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歴音138.幸せの黄色・前編(秋うた.4)



クリスマスが終わり、いよいよ年末ですね。
2023年の最後のコラムは、まだ終了していなかった「連載・秋うた」のシリーズの最終回の前編です。

もう、日本各地は、すっかり冬景色ですが、「秋うた」の最後は、あの紅葉の黄色(黄紅)のお話し…。

つい先日まで、イチョウの美しい黄色に目を奪われていたと思っていたら、冷たい雪まじりの北風が一気に吹き飛ばしていきました。

今年は、あっという間の黄色!


◇神の池の黄色

下記映像は、信州(長野県)の茅野市(ちのし)にある、諏訪大社に関係の深い「御射鹿池(みしゃかいけ)」の黄葉です。

ここは、諏訪大社が、かつて、神に捧げる鹿を探した地域です。
昭和初期に作られた人工のため池で、強酸性のため生物は住めません。

この風景どこかで… そうです、東山魁夷(ひがしやま かいい)の名画「緑響く」のあの風景です。
名画「緑響く」には、鹿ではなく、白い馬が描かれました。
名画は美しい青緑色ですが、秋の黄色も素晴らしい!

信州出身の私ですが、死ぬまでに、「御射鹿池のほとりに立つ鹿」の光景を見てみたい…。



◇黄色の大都会

私は思います。
東京が一年でもっとも美しいのは、この1~2週間だけの黄色の季節!
東京観光は、どうぞ この黄色の東京へ!

東京の黄葉

 

・丸の内 行幸通り(1分8秒)
・明治神宮外苑(2分50秒)
・昭和記念公園(5分47秒)
・日比谷公園(9分30秒)
・東京大学(13分24秒)
・明治神宮外苑ライトアップ(17分59秒)

何年経っても、人間のチカラでは、これほど壮大な飾り付けをすることはできませんね。
人間は、地球の自然には、永遠に勝てない!
特に、東京の神宮外苑は…。
イチョウの樹木は、数百年 生き続けるよ!
大都市 東京の歴史は、まだ、たかだか…。


◇超長寿の黄色

兵庫県の丹波篠山市(たんばささやまし)の「弘誓寺・宇土観音(ぐぜいじ・うどかんのん)」にある、建ち並ぶ 荘厳な堂塔伽藍にも負けない存在感のイチョウの樹の映像です。

樹齢は約500年…日本史の1500年頃は、室町時代で、戦国時代の入口。
1477年に「応仁の乱」が終わり、1490年に足利義政が銀閣寺を建て、雪舟が水墨画を描き、1560年に織田信長が「桶狭間の戦い」で勝利。
500年あまりの年月…どれほどの数の人たちが、このイチョウを眺めてきたことか…。

イチョウは、世界最古の現生樹で「生きている化石」。
約3億年前から地球にいます。
人間ではなく、植物が地球の覇者であることは、本当は変わっていないのかも…。
3億年前も、黄色の地球…。

 

 


◇一陽来復・一陽来福

さて、先日の12月22日は「冬至(とうじ)」でしたね。

北半球では、昼(日の出から日没まで)の時間がもっとも短く、夜の時間がもっとも長い日です。
今年2023年は 12月22日でした。
23日以降は、昼の時間が長くなり始めます。

東京の冬至でいえば、午後4時半頃になると、そろそろ窓のカーテンをしめようかなという時刻です。
午後5時頃では、かなり暗いですね。

日本の冬の本格的な寒さや降雪は、この冬至から始まり、1月下旬の「大寒」頃に、寒さが最高潮に達するともいわれていますね。

* * *

日本の古くからの季節区分の基準とされた「二十四節気」は、一年を春夏秋冬の四つに分け、昼がもっとも長い「夏至」、昼がもっとも短い「冬至」、「春分」、「秋分」の四つの分かれ目が、暦の重要な基準とされました。

「冬至」は、日照時間がもっとも短く、お日様(太陽)のチカラが一年でもっとも弱くなると考えられ、「死」や「衰弱」を連想させ、恐れられてきた日でした。
科学などまったく無縁の時代の庶民には、あまりにも理由のわからない、こうした自然現象は、神や魔物のチカラ以外に考えられませんでしたね。

ただ、この冬至の日以降は、日照時間が延びていくことから、マイナスに向かうイメージの「陰」のチカラが冬至の日に極まり、翌日からは、プラスに向かうイメージの「陽」のチカラが増していくという、運気の転換点として「冬至」が位置づけられていました。

* * *

冬至を、「一陽来復(いちようらいふく)」という別の言葉であらわすこともありますが、これは、前述の運気の転換点を境に、「これまで悪い方向に向かっていたものが、良い方向に向かい始める」、「夏至を境に、陰のチカラが増してきていたものが、冬至を境に、陽のチカラが戻り始める」という意味を込めた表現です。

「一陽」が冬から春の兆しに向かうという意味で、「来復」とは再び戻って来るという意味です。
今は、「一陽来復」の漢字表現を、「一陽来福」という漢字に あえて変更しているお寺もありますね。
運気、幸運、邪気などを強く思い起こさせる「冬至」の日です。

さあ、冬至を過ぎたら、運気アップだ!


◇日本の冬至は、いい湯だな!

江戸時代の銭湯業界は、寒い時期に、この「冬至」を使って、集客を伸ばすため、ひと商売 考え出します。

「冬至(とうじ)」といえば、もちろん「湯治(とうじ)」。
「湯治」とは、もちろん、昔からある温泉療養を意味しますね。
温泉は遠いけれど、フロ、ふろ、お風呂…街の銭湯へGO!

* * *

もともと日本の風呂は、サウナのような蒸し風呂から、半身浴に、そして湯に完全につかるかたちに変化していきました。
戦国時代には、湯につかる習慣がすでにあったと思われます。
今では、シャワー、気泡の出るジャグジー…。
お猿も、カピバラさんも入ります。

江戸では、1600年代の江戸時代の元禄の頃に、銭湯が急速に広がり、蒸し風呂形式の銭湯や、湯につかる銭湯、さらに、船にお湯を入れた大型の浴槽を積んで、川をのぼって、船着き場にやってきて、江戸の労働者を入浴させた「湯船(ゆぶね)」もありました。
まさに「湯船」が移動しながら、庶民のもとに やって来ました。
今の「屋形船」に大きな湯船のお風呂が付いているようなものですね。

江戸時代に、お湯を沸かす技術もさらに進化していき、江戸では、猛烈な勢いで銭湯が増えていきました。
そして、入浴や銭湯に関連する新商売や職業がどんどん生まれてきました。

* * *

日本の銭湯システムは、水が豊富で、火山だらけ、温泉だらけ、地震だらけの国に暮らす日本人の精神性、アイデンティティ(独自性・自己認識)が大きく反映している気がしますね。

貧しさ、苦しみ、疲労困ぱい…、みんなでいっしょに入浴して、お湯に流してしまいましょう!
「私が、お背中を…」。
もともと日本の江戸時代の銭湯は混浴でしたが、ほとんど問題は起きませんでした。

温泉・銭湯・お風呂と、日本人との関係… まさに適量適温の、いい湯だな!

* * *

1966年(昭和41)に、草津や伊香保、四万、万座、水上、老神などの温泉地を持つ群馬県の「ご当地ソング」として作られましたが、1968年(昭和43)のドリフターズ版で、日本全国温泉地(北海道の登別、群馬の草津、和歌山の白浜、大分の別府)の歌詞に変更されました。

ドリフターズ
♪いい湯だな(1968・昭和43)

 

加トちゃん… たしか「かみつき湯(熱々のお風呂)」が大好き!
子供たちが お風呂からあがった、昭和の土曜の夜8時は、テレビの前に全員集合!
歯磨いたか! 風呂入ったか! 宿題しろよ!


◇日本の冬至は、黄色の柚子!

さて、植物は、進化の過程で、北方に進出する際に、寒さや雪に合わせた耐寒性を備えていきましたね。
葉の形を変え、皮を分厚く丈夫にさせていきます。

柚子(ゆず)の皮は、みかんなどの他の柑橘類(かんきつるい)と比べると、皮が非常に分厚く、堅く、柑橘類の中でも「寒さ」に圧倒的に強い植物の実となっていきました。
お湯に浮かべたくらいでは、そうそう崩れるような、やわな実ではありません。

その強じんな生命力は、香りを強くし、さまざまな滋養を身に着けていきました。
柚子の効果は、血行促進、消化促進、疲労回復、筋肉痛改善、高血圧予防、むくみ改善、便秘解消、ストレス解消、中性脂肪や悪玉コレステロールの低下…まさに、最強柑橘!
効果の元である「ヘスペリジン」の量は、みかんの20倍、レモンの3倍!

すごいぞ、柚子!
特に、冬の黄色の柚子!

* * *

さて、商売では、よく こんな会話がありますよね。
「今月、資金が足りないのでお金を回してよ」、「うちの店に、優先して品物を回しておくれよ」などの意味あいで、「融通(ゆうずう)してくれよ…」と表現しますね。

庶民の会話の中でも、臨機応変に立ち回る人などに、「彼は、何かと融通が利(き)くよね」と言いますね。

つまり… 銭湯って、融通が利くよね。
なかなか 融通の利く、うまい商売!
安い料金なのに、いい気持ち!
「融通(ゆうずう)が利く」にかけて、お湯の中では「柚子(ゆず)が効く」!

青色の柚子は7~8月が収穫期で、黄色の柚子は10~12月が収穫期です。

江戸の銭湯業界は、ひとっプロ、勝負をかけました。

そうだ!銭湯が喜ばれる寒い季節に、銭湯のお湯の中に、黄色の柚子を浮かべてみよう!
秋の銀杏(イチョウ)の黄色に続け!
三助さん… 黄色の柚子を探してこい!
風呂に浮かべろ!
三助さんは、風呂に入らんでええ!

* * *

日本人のダジャレ好きは、江戸時代以前からありましたね。
江戸は、まさに複合ダジャレ商売のオンパレード!

日本には、決まった日などに、不思議な風習などが残っていることが多いですが、ひょっとしたら、こんな宣伝文句で、寒い時期に、江戸の銭湯業界は がっぽり稼いだのかもしれませんね。

寒い季節は、体調を崩すわ(は)、運気は下がるわ(は)で、ろくなこと ありゃしねえ!
冬至の日は、銭湯でちょっとした湯治はいかが!
銭湯の湯に柚子が浮いているから、いい香り、肌もつやつや…、ついでに運気上昇!黄色の金運でがっぽり!
自分は運が悪いと思う方… 銭湯にお越しあれ!
あなたも、柚子の浮かんだ湯につかって、「湯の子」の「湯子(ゆず)」に なあれ!

お代は、お風呂に入る前だよ!
…そこは、融通 利かせてよ!

 

江戸時代の銭湯業界の広告の話や、「湯子(ゆず)」の言葉表現は、歴史研究家の私の想像も含めて面白おかしく書きましたので、確証は得られていませんが、私の想像では、実際も、そう遠い話ではないと思います。


◇日本の冬至は、「ん」の食べもの!

「冬至」は、前述したとおり、「一陽来復」の運気の転換点!
お湯に入った後は、「運(ん)」の付く食べ物を食べて、さらに運気上昇!
日本人は、「ん(運)」が大好き民族!

「ん」の語が付いた食べ物…、うどん、れんこん、にんじん、きんかん、ぎんなん、かんてん…「ん」だらけ。
一番効くのは「なんきん(かぼちゃ)」!

* * *

「かぼちゃ」は、中国から渡来した「瓜(うり)」として、かつては漢字で「南京瓜(なんきんうり)」と書きました。
その後、「南瓜」と表記し、「なんきんうり」の意味で、「かぼちゃ」と読むようになります。

江戸時代は、食物の「すいか」を、水分の多い瓜という意味で「水瓜」と漢字表現していましたが、アフリカから中国を経て渡来してきた果実のため「西瓜(すいか)」という漢字に変わりました。

江戸っ子は、冬至に、柚子湯(ゆずゆ)で湯治っと くらぁ!
風呂から上って、南京瓜(なんきんうり:かぼちゃ)食って、「運」が付くってなもんよ!
これで、正月の「富くじ(今の宝くじに似たもの)」が当たるってなもんさ!
この、すっとこどっこい! おととい来やがれ!
(東京弁表現)

冬至に柚子湯に入らないのは、正月に初詣しないようなこと…?

今現代の銭湯温泉業界も、飲食業界も、江戸時代の商売人たちのアイデアに負けるな!
観光業界は、「温泉柚子湯のカピバラちゃん」で、いい商売だな…?
ただ、街の銭湯で、カピバラを飼ってはいけません!
柚子の樹木だけにしてね…。

* * *

What's happening?
ニホンジン ハ、トウジ二、 ナニヲ シテルノデスカ?

近年は、西欧の方々も、アジアの超強力柑橘類の「柚子」の存在に気がつき始めた…。

What's yellow ball?
What's yuzu?
あの金メダリストですか?
あの歌手ですか?

「巨大 柚子」がステージに登場!
ゆず
♪虹(2009・平成21)

 


◇幸せの黄色!

私のブログ友だちの、ガーデナー・料理研究家の「翠(すい)」さんが、アメブロに、こんな素敵な柚子ブログを書いてくれました。
具だくさんの「かぼちゃ饅頭」…これは、運気が上りそう!
この鰻… 天然の高級「黄うなぎ」か?
運気向上の、黄色づくしの、おもてなし!

 

 

* * *

今、冬至の柚子湯(ゆずゆ)につかりながら、「年末ジャンボ宝くじ」の大当たりを願って、柚子をかじる人が増えているとか、いないとか…?

私のブログ友だちの、詩人・俳人・翻訳家の「笑い仮面(ブロガー名)」さんが、急な私のリクエストに、あっという間に、すらすら五句を!

さすが、柚子の国「土佐(高知)」生まれの、柚の子!

「いつまでお風呂に入りゆうが。 えいかげんに あがってこんと、お鍋がないなるぞね」

風呂上りは、鍋と、ゆず!ポン酢!
そして、ポンと、また 一句!

 

 

「那須の庭の主」と「仮面ちゃん」の、この度のご厚情に深く感謝申し上げます。

* * *

カピバラちゃんたち…こう見えて、柑橘類が好きじゃない!
よほど腹が減っていないと、かじらない!
とはいえ、まんざら柚子湯が嫌いでもなさそう…、幸せそうな入浴顔!
鼻の下、のばしちゃって!

 

さあ、みんなで柚子湯に入るっぺ!
さすが、日本のカピちゃん…郷に入れば郷に従え!

 

* * *

柚子といい、かぼちゃといい、イチョウの葉といい、「黄色」という色は、何か「幸せ」を感じさせてくれますね。

風景が、冬の白色と黒色のモノトーンの世界になる前に、鮮やかな黄色は、山を、里を、街を、壮大に美しく彩ってくれますね。

「幸せの黄色」のお話しは、来年のブログで、続きを「後編」として書きたいと思います。
「年またぎ」の、幸せの黄色!


◇旅立っていったミュージシャン

2023年(令和5)も、多くの日本のミュージシャンがお亡くなりになりました。
60歳台、70歳台の若さで亡くなってしまった有名なミュージシャンもたくさんおられました。

「日本は長寿社会ではなかったのか。誰だか知らないが、気安く、人生100年時代とか言いやがって…」と、ついクチをついて出てしまいます。
2023年の秋も、つらく切ない別れがたくさんありました。

病気と闘いながら、最期の直前まで歌い演奏し続けていた彼らの生き方には、感動とともに、頭が下がります。
みな、ミュージシャンとしての生きざまを、しっかり私たちに見せてくれた気がします。

旅立っていった多くの日本のミュージシャンたちに、心より感謝し、哀悼の意を表したいと思います。

ここで、三人だけにはなりますが、少し書かせていただきます。


◇シンプルで超強力なメッセージ… KANさん

2023年(令和5)11月、61歳で、病気で亡くなられたKAN(カン)さんの楽曲「愛は勝つ」は、幼児から高齢世代まで、幅広い世代に愛された楽曲でしたね。

「♪信じることさ。必ず最後に、愛は勝つ」という、シンプルでまさに直球ストレートの歌詞の言葉の強さが、すべての世代に届きました。

「愛は、そうであってほしい。愛は、最後には勝利する」…聴いた者たちを、そう思わせてくれる楽曲ですね。
聴いた瞬間に、言い知れぬ「うれしさ」と「勇気」がわき上がってくるような感覚になります。

これほど全世代に届く、わかりやすいメッセージソングは、そうそうありません。
当時、まさか90歳以上の高齢者から「愛は勝つ」という言葉を聞かされるとは…。
でも、高齢者から聞いた、その言葉は、実に美しい!

そうか…、信じていれば、愛を持ち続けていれば、いつかは、何かに勝てるのか!
人は、終わるのではありません。勝利した気持ちで去るのです…。

* * *

当時、多くのラジオ局が、ビジネス度外視で、猛烈にこの楽曲を流していたことを思い出します。

「歴音fun」でも、この楽曲を、毎年3月11日のコラムで掲載しています。
東日本大震災の復興に関連したコラムで、楽曲「愛は勝つ」の震災復興応援バージョンを掲載しています。
これからも、毎年 続けていくつもりです。

この言葉は、未来永劫…チカラを失いません!
勝利を誓う名曲です。

作詞・作曲・歌:KAN
♪愛は勝つ(1990・平成2)

 

2019年(令和元)にスタートした「ムジークエンゲル合唱団」。
… 信じることさ、必ず 最後に、愛も、音楽も、勝つ!
♪愛は勝つ

 


◇その歌声は時を越えて… 大橋純子さん

2023年(令和5)11月、歌手の大橋純子さんが、73歳で、病気で亡くなられました。

私の好きな、彼女の楽曲に、「愛は時を越えて」があります。
私は、90年代は、音楽から少し離れていたのですが、ある時、飛行機の機内で、この楽曲「愛は時を越えて」を機内放送で初めて耳にしました。

遠くの海から朝日が昇り始め、オレンジ色の帯が美しい朝焼けの大空の光景を、飛行機の窓から眺めながら、この楽曲を初めて耳にしたのです。
あまりにも感動し、涙が出そうになり、仕事の苦労と疲れが吹き飛んだのを、数十年経った今でも憶えています。

大橋さんの声だとはすぐにわかりましたが、あまりにも素晴らしい歌唱と、歌詞とメロディで、私の一番好きな、大橋さんの楽曲になりました。

実は、その数年後、大橋さんにお会いした時に、その機内での体験と「苦労と疲れを吹き飛ばした曲」という話をしましたら、「それは、一番ぴったりの場所でお聴きになられましたね。景色のおかげ…」と言っていただけたのを憶えています。

大橋純子
♪愛は時を越えて(1992・平成4)

 

作詞は芹沢 類さん、作曲は織田哲郎さんの楽曲ですが、織田さんが、このような動画を作られています。

さすが織田さん…素晴らしい歌唱です。

 

* * *

大橋純子さんの通夜で、弔辞を読まれたのは、友人で、歌手の松崎しげるさんでした。
ここで、弔辞の一部だけを…。

純ぺえ、オレが弔辞読むなんて、だいぶ よろしくないよ。
まだ、まだ、あんたが息しているような感じがする。
(略)
君は、あんまりお酒が強くないのに、初めて みんなで わいわい騒ぎながら飲みましたね。
それもハワイで。
君は二日酔い、いや、三日酔いで、ひどかった。
あんな純ぺいを見たのは初めてでした。
ハワイで太陽も浴びず、三日間、一人でそうめんを食べていた 純ぺえを思い出します。

いっぱい歌いましたね。
君は、僕にとっての歌姫です。
いなくなって寂しいです。
たくさんの思い出でを、ありがとう。

僕ら…、純ぺえの歌を、歌い継いでいきますよ。
純ぺえ ありがとう、おつかれさま。
さようなら。

松崎しげる
♪愛は時を越えて

 

若い世代も、しっかり歌い継いでくれています。
えびなユース合唱プロジェクト(神奈川県海老名市の学生さん他)
♪愛は時を越えて

 

* * *

この歌の歌詞の一部です。

♪あなたとめぐり合えた喜びが
♪私を励ますのよ
♪時を越えて、いつも心は
♪あなたと生きていく

私は、同じ時代の日本で、大橋純子という歌手と、その歌にめぐり会えたことに大きな喜びを感じています。
まさに、この歌の歌詞のとおり、私の人生で、大橋さんの歌を聴けて本当によかった。

♪あなたに会えなくなる日が来ても…
時を越えて…、あなたと生きていく。

これからも、時を越えて、愛していくであろう歌手と音楽です。
私はこれからも、飛行機に乗るたびに、青い空を見るたびに、大空の向こうの大橋さんの歌声に耳を傾けるのだろうと思います。

* * *

北島三郎さんや尾崎紀世彦さんの元で、実力を磨いていった彼女は、自身の同じ楽曲でも、さまざまな歌い方ができましたね。
大橋純子(別バージョン)
♪愛は時を越えて

 


◇待っている人がいる… 谷村新司さん

そして、もうひとり… 谷村新司さんも、2023年(令和5)10月に、74歳で、病気で亡くなられました。

彼の歌手として実績については、もはや、ここで書くまでもないと思います。

世の中には、独特な雰囲気で、あまりにもソフトな語り口調でしゃべる方がおられますね。
とはいえ、そうそう出会うものでもありません。

私も、長い人生で、これほどソフトな語り口調の方は、プライベートでも 仕事でも、数人しか思い出せません。
やさしいだけとも違う、柔らかいだけとも違う、何か独特で、ふんわりと包み込むような雰囲気と語り口調です。

文章では、その口調について、なかなか説明できませんが、しゃべるときに使う用語の選択も含めて、その独特でソフトな語り口調は、ずっと耳に残ります。
時に、あまりにも心地よいので、語る内容が頭に入ってこなくなり、その口調音声に聞きほれることさえあります。
そうそう 他人がマネのできる口調でもありませんね。

私にとっての その数人のひとりが、谷村さんでした。

* * *

私が 谷村さんと最後にお話ししたのは、2000年代だったと思いますので、20年程前だと思います。
谷村さんは、2004年(平成16)から、中国の上海音楽院で、学生たちに音楽の教べんをとっておられました。
私は、最後にお会いした時に、主に中国の話をした記憶があります。

その中で、私は、谷村さんに、「あの名曲『昴(すばる)』は、中国や東南アジアでもたいへん有名な人気曲なのに、それが日本の楽曲であること、まして谷村さんの作った楽曲であることを、現地のほとんどの方は知りません。残念でなりません。もともと中国や東南アジアでは、著作物の権利や、創作した人間の権利や才能など、作品の奥にあるものにあまり目が向かず、(現地の)歌手や作品の人気度ばかりに注目していますね。」と話したことを憶えています。

谷村さんは、柔らかな「ゆるキャラ」のような、いつもの優しいお顔で、そして、あのソフトな語り口調で、笑っておられました。
とにかく 谷村さんは、その笑顔を思い出す方ですね。

* * *

今の時代も、個人の自由や権利の保障されていない国々では、芸術作品や芸術家が成功しにくく、音楽家が自由に活動しにくいのは変わっていませんね。
本来は、相当な才能がたくさん眠っているはずなのに…。

谷村さんに教べんを依頼した中国の担当者は、音楽のこと、日中関係のこと、中国のことを、おそらくは十分に理解した上で、日本人の谷村さんに依頼したものだろうと想像します。
快く依頼を受けた谷村さんと同様に…。

谷村さんが、生前に述べておられていたとおり、どのような日中関係になろうとも、一般レベルの交流を続け、お互いの国を知り合うことは大切なことであろうと思います。
音楽が、昴(すばる)の星が、谷村さんの楽曲が、その架け橋になれば…。

* * *

それにしても、谷村さんの音楽作品には、彼のソフトな口調と雰囲気がにじみ出ている気がしますね。
あの語り口調だから、歌も あのように聴こえてくる!
力強い応援の歌詞も、何か やさしい!

その歌詞やメロディは、時代を越えて、これからも、聴く人に勇気や希望を与え続けていくことだろうと思います。
特に、昭和生まれの世代は、生涯にわたって…。

* * *

あまりにも素晴らしい音楽作品を多数残された谷村さんでしたね。

谷村さんの作品には、「さよなら」「去る」「死」が よく登場します。
「さよなら」は、別れの言葉ですが、同時に出発でもありますね。
「さよなら」を越えた先に、別の世界が、別の自分がいることを、谷村さんの楽曲は、私たちに教えてくれていたのかもしれません。

谷村さんの「さよなら」は、何か、この言葉にも聴こえてきます。
あのコンサートでの決め台詞!
サンキュ~! ありがとう!

まるで、悲しむ私たちに向けての、天国の谷村さんからのメッセージのよう…。
♪最後の言葉だ…ありがとう!
「こちらこそ、ありがとう! かけがえのない谷村さん」。

 

アリス
♪夢去りし街角

 

谷村さんも、イチョウの黄色に想いを抱きながら見ていたはず…。
アリス
♪それぞれの秋

 

たいへんな病気ではありましたが、その旅立ちの日は、きっと「いい日」であったことを願います。
私たちは、待っていても、もう谷村さんに会うことはできません。
ですが、歌詞にあるように、谷村さんを待っている天国の方々のところに、旅立たれたのですね。
それなら、きっとまた、いつか、お会いできますね…。

私は、谷村さんが残された音楽作品の歌声を聴きながら、あの笑顔とソフトな語り口調を、生涯 思い出していくのだろうと思います。

谷村新司
♪いい日旅立ち

 


◇希望の朝陽

さて、「歴音fun」の、昨年2022年の最後の締めの曲は、歌手で女優の山口いづみさんの楽曲「緑の季節」でした。

私は、この楽曲の歌詞の中にある下記の部分が、昔から大好きです。
♪ラララ ランラン ラララ~ 緑の季節
♪連れていって、連れていって
♪私の幸せのあるところ

(故)安井かずみさんの素晴らしい歌詞の世界のお話しとともに、昨年最後のコラムの中で、締めの曲として、新しい年に向けて、選曲しました。
山口さんにも喜んでいただきました。

山口さんは、今も、楽曲「緑の季節」を含め、精力的に音楽活動やお芝居の舞台などをされておられます。
あの、やさしい雰囲気と若さと美貌は、昔のままの季節!

いつかは、新曲「黄色の季節」も、お願いしたい…。

 


山口いづみ
♪緑の季節(1972・昭和47)

 

* * *

今年2023年(令和5)の「歴音fun」の最後の締めの曲は、何にしよう…?
実は、あの曲しかないと、10月の その時に決めていました。

♪あえて言おう…2023年に、さよならと。
♪陽はまた昇る、どんな人の心にも…。

もちろん、谷村新司さんの楽曲!

2024年(令和6)の新年の朝陽も、天気がどうであろうと、必ず昇ってきます。
雲に隠れて見えなかったとしても…。
どんな困難な世界でも…、苦境の人々にも…。
そして、あなたの心にも…。

どうか 希望の朝陽を…。
朝陽の光りの中に、あなたの希望は あります。

♪明日のあなたのために、あえて言おう…さよならと

 

谷村新司
♪陽はまた昇る

 

* * *

2023年も、「歴音fun」をご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。
2024年の最初のコラムで、またお逢いしたいと思います。

皆さま… どうぞ 良いお年をお迎えください。

2023.12.28 天乃みそ汁

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