前地域おこし協力隊員の相澤純也さんが紹介されました。 | 白鳥まさのりのブログ

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読売新聞に前地域おこし協力隊の相澤純也さんに関する記事が掲載されました。

 

 

相澤さんは、令和2年から3年間、箕輪町で協力隊員として従事。

新潟県長岡市出身、隊員として、福祉、居場所づくり、地域交流活動に活躍。

特に、きょうだい児の活動も実施。

現在、町内福与区内に古民家を購入、ゲストハウスの開業に向けて取り組み中。

 

 

(R6.5.6付)今回の記事です。ご覧あれ。

 

障害や病気のある兄弟姉妹を持つ「きょうだい(児)」を支援する「南信州きょうだいの会 こたつむり」を2023年1月に設立した。自らも知的障害のある3歳年上の兄がおり、孤独感や複雑な思いを抱えてきた。「同じ境遇の人の話を聞いて、安心できる場であってほしい」と、悩みを語り合える集いを開いている。

 集いは数か月に1度、箕輪町で開く。きょうだい児だったことでつらかったことや、結婚での困り事といった悩みを打ち明け合う。これまでに、上伊那地域を中心に、10~60歳代の延べ約100人が参加した。参加者からは「話せてよかった」、「消化し切れていなかった気持ちに気付けた」などの声が上がる。

 新潟県で過ごした幼少期、障害を気にせずに兄と遊んだのは、小学校低学年までだった。学年が上がるにつれて周囲との違いを感じ始め、舌足らずな様子を友達にまねされたことも。障害を恥ずかしく思い、兄を避けるようになった。

 兄の世話や家事は、主に母親や祖母が行い、自分が関わることはほとんどなかった。ただ、周囲から「手がかからない良い子」と言われ、甘えるのはよくないことだと、常にがまんしていた。兄が常に生活の中心となることに寂しさが募り、「生まれてこなければよかったと思うこともあった」。

 それでも、両親の大変さは理解できるし、兄を責めるわけにもいかない。大学生になるまで友人に打ち明けることもできず、一人で抱え込んでいた。

 都内などでの会社勤務を経て箕輪町に移住した後、自分のような境遇の人が「きょうだい」と呼ばれていることを知った。ずっと心のどこかにあった生きづらさの理由が分かった気がした。県内でもほかに悩んでいる人がいるはずだと、当事者の集いを開くことを思い立った。

 活動を始めて1年余り。他の人の話を聞いていく中で、自分に対する否定的な気持ちが変わりつつあると感じている。「今のままでいいんだと、自分自身を肯定できるようになった」。子どもの頃のつらかった記憶についても、両親に打ち明けられるようになったという。

 一方で、きょうだい児の存在については、まだ十分に知られていないと思う。「福祉サービスが、障害のある人だけでなく、両親やきょうだいなど家族全体に目を向けたものになってほしい」と願う。

 現在は、箕輪町の伊那谷を見渡せる場所で、1日1組限定の宿を開くために古民家をリフォーム中だ。今夏開業し、将来的には、きょうだいや障害をもつ子どもの両親が、泊まりがけで語り合える場にもしたいという。「人知れずつらさを抱えている人が、一人じゃないと思える場にしたい」。そんな夢を抱いている。(村上藍)

 

 ◇ あいざわ・じゅんや  1986年、新潟県長岡市出身。長岡技術科学大学大学院修了後、化学系専門商社で勤務。2020年に飯島町に移住し、21年から3年間、箕輪町で地域おこし協力隊として活動した。「こたつむり」は、カタツムリのように殻にこもらず、こたつでぬくぬくするように集おうと名付けた。

●相沢さんの活動報告

https://www.town.minowa.lg.jp/data/open/cnt/3/2343/1/02_aizawa.pdf?20240430160849