積水ハウスの歌。ドヴォルザークの交響曲「新世界より」。「家路(遠き山に日はおちて)」と防災無線放送。積水ハウスとセキスイハイム。企業は音楽を捨ててはいけない。ジョン・ブラウンのしかばね。8050問題。この木なんの木。昭和の企業競争。昭和時代の夢の家。日本経済。村上ゆきさん・小林亜星さん。

 

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各コラムで紹介した曲目リストは、「目次」で…

  

あの曲や動画はどこ… 音楽家別作品

 

*今後の予定曲

 

音路(15) 待っているんです… 家が



◇ハウスとホーム

「音路シリーズ」の前回コラム「音路(14)Let it be ~ 止まるのではなく前進すること」では、癒しの楽曲を紹介しました。
今回も「癒し系」の楽曲をご紹介します。
この「歴音 fun」は歴史ブログでもありますので、ちょっとした歴史話しも加えていきます。

* * *

今回のテーマは、「家」です。
英語では、「ハウス(house)」や「ホーム(home)」などと表現されますね。
英語での両者の違いは、その見た目と構造、意味合いにあります。

「ハウス」は一戸建ての一軒家で、建物そのものを指します。
場合によっては米国の「ホワイトハウス」のような大きな建物の場合にも使います。

「ホーム」は、もっと広く「自分の家」のような意味合いですね。
ですから「ホーム」は一戸建てだけではなく、マンションやアパートなどの一室の場合も含め、何か「わが家の空間」のようなものをイメージさせます。
そして、それはその構造物だけでなく、その中にある「家庭」をも意味します。

さらには、自身の故郷、自身の地盤とか拠点(ホームグラウンド)などを意味する場合もあります。
そのような違いが、「ハウス」と「ホーム」にはありますね。

* * *

日本には、「住宅メーカー」、「ハウスメーカー」と呼ばれる企業がたくさんありますね。
その企業名やブランド名、キャッチコピーなどの中に、「ハウス」や「ホーム」という名称が入っている場合もたくさんあります。

積水ハウス、ダイワハウス、ミサワホーム、三井ホーム、三井のリハウス、トヨタホーム、へーベルハウス、タマホーム、パナソニックホームズ(旧パナホーム)などたくさんあります。
もちろん「ハウス」や「ホーム」を使用しない名称も無数にありますね。

* * *

今回のコラムでは、その中で、「積水ハウス(セキスイハウス)」に関する音楽について書きます。
建築される建物のお話しではなく、音楽のお話しですが、まずは簡単に「積水ハウス」のことを書いておきます。


◇積水ハウス

「積水ハウス」の企業公式サイトには、まず、次のような文言が記載されています。

1960年の創業以来、「人間愛」を根本哲学に、「お客様本位」の住まいづくりを進めてきました。
「SLOW&SMART」をブランドビジョンに掲げ、先進の技術で快適な暮らしを実現する住まいを提供します。

さらに、次のような主旨のことが記載されています。
大きな特徴として、家族ごとの理想をかなえるオーダーメイドであること、そして、大きなリビング空間の中で、家族のつながり、楽しさ、生きがいを育むことができるということが、強調されています。

まさに、それらを伝えるようなテレビCMが、たくさん作られ続けています。

* * *

皆さまも、ここでお気づきかと思いますが、「積水ハウス」とよく似た名称に「セキスイハイム」というものがあります。
「ハウス」と「ハイム」の違いです。

「セキスイハイム」のテレビCMは、俳優の阿部寛さんが「ハイムさん」の格好をして、いろいろな種類のシーンの映像があります。
「♪帰りた~い、帰りた~い」のあの楽曲で知られたテレビCMです。

実は、同じ「積水(セキスイ)」とはいっても、別の企業です。

「積水ハウス」は、積水化学工業のハウス事業部が、1960年に独立した企業です。
「セキスイハイム」は、企業名ではなく、積水化学工業という企業が行う、主力事業の住宅建設のブランド名です。

* * *

積水化学工業は、もともとプラスチック関連の工業技術を持っている企業ですので、現代の、部材を工場で製作し、ある程度できあがったユニットを現地に運び組み立てるという建築方法や分野には、非常に精通しているといっていいと思います。
「セキスイハイム」という名称は、1970年頃に始まったようです。


◇秀吉ハウス

このブログ「歴音 fun」は歴史ブログでもありますので、少し歴史にふれます。

建築部材をある程度、別の場所でユニットとして製作し、そのユニットを現地に運び、あっという間に建物を建てるという方法で、大成功した戦国武将が、あの豊臣秀吉です。
当時の名は、木下藤吉郎です。

織田信長の家臣だった頃ですが、織田軍団は、土木建築技術に相当に優れていましたので、それまでになかったような工法や技術を次々に世の中に誕生させました。
信長は、敵との戦闘に備え、大規模な土木工事をたくさん行って、ワナを仕掛けた武将でした。
おそらく、土木建築部門の精鋭部隊が織田軍にはいたと思います。

* * *

岐阜県の長良川上流域の山奥で、密かに材木を切り倒し、ある程度までユニットを製作し、それを長良川を使って流して運び、岐阜に短期間で城を完成させました。
耐久性という意味では、従来の長期間で作られた城にはかないませんが、目的は、戦闘で敵に勝つことでした。
統治の城ではなく、一時的な戦闘用の城です。
とはいえ、この頃から城の建築方法は劇的に変わっていきます。
秀吉のお話しはここまでにします。


◇激烈な競争

いずれにしても、「積水ハウス」は、積水化学工業から独立した、かつての同社のハウス事業部を中心とした企業で、「セキスイハイム」は積水化学工業がその後に始めた住宅建設分野のブランド名ということになります。

それだけに、この両者には、それぞれが考える「家の理想像」や「得意とする内容」が異なって見えてきます。

* * *

今、住宅メーカーはみな、それぞれの強みを伝えるような宣伝活動や、企業活動を行っていますね。

この積水ハウスと積水化学工業の両社は、特にテレビCMにもチカラを入れており、それぞれ独自のオリジナル音楽にも、並々ならぬものを感じます。
どちらも、耳に残る素晴らしい楽曲で、非常に違いを感じる内容です。

積水化学工業の「セキスイハイム」には、元は同じ屋根の下で、同じ釜の飯を食らった「積水ハウス」への対抗心は、心底に並々ならぬものがあっても不思議はありませんね。

* * *

日本は戦後、巨大になりすぎた企業財閥グループを解体したり、さまざまな大企業グループが枝分かれしていきます。
その中で、細かく分かれていった企業は、協力し合うのではなく、激烈な競争の戦いを行いました。
この激烈な国内競争こそが、外国の技術をどんどん吸収させ、研究開発を活発化させ、国内でますます技術力が増していきました。

まさに、世界で戦うよりも、国内の戦いに勝ち抜くほうがたいへんです。
こうした現象こそが、日本を世界のトップの経済力と産業力に引き上げていきました。

戦国武将も、企業も、人も、競争がなければ、強くも、成長も、そして、やさしくもなりませんね。

今現代は、日本の技術力を学んだ外国の強力な勢力に対して、かつての国内ライバルどうしでかたまったり、チカラが弱まった者どうしで集まったりして、強力な外国勢に対抗していますね。
ある意味、防戦一方に見えないこともありません。
本来は、国内競争があってこそなのでしょうが、仕方がないかもしれません。

もはや国内勢での連帯をやめた日本企業も多くいます。
今、日本は、分かれ道にさしかかっているのでしょうね。

* * *

今回のコラムは、積水化学工業ではなく、住宅分野で「一日の長(いちじつのちょう)」である、積水ハウスのテレビCMの楽曲のことを書きます。
阿部寛さんの「ハイムさん」のお話しは、また別の機会に…。


◇積水ハウスの歌

この楽曲は、「積水ハウスの歌」と呼ばれ、今や、いちCM曲の域を脱し、日本のスタンダード曲とも呼べるほどの認知度を持っています。

前回コラムでとりあげましたビートルズの楽曲「レット・イット・ビー」と同じ1970年に、この楽曲は誕生しました。
それ以降、いろいろなバージョンが作られ、ますます進化拡大しています。
おそらく日本の半分以上の人が、一度は耳にしていると思います。

まずは、今もっとも認識されていると思われる、歌手の「村上ゆき」さんの歌唱バージョンを下記にご紹介します。
村上さんの、やさしく甘い歌声は、このメロディと歌詞をさらに高みに引き上げていますね。
後で書きますが、この楽曲は、その世界観こそが最大の命です。

♪積水ハウスの歌・50周年バージョン(歌:村上ゆき さん)

 

上記のこの音楽動画のユーチューブ・ページには、歌詞が記載されています。
作詞は、羽柴秀彦さんです。

 

* * *

 

村上ゆき さんのライブ映像で…

♪積水ハウスの歌

 

歌詞は、時代ごとに、いろいろな種類があるようです。

作曲は、以前のコラムでアニメ「ガッチャマン」の主題歌を取りあげましたが、同じ作曲者の小林亜星(こばやし あせい)さんです。
小林さんは多くのCM曲を作れらた方で、昭和の大ヒットドラマ「寺内貫太郎一家」の貫太郎役を演じた方ですね。
いずれ、別のコラムで、小林さんの作曲された楽曲「夜がくる」も、音路シリーズで取り上げる予定です。

* * *

この歌詞の中でも、テレビCMの中でも、もっとも重要な歌詞として、
「この街に、この家に、こころは帰る。家に帰れば…積水ハウス」という名フレーズがあります。

仕事のあと、学業のあと、旅行のあと、買い物のあと、遊んだあと、ひとの心は、自身のそのハウスに帰っていくというのです。

「いつでも、いつまでも、ひとは家を想う。やすらぎと、しあわせを、だれでも願う」というフレーズも出てきます。

積水ハウスという企業が考える、家の理想像、暮らしの理想像が、この歌詞の中に、このメロディの中に、強く込められているのだろうと感じます。
そして、この歌詞とメロディが、多くの日本人にしっかり受け入れられたのだろうと思います。

* * *

この楽曲は、驚くほど多くのプロや一般市民の合唱団によって歌われています。
1970年代から、絶えることなく、ずっと続いています。

いってみれば、「荒城の月」とか、「この道」とかと肩を並べるほどにまで来ていると、私は感じています。
あるいは、それら以上の、バリエーションの多さと認知度です。
大ヒット曲「世界にひとつだけの花」でさえも、まだこの曲の域にまで来ていないとも感じます。

* * *

近年は、多くの一般市民が、この曲を、いろいろな楽器で演奏したり、歌ったりした動画を、ユーチューブなどにアップしています。
たいへんな量です。
オモシロ替え歌まで誕生しています。

まさに、単なるテレビCM曲、企業の曲という域を越えて、50年間生き続け、さらに成長進化し続けている曲です。

どれだけ、この企業に恩恵をもたらしたことでしょう。
私は、この曲があったから、積水ハウスで、自身の家を建てたという方も少なくなかっただろうとも感じます。


◇企業は音楽を捨ててはいけない

「積水ハウスの歌」によく似たタイプの企業曲に、あの日本を代表する大企業グループの、「この木なんの木、気になる木…」という歌詞の歌がありますが、最近、めっきり耳にしなくなりました。

私が個人的に考える、この曲での「もったいなかったな」と思う点は、企業名が歌詞に入っていなかったことです。
これだけ有名な曲なのに、歌詞のとおり、企業の「名前も知らない」になってしまいました。

「木」や「大樹」と、企業グループの巨大組織との関係性も、よく理解できていなかった一般市民も多かったですね。
この巨大企業グループが、日本の戦後復興と高度成長をどれだけ支えたかと思うと、名曲の中に企業グループ名が残らなかったことは、少し残念です。

歌詞のどこかに企業グループ名が入っていたら、きっと若木や大樹はそのことだと、皆すぐに認識できたのではないだろうかとも感じます。
一定期間の時代の「いい曲」だけで終わってしまったのかもしれません。
ちょっとアプローチが高尚すぎた…?
歌詞が庶民から遠かった…?

今でも生き続けている「積水ハウスの歌」との違いは、そのあたりにもあったのかもしれません。
でも、復活を期待しています。

企業は、音楽を捨ててはいけない…、私はそう感じます。


◇なつかし昭和時代

積水ハウスは、この有名になった楽曲に頼っていただけではありません。

まさに、音楽が作り出す世界観を、上手にビジネスに活かし、そのための努力も惜しまなかったともいえます。
音楽分野へのチカラの入れ方は、並々ならぬものがあります。
たしかに、いい家や、いい家庭には、いい音楽が流れているような気もしてきます。

ここから少しだけ、積水ハウスの企業音楽活動について書きます。

* * *

昭和の時代は、今ほど、テレビチャンネル数もなく、テレビ放送にとって、インターネットやゲームなどの強力なライバルもなかった時代です。
軒並み高いテレビ視聴率があり、テレビは手軽で最大の庶民の娯楽になっていたともいえます。

昭和の時代の、庶民の「三種の神器(じんぎ)」は、2期ありました。
まずは、1950年代の、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫です。

それが家にそろった後は、1960年代の三つの「C」です。
カラーテレビ、クーラー(エアコン)、カー(自動車)の三つです。
2期目の品々は、もちろん必要のない家庭は、すぐには手を出しませんでした。

三つの「C」よりも、まずは、使い勝手の悪い、狭い、古い家を建てかえよう…こういった人々も相当にいましたね。
アメリカからきたホームドラマも大流行…、あんな広い家に住みたい…、2階があれば景色もいいぞ…、夢が広がる60年代、70年代でしたね。

開き戸じゃなくて、ドアだぞ…ドア…。
まさか、自宅に駐車場だぞ…。
お前…ピンポンってさわったことあるか…。
オレンジ色の瓦を見たことあるか…。

そんな70年代に、この家のテレビCMと名曲が、丸型の「ちゃぶ台」のある「お茶の間」にやって来ました。
この「家の曲」、心に響くよな…。

父ちゃん、家 買ってよ…!
来年になったら、給料は倍になる。
月賦(げっぷ)で買うぞ! 月賦で!
そこで、ゲップするな!
それまで大五郎のように「我慢の子」でいろ!

そんな会話があったとか、なかったとか…。
この会話を笑った方は、どっぷり昭和世代ですね。

* * *

今現代であれば、この曲「積水ハウスの歌」は、帰る家をイメージし、郷愁に浸るのかもしれませんが、70年代当時であれば、自身の未来の家であり、理想の暮らしであったのかもしれません。

下記は、スリーグレイセズが歌っていますので、初期の頃のテレビCMだと思います。

玄関までの階段アプローチ、最下階にフォルクスワーゲンとヤシの木ですから、相当な豪邸ですね。
まさに「夢の家」です。
キャッチコピーでも「ゆとりの住まい」と言っていますから、その後の「こころは帰る、家に帰れば…」とは、相当に路線の方向性が違っています。
歌の歌詞も、前述の村上ゆきさんの歌とは違います。

初期の頃のテレビCM


積水ハウスのテレビCMは、誕生当初と今現代では、その方向性がかなり違っていたことがわかりますね。
この70年代の時代であれば、こうした方向性が大正解だと感じます。

今現代が向かっている、「格差二極化時代」には、どう対応していくのでしょうか…。


◇癒しの方向に

80年代頃のテレビCM動画が、ネット上に見つけられませんでしたので、下記に、おそらく2000年以降と思われるテレビCMを列挙しました。
他にも、たくさんのCM映像や、音楽バージョンがあると思いますが、ごく一部です。

一連のテレビCMの特徴のひとつが、ある時から、犬が登場したことです。
犬をペットとして飼う家が70年代頃から急増しましたね。
まだまだ家の中で飼う家は少なかったですが、このテレビCMでは、すでに大空間の部屋に犬が鎮座しています。
犬が登場する感動物語が、これまた人の心をつかみましたね。

CM「少年と犬」(少年の成長と犬)


CM「ラブソング」(家で待つ犬)


CM「また、ここで」(少女の成長と犬)


CM(部活最後の日)


CM「子供の世界」


CM「家族の詩」


CM「吹奏楽」

 

なんとシャンソン風です。

CM「積水ハウス」賃貸バージョン(演:山本美月さん)


こんな「お月見」を、生涯に一度は経験してみたいものです。
積水ハウスなら実現させてくれるのか…。
CM「天気雨」(演:天海祐希さん)


もはや言葉は無用、高級感たっぷりです。
CM(積水ハウス・グランメゾン)


青春の香りいっぱいです。
♪剛力彩芽さんの「ぼくらの街の積水ハウス」CM映像と歌:アルケミスト

 

村上ゆき さんが歌う英語バージョン。

途中に、後で書きます、ドヴォルザークの「家路」のメロディが…。
♪積水ハウスの歌(いろいろな帰宅シーン)

 

八代亜紀さんが歌う…

♪積水ハウスの歌

 

CM「少女の成長」

 

* * *

ネット上には、膨大な数の、一般の方の、この曲の演奏動画や歌唱動画があります。
街の合唱団も、相当に、この曲を歌っています。

♪積水ハウスの歌(合唱)

 

「駅ピアノ」も見事な演奏です。
駅構内で、家路を急ぐビジネスマンたちの後ろ姿に寄り添う、この曲の演奏シーンは、何か哀愁を感じますね。
サラリーマンたち…まっすぐ帰るんだよ。


♪積水ハウスの歌(駅ピアノ)



◇音楽へのアプローチ

積水ハウスは、1970年代の中頃、TBSテレビの歌番組「みんなで歌おう」の一社提供を行っていました。
司会は、あの江利チエミさんで、その時代の人気歌手が続々と出演していました。
この番組映像も、ネット上で見ることができます。

積水ハウスは、一般の野球大会のメインスポンサーも行っており、そのセレモニーでは、この「積水ハウスの歌」を歌手が歌うようです。
それも、動画がネット上にあります。

そして、積水ハウスの音楽熱はさめやらず、ファミリー・コンサートを開催しており、その充実した内容には驚きます。
下記は2020年のコンサートの一部です。
この動画の中にはありませんでしたが、「積水ハウスの歌」を、このコンサートで歌っていないとは思えません。

ファミリーコンサート映像

 

* * *

積水ハウスには、数あるコンセプトテーマの中のひとつに、「毎日の暮らしに、心行くまで音楽を」をというものがあります。
「音のある暮らしを楽しむ家」という文言もあります。

ひょっとしたら、こうした流れの原点は、1970年からの「積水ハウスの歌」の大ヒットにあるのかもしれません。
音楽関連企業ならともかく、ここまで、音楽と結びついたビジネス企業もめずらしい気もします。

* * *

今の時代は、株主からも、一般社会からも、その企業の社会貢献活動、環境問題対応、人権や差別への対応が、非常に厳しい目で見られていますね。
それらに後ろ向きな企業ととらえられた瞬間に、株価が大下りすることもあります。
経営陣の発言も相当に重要な意味を持ちますね。

私は、積水ハウスが、これからもずっと「音楽のチカラ」を手離してほしくないと思っています。
むしろ、より音楽を楽しめる住環境の創造を目指していってくれることを願っています。
私のような音楽ファンからしたら、まだまだ家の中は、音楽の不自由さだらけです。

日本には、こんな進んだ音楽住宅があるのかと、世界を驚かせてほしいものです。


◇スローな取り組み

ここで、村上ゆきさんが歌う、英語バージョンの「積水ハウスの歌」をご紹介します。

♪積水ハウスの歌「イズ・ロイエ」


積水ハウスは、今現在、TBSラジオで、毎週日曜日の午後6時から30分間、「積水ハウスpresents 村上ゆきのスローリビング」という番組を提供しています。

*現在、この番組は終了しました。

まさに、積水ハウスの音楽貢献活動と、目指す家づくりの理想像の世界観を反映させた番組です。
村上さんの、甘い声での、ゆったりとしたおしゃべりと、やさしい音楽が、この番組を包んでいます。

* * *

昭和の時代は、企業による「一社提供」のテレビやラジオ番組がたくさんありましたね。
ですから、その番組は、企業の世界観に完全に包まれ、それを逸脱するようなことは許されませんでした。
各企業によって、明確に番組の色あいが違っており、本当にさまざまなタイプの番組が作られていましたね。
今現代には少ない、企業による番組主導というかたちも多くありました。

まさに、この番組は、昭和のよき香りも感じさせてくれる、今現代となっては、貴重な番組とも感じます。

*現在、放送は終了しました。

 

この度の、本コラム掲載にあたり、厚く御礼申し上げます。
村上ゆき さんのアメブロ

 

「積水ハウスの歌」の世界観と、彼女のかもし出す誠実でやさしい雰囲気は、まさにピッタリです。

これが、この歌をさらに高みに向かわせ、いち企業の広告用の曲という位置を飛び出し、「ひとり歩き」し始めたのは、この歌声があったからでしょう。

この曲と彼女の出会いが、この曲の今の地位につながったのは間違いないと感じます。
 


◇家路

前述の「積水ハウスの歌 / イズ・ロイエ」の間奏には、クラシック音楽の作曲家ドヴォルザークの、交響曲第九番「新世界より」の第二楽章「ラルゴ」の一部の旋律が挿入されています。
この部分は、日本では「家路」というタイトルがつけられ、特に愛唱された音楽ですね。

皆さまも、この「家路」を一度は耳にされたことがあると思います。
昔も今も、夕方になると、街の防災無線放送から、このメロディが流れてきますね。

* * *

私の暮らす東京都心でも、冬の今は、毎日かどうかはわかりませんが、午後4時に音楽だけ流されています。
東京では、この「家路」か、童謡の「夕焼け小焼け」が多いようです。

子供たちは、この音楽が聴こえてくると、急にお腹が空いて、家に走って帰っていきますね。
日本に残る、不思議と、郷愁を感じる音楽文化ですね。

この防災無線放送音楽には、アナウンスが付いている場合も多いのですが、下記に、山梨県の南アルプス市の防災無線の音声を紹介します。

♪防災無線放送


日本では、この哀愁をおびたメロディに日本語歌詞がつけられ、学校をはじめ、多くの場面で歌われてきました。
今、幾種類かの歌詞があるようですが、もっとも知られているのは、堀内敬三さんの歌詞だと思います。

♪家路(遠き山に日は落ちて)

 

まさに、知らないうちに、暮らしの中に音楽が溶け込んでいるというのは、こうしたことなのだろうと感じます。
先人たちの知恵はすばらしいですね。


◇家路の誕生

作曲家ドヴォルザークは、ヨーロッパのチェコ生まれの作曲家で、哀愁をおびた、壮大な風景を想像させるような楽曲が多いですね。
もともと彼は、その土地に古くから伝わる音楽に非常に興味があり、自身の楽曲にも取り入れていったようです。

彼は、1891年にアメリカからの招待で渡米し、音楽活動や音楽教育を行います。
彼は、ネイティブ・アメリカンや黒人の音楽にも興味を示していたようです。
1893年には、この交響曲第九番「新世界より」が完成します。
その後、ヨーロッパに戻りました。

* * *

彼の弟子であったフィッシャーは、1922年に、「新世界より」の第二楽章「ラルゴ」の旋律の一部を編曲し、歌詞をつけ、楽曲「Going Home」としました。
師弟の共同作品とは、なかなかなものです。

多くの他の弟子たちも、歌詞をつけたそうですが、このフィッシャーの「Going Home」が人気となります。
この「Going Home」の「home」は、「家」ではなく、「故郷」や「大切な場所」を意味しているといわれています。

この曲「Going Home」は、1930年代に日本にもたらされ、前述の堀内敬三さんが歌詞をつけ、日本版の「家路」が作られます。
1930年は昭和5年です。
1930年代は、満州事変、五・一五事件、二・二六事件、日中戦争、第二次世界大戦へと突き進む時代です。

* * *

その後、この楽曲「家路」は、戦後の義務教育の中で使用されたことで、誰もが知る楽曲となります。
夕方の風景のことを歌い、「家に帰る」という強いメッセージ性があり、誰もが知っている…、まさに街中にそれを知らせるには、うってつけの楽曲ですね。

1940年代(昭和20年代)以降の戦後の貧しい時代は、時計を身に着けて外出する庶民などそうそういません。
子供たちは、なおさらです。
農業地域はもちろん、街でも、お昼や夕刻の時を庶民に知らせるには、時を知らせる大砲やサイレン、お寺の鐘が頼りです。

そんな中、音楽で時を知らせるなど、なんと文化的で、平和を感じる手法でしょう。
今、ビルが林立する東京の品川駅あたりで、「家路」ではなく「夕焼け小焼け」が大音量で街中に流されるのは、なんとも平和で、安堵感を感じます。

下記が、ドヴォルザークの交響曲第九番「新世界より」です。
10分あたりからが第二楽章で、有名な「家路」の旋律が出てきます。

♪ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」(演:カラヤン / ベルリンフィル)

 

音楽は、ビジネスのためだけにあるのではなく、社会のため、文化のため、芸術のためであったりもしますね。
もちろん、その音符や歌詞たちは、人が生きていく際のエネルギーにも変わります。

次は、「積水ハウス」の曲が「楽しさ」に変わる内容をご紹介します。
音楽は、楽しさ、ゆとり、平和を、人々に大きく与えてくれる存在でもありますね。
まずは、別の替え歌のお話しから…。


◇ジョン・ブラウンのしかばね

世の中には、有名な音楽の旋律に、ユニークな歌詞をつけて、皆で楽しむということがありますね。

幼稚園などで、特に古くから人気なのが、「あまるい緑の山手線、真ん中とおるは中央線…」のあの家電屋さんの曲です。
この歌詞は、日本の各地域ごとに、その路線歌詞が異なり、それぞれの店舗への案内歌詞となっています。
もちろん替え歌ですが、さらに替え歌の替え歌まで登場しています。

原曲は「ジョン・ブラウンのしかばね」という米国の曲です。
ジョン・ブラウンさんは、1859年、アメリカ奴隷制度反対活動家として、ある時、処刑されてしまいます。
彼の勇敢な死と魂のことを、原曲の歌詞では歌っています。
後に、アメリカ「北軍」の行進曲となります。

この曲に、どうして日本で家電屋さんの歌詞がついたのかは、私はわかりません。
ただ、有名な旋律で、行進曲であったことは、この替え歌の認知度をさらに高めたと思います。

ともあれ、異国の地の日本でも、このメロディが今も生き続けていることは、日本が、差別なく音楽を愛する文化を持っている国である「あらわれ」のひとつなのかもしれません。

♪ジョン・ブラウンのしかばね

 

「ジョン・ブラウンのからだ」というタイトルの場合もあります。
史実では、その死体は、かなり屈辱的な扱いを受けたとされています。
歌のタイトルに残されているのは、そのためだと思います。

 

この楽曲のメロディは、今や米国の象徴のような楽曲に使われています。

♪Battle Hymn of the Republic(リパブリック讃歌)



◇「積水ハウスの歌」の替え歌

さて、「積水ハウスの歌」にもオモシロ替え歌が存在します。
こんな楽しい「駅名替え歌」は、個人的には大歓迎です。
日本各地の幼稚園でも、人気になるかも…?

 

自然災害で被害を受け復旧作業中の路線の駅名などを使って、このメロディで替え歌を作ってあげたら、どれだけその地元の人々に勇気を与えるでしょう。

すでに廃線になってしまった路線駅名も、きっと喜ばれるでしょうね。

メロディは、みな、もうすでに知っていますしね。

 

この曲は、そうした「癒し」の必要な場面にも、チカラを発揮できる気がしています。

被災地に音楽で寄り添う…、ひとつの方法のようにも感じます。


♪「積水ハウスの歌」の替え歌(駅名)



◇永遠に生き続ける音楽

少し前に、「8050問題(はちじゅうごじゅう もんだい)」という言葉が世の中で騒がれました。
80歳台の親が、50歳台の子どもの生活を支えているという問題です。

背景には、50歳台の子ども世代の「貧困」、「離職」、「未婚」、「ひきこもり」などの問題があったりもします。
今や「9060問題」にまで進んでいるとも言われています。

少子化、核家族化、都会生活への移行の中で、田舎の両親がなくなり、子供の頃に暮らした家を、取り壊すケースも多くなっています。
50歳台、60歳台の子供たちは、取り壊される家を、涙しながら見つめているという話しもよく聞きます。
愛着のある家の最期を看取るのは、つらいことですね。
前述の「家路」の歌詞にあるように、「かがり火」の炎が永遠に消えゆくようにも感じます。

人と家が消え去っても、何かの音楽とともに、大切なものが残っていてくれたらとも感じます。

* * *

「積水ハウスの歌」は、1970年の誕生以来、約50年の時がたちました。

さまざまなバージョンが作られ、さまざまなかたちで使われ、今や社会の中に定着し、一般市民それぞれが、楽しく利用しています。
ひとつのCM曲が、まさに日本の音楽文化の中の大切な一曲となりました。

おそらくは、関わった積水ハウスの社員、音楽関係者、そして「積水ハウスの家」そのものが、いずれ消え去っても、このメロディと歌詞はずっと生き続けていくのだろうと感じます。

* * *

もう一度、久しぶりに聴いてみたくなりました…、積水ハウスの歌。
「この街に、この家に、こころは帰る。家に帰れば…、(私のハウス)」。

家路の向こうに、家が待っていてくれる。
そこに、家族がいなくとも、ペットの犬がいなくとも…、家があなたを待っていてくれるのです。
家も、あなたの家族です。

そこに…、私の家族がいます。

* * *

(部長) おい君…、仕事も終わったことだし、どうだい一杯…。
(部下) すみません部長…、今日はちょっと…。
(部長) 先約があったのか。
(部下) 待っているんです…。
(部長) すみに置けないなあ…相手は誰だい…。
(部下) 待っているんです…家が。

* * *

【追伸】
本コラムは、あくまで音楽関連の内容に関して書いたものですので、積水ハウスの製品に関しては承知しておりません。

住宅選びは自身の目でしっかりお確かめください。

 

* * *
 

コラム「音路(16)オンラインでツェッペリン〔前編〕英雄たちの選択」につづく

 

2021.2.16 天乃みそ汁
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