時空旅人「今こそ知りたいアイヌ」 | 空想俳人日記

時空旅人「今こそ知りたいアイヌ」

 斎藤幸平氏の現場で学んだ本「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」を読んで、ずっと気になってた。
 気になったと言えば、この本に触発されて、「チッソは私であった」 そして、今回、「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」の【特別回 アイヌの今 感情に言葉を】が気になってたので、アイヌを知りたくなった。
 そのブログ記事に引用した、
《一方で、子どもにアイヌの文化を継承させない選択をする家庭もある。そうすればもうこの問題を子どもの世代は気にしなくてもよくなるかもしれない。だが、いわゆる「アイヌ」像に嵌らないものの、アイヌへの差別に向き合おうとする第三項の当事者は声を奪われている》
 これは、アイヌに限らず、琉球にも言えることだと思うが。
 そして、手にしたのは、時空旅人「今こそ知りたいアイヌ」だ。

時空旅人「今こそ知りたいアイヌ」01

 ホモサピエンスは、古く30万年~20年前にアフリカで誕生し、長い時間をかけて北や東へ移動していった。そして、日本にも。その頃は、日本は、日本海を湖のように大陸と繋がり取り囲んでいた。

時空旅人「今こそ知りたいアイヌ」02

 その後、北方民族は、たくさん生まれていった。

時空旅人「今こそ知りたいアイヌ」03

 ただ、時空旅人を読んで、改めてアイヌ文化が、北の日本の中でも、古くから形成されていたわけではないことを知った。旧石器⇒縄文⇒続縄文⇒擦文、そしてアイヌの時代。本州では、鎌倉時代だ。ちょうど、源頼朝が征夷大将軍になる頃。征夷とは、蝦夷を征伐することなのだが。これは新鮮だ。民族というと、昔からいらっしゃる方々に、西洋諸国が土足で踏み込んでいく、そういう歴史と同じように、古く阿倍比羅夫など和人が土足で踏み込んでいったと思っていた。

時空旅人「今こそ知りたいアイヌ」04

 が、その頃は、北方でも、多くの先住民族がいたのだ。その歴史のなかでは、勢力争いばかりじゃなく、交易もしていた。そして、鎌倉時代にアイヌ民族としての流れが始まり、その後も、和人との交流はあったものの、まさに土足で踏み込んだいったのは、文明開化の西洋かぶれが始まった明治維新以後なのだ。西洋諸国のやり方をモノマネする、そこには、植民地化精神も含まれていたのだ。
 目を見張るのは、アイヌ文化には、ヤマト文化と違って、弥生時代がない。ボクが岡本太郎の本を読んでいるうちに思ったのだけど、弥生文化、いわゆる農耕文化が始まると、人間は争いをはじめる。
 西洋では、とっくの昔、争いを始めているのに、日本では、まだノホホン社会だった。それは、西洋から中国を通して、日本にやってくる。その時間差もあると思う。
 先にも述べたが、だいたい、人間は、今の現世人間は、アフリカで生まれ、食糧となる動物の移動と共に、大移動している。当時まだ大陸続きの日本には、北からマンモス、南からナウマンゾウ。食い物を求めて移動したのだね。
 そして、日本の中心であるヤマト文化は、農耕社会を築いて弥生時代を迎えるけど、北方では、ずっと縄文文化なんだね。米作に適しない環境であることも言えるけど、狩猟時代が続く。

時空旅人「今こそ知りたいアイヌ」05

 そして、和人とはちがう続縄文時代を経て、オホーツク民族と統合するように、アイヌ文化が生まれた。和人の世界は弥生文化から中央集権的な社会へ移行する。
 ここが大事だと思う。西洋と違って、日本では、争うような国家意識はなかなか萌芽しなかった。だが、弥生時代に入り、蓄える者が天下を握る、そんな農耕社会の中で、ヤマトという中央集権的かつ争う気質の世界が生まれた。
 だが、北では、いつまでも縄文文化、狩猟と採取の時代。もちろん、当時のオホーツク文化と交流しているうちに、アイヌ文化は生まれたんだと思うけど、そこには、共に生きる動物たちを食すというなかに、「カムイ」という呪術的な創造主を創出した。これは、岡本太郎氏が言う、芸術の創造とメチャ近しいことだと思えるのは私だけだろうか。
 しかも、このカムイは、一方的な崇高の神ではなく、アイヌと同等の遣り取りをする。だから、カムイの化身のシャチやサケ、彼らが与えてくれる贈り物に対し、「ありがとう」の恩返しをする。恩返しをすることで、また、カムイはアイヌに、贈り物をする。
 あと、アイヌは、文字を持たない。全て、言葉だ。口承の文化だ。文字がないから、今の現代人のように、パソコンに向かってチョチョいと調べることなんて出来ない。全て、伝えられたことは、脳みそに記憶するわけだ。便利システムに毒されて怠惰な脳みそになってしまった和人に比べて、いかに脳みそを駆使してたことか。
 さらには、その言葉の中には、動詞がそのまま、名詞にも使われる。しかも、それは自動詞に限るそうだ。自動詞とは目的語が必要のない動詞だ。他動詞は、目的語が必要。それは名詞にはならないそうだ。あと、アイヌ語には完全動詞というのがある。これは主語も必要としないもの。

時空旅人「今こそ知りたいアイヌ」07

 この本では、こうではないかと、数学の集合の理論で説明してくれている。でも、ボクは、中学までは数学は天才で、高校に入っても数1は一等賞だったのが、数二Bや数三はちんぷんかんぷん。分からん。でも、アイヌの人たちが、この集合の理論に合致する言葉で生活してたということは、ある意味、集団で生きる素養が十分にあって、そういう言語形態になったんだと思う。
 これは「縄文語」も「集合論の原則に厳密に従う」という性質を持っていた可能性が高い、ということだ。何故なら、アイヌ民族は、縄文文化を継承しているからに他ならない。

時空旅人「今こそ知りたいアイヌ」06

 その伝承には、いくつもあるが、アイヌの人たちが語り継いだ『アイヌ神謡集』というのがある。知里幸惠編訳。その序、少々長いけど、全文。

「 その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀さえずる小鳥と共に歌い暮して蕗ふきとり蓬よもぎ摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝かがりも消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円まどかな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく.
 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて,野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ.僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり.しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう.
 その昔,幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう.
 時は絶えず流れる,世は限りなく進展してゆく.激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも,いつかは,二人三人でも強いものが出て来たら,進みゆく世と歩をならべる日も,やがては来ましょう.それはほんとうに私たちの切なる望み,明暮あけくれ祈っている事で御座います.
 けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.
 アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は,雨の宵,雪の夜,暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました.
 私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます.

  大正十一年三月一日」

 彼女は、アイヌで伝承されている口述文化を、金田一京助氏のもとで、日本文に著した方だが、残念ながら、金田一京助氏のもとで、19歳の若さで心臓病で亡くなった。
 あと、彼女の弟さんで、アイヌ言語を徹底研究されてい知里真志保さんのことも掲載されている。改めて、「時空旅人」って、「徳川家康」でも感心したけど、素晴らしい本だ。

時空旅人「今こそ知りたいアイヌ」08

 岡本太郎氏が縄文土器を見て、その縄文様の芸術性に驚嘆したのは、そこに縄文文化の精神性まで嗅ぎ取ったのではなかろうか。では、縄文文化の精神性とは? それこそ、まさしく、アイヌ民族が継承してきた生き方だ、と思う。
 詩人で古布絵作家の宇梶静江さんの文章が心に響く。
《神々が創造された地球、その大地、山川草木を敬い、そして、ほんの数百年過去の自然を蘇らせなければ、いまの子供たち、これから生まれ生まれる子孫たちに対して申し訳がたたないでありましょう。》
《大自然の母によって誰にでも、分け隔てなく与えられた大地であった、この崇高な大地の恵みを分け合って、助け合って、共に生きるための仕事に勤しむ。民族の魂しいが込められた仕事の再生が始まりました。》
 アイヌは縄などの生活道具を「魂しい」あるものとして敬ってきたのだ。

時空旅人「今こそ知りたいアイヌ」09

 アイヌも和人も日本人であることに変わりがない、でも、アイヌは、和人と違って、この世界を支配しようとはしていなかった。彼らは、共生が大事だと思って生きてきた。だから、アイヌとカムイは同等の存在なのだ。
 大和朝廷を築いた和人は、その後、自然界をないがしろにし、敵対する人間同士で争いを繰り返していった。いかに愚かなことか。そんな時代でも、アイヌは、戦いはあったが、自然のカムイと自分たちが生きていく、その糧を築いて日々を営んできた。
 学校の歴史では学べないことが、ここには書かれている。それは、学校の授業が、いかに、体制のいいように作られてるかということだ。ボクらは、学校で学ぶことに対し、怒りをもって、「それ、違うんじゃないの!」を叫ぶべきだと思う。
 学校の教科書は、日本で生きるなら、これくらい学んで大人しくしてなさい。しか書かれていない。
 そこには書かれていない、過去にもダイナミックに生きた名も無い人がいっぱいいることを、ボクらは知らねばならない。それは、カムイと共に生きたアイヌの仲間たちだ。
 
 些細なことだけど、ボクたちが朝昼晩、生きていた動物や植物が並ぶ食卓に向かって、「いっただっきまーす」「ごちそ~さま~」と言うのは、そういうことなんだよな、改めてしみじみと感じた。


時空旅人「今こそ知りたいアイヌ」 posted by (C)shisyun


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