100分de名著 知里幸恵『アイヌ神謡集』 | 空想俳人日記

100分de名著 知里幸恵『アイヌ神謡集』

 実は、先に読んだ「時空旅人『今こそ知りたいアイヌ』」よりも前に、この本は入手していた。しかし、学校で日本史は学んだものの、そこには、アイヌ文化のことは全く書かれていなかった。
 なので、あとから入手した「時空旅人『今こそ知りたいアイヌ』」を先に読んだのだ。正解だった。

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はじめに

《アイヌの世界観では、人間と人間以外のものが対等に交流しながら、ひとつの社会を形づくっています。その世界観を、人間以外の視点から、メロディに乗せながら語っていくのが神謡です。》
 カムイとアイヌが対等であることは既に学んだ。
《知里幸恵が亡くなってから百年が経過し、アイヌをめぐる状況も大きく変わりましたが、『アイヌ神謡集』の価値はまったく薄れていません。それどころか、知里幸恵が『アイヌ神謡』に託した想いは、現代にようやく花開こうとしています。》

第1回 アイヌの世界観

《アイヌ自身は日常的に文字を使うことはありませんでした。》
 ということで、口承文芸なんだね。
《カムイは人間の役に立つように努力する。人間はそんなカムイに感謝し、お酒やイナウやお祈りを捧げる。カムイと人間のあいだにはそのような関係が成り立っているので、人間が自然や道具など身のまわりの環境を大切にする気持ちで接すれば、それらのものも人間に対してちゃんと役に立つ形で応えてくれるのです。》
 自然のサイクルの中に人間も合わせていく、そういう生き方を口承文芸で、伝え教え育んでいくんだね。

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第2回 「語られる物語」としての神謡

《神謡は、同じ人が二回同じものを演じても、同じ言葉で語られるとは限りません。これは、神謡に限らず、口承で伝えられる物語全般に言えることで、むしろ一回ごとに違うのが普通だと言えます。つまり、ストーリーは決まっているけれど、表現はその場その場で即興的に作られるわけです。》
 絵本を読んで聞かせるのとは違って、伝える人の想いが表現を変えていく。思い出した、小さい頃、ばあちゃんが、地獄の話を聞かせてくれた、あんな感じだ。

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第3回 銀の滴降る降るまわりに

 もっとも知られているのが、「梟の神の自ら歌った謡『銀の滴降る降るまわりに』」だねえ。シマフクロウが、お金持ちの子が射る金の弓矢には当たらず、貧乏な子が射る木の弓矢には自らが受け止めて、貧乏な子に自らを提供するんだ。
 肉体は洋服みたいなものだから、魂と分離し、魂は、謡い続けるんだね。この神謡は、とても美しい話だよ。詳しい物語は、買って読んでね。
《最後はみんな仲良く、めでたしめでたしで終わることになっています。これは、貧乏になった理由をただ「運が悪かった」ですませているからこそ、持っていくことのできた結末だと言えます。》
 アイヌの昔話は、悪いことした人がバチが当たって仕返しを受ける悲惨なお話が多いそうだ。そういうことからすれば、このお話は、コミュニティ形成のためのお話かもしれないねえ。

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第4回 知里幸恵の想い

 ボクは、「時空旅人『今こそ知りたいアイヌ』」を読んで、ブログに以下のように書いた。
「鎌倉時代にアイヌ民族としての流れが始まり、その後も、和人との交流はあったものの、まさに土足で踏み込んだいったのは、文明開化の西洋かぶれが始まった明治維新以後なのだ。西洋諸国のやり方をモノマネする、そこには、植民地化精神も含まれていたのだ。」
 勿論、アイヌを捨てて和人と同化することを強要したのは、明治維新以降だが、この本で知ったのだが、徳川時代にも、アイヌと和人との大きな争いがあったのだ。
《1669年にシャクシャイン戦争という、歴史上最大のアイヌ対和人の戦争が起こります。当時、北海道のアイヌは日本語で「惣大将」と呼ばれるリーダーのもと、大きく五つぐらいのグループに分かれていました。そのうちの一つのリーダーだったのがシャクシャインです。シャクシャイン戦争は、五つのうちふたつのグループが手を組んで松前藩に攻撃を仕掛けた闘いですが、結果的にアイヌ側の敗北となりました。これを機に松前藩はアイヌへの政治的・経済的支配を強めます。松前藩は場所請負制という制度によって商人に上納金を収めさせ、商人たちはアイヌを交易相手としてではなく労働力として酷使し、ニシン漁などに従事させました。》
《1789年、国後島と目梨地方(現在の標津町周辺)を中心にした地域で、クナシリ・メナシ蜂起という戦いが起きました。きっかけはニシン漁場の番人が、疲れて動けなくなったアイヌ女性に対し、働かないなら〆粕にするぞと脅したことだと言われています。当時、ニシンは大我麻でゆでて、油を取った残りを絞って〆粕にし、上質な肥料として本州に送っていたのです。この戦いで多くの血が流れ、投降した首謀者37人は牢獄で惨殺されました。》
 これらが明治にアイヌを日本という国に組み込む基盤となった。
 そして、明治維新以降、日本政府は、まるで無人の土地だとばかりに北海道開拓をして行ったのだ。いや、無人な訳はない。まさに西洋の植民地化政策でしかない。

 この章で重要なのは、知里幸恵『アイヌ神謡集』の序(これは、ブログ記事「時空旅人『今こそ知りたいアイヌ』」にも掲載したが)に込めた、「私はアイヌだ」という思いなのだ。
《アイヌという存在を認識してくれる、そういう人がこの本を読むのだと、知里幸恵は考えています。この本はただ自分の覚えていることを残すために書いているのではなく、アイヌをこの世界から消さないために、アイヌという存在を人々の心の中にしっかり認めさせるために書いているのだ。》

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 私は、もし、アイヌ民族も日本人だとすれば(日本人に決まってるじゃん)、日本を単一民族国家だなんて言いきって、歴史の教科書から他民族を消そうとする、日本のマジョリティ気質(マイノリティ排除)を根底から覆さねばならないのではないか。
 これは、学校教育も見直さねばならないことだとも思う。
 なんか、岡本太郎氏がフランスで「民俗学」を学んだことにもつながるんじゃないか。
「私たちは、日本国民だ!」なんて言わせたがることに、ボクは、抵抗していきたい。


100分de名著知里幸恵『アイヌ神謡集』 posted by (C)shisyun


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