 この本で、いかに縄文文化が、「自然との共生」「持続可能な社会」であったかを顧みることができる。大衆のアヘンであるSDG'Sというウイルスに冒される前に、この縄文人を今一度、振りかえるべきではないか。それは、アイヌ文化を知ることから始められるかもしれない。

 最後に「あとがき」から引用したい。
《アイヌの心性という井戸を掘り下げていくと、その先には私たちの原郷である縄文という水脈がひろがっている気がしてなりません。そしてこの原郷の心性は、もはや消え去ったというわけでなく、ひょっとすると私たちの目に映じる風景の意味や、他者とのなにげない交わりの仕方のなかに、人知れず影を落としているのではないでしょうか。》


アイヌと縄文 posted by (C)shisyun


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