浅草とアメ横と鮎の塩焼き | 白クマの妻は今

白クマの妻は今

外国の白クマを夫にしたら予想外のイケメン子グマが2匹も出てきた。どぉする?

来月アメリカとルーマニアからやってくる同僚と上司を

連れて回る半日の観光の下調べ、ロケハンとして、

ひとりで浅草とアメ横を回ってきた。

 

変わった、としか言えなかった。

 

 

平日の昼前からごった返していた浅草は、

昨今の銀座に輪をかけて外国人観光客率が異様なほどで、

雷門前から仲見世ではアウェー感も甚だしく、

しかしそこは私が懐かしく感じるべき場所であり、

脳内感覚がめちゃくちゃになった。

 

先月、今月と楽しんでいる銀座歩きでは

石川啄木の有名な句に倣い、周囲から聞こえてくる英語の

会話に頬がゆるみ、「そを聞きに」私はギンザかあと

思ったのだが、この浅草はそのレベルを軽く超えていて、

実に申し訳ないが醜悪に感じた。

 

うーーーむ。

 

このような場所を同僚たちはどう受け取るだろうか?

 

でも、今更、都内で簡単に連れて歩ける

別のロケーションは思い浮かばないし、

どうせそう言った場所もおそらくインバウンド客に

占領されているのだろう・・・。

 

まいった。

 

しかし、ロケハンという意味では大成功で、

私は駅から出口の確認もできたし、

トイレと言われたらここ、とか、

食べ物に関してもいくつか店をメモして行き、

自分で味も見て、これならと思える場所も決めた。

 

食べてみて「こりゃダメだ」というのもあったから、

ネットの記事だけを頼りにしてもダメだということも

よくわかった。

 

浅草から上野駅に出て実に4年半ぶりにアメ横も歩いたが、

ここもまた様変わりしていて呆れた。

 

ここは北京か?

 

魚屋は驚くほど数が減り、間あいだに連なる中国料理なのか、

よくわからない屋台の数々にうんざりした。

 

魚屋と果物、八百屋は数えるほどで、

乾物の松葉屋や、私が通い続けていた鰹節の伊勢音は

今もあったけれど、影が薄く感じて悔しかった。

 

なんだかなあ。

 

来月、無事に添乗ができれば良いが・・・。

 

そんな中で、せっかく来たのだからと、自分用に木村家で

人形焼を買ったり、和泉屋で煎餅を買ったりした。

 

どれも実になつかしい味がした。

 

懐かしい味と言えば、先日、母の特養に面会に行った折、

大鳥居の魚屋、魚隆でとんでもないものを買ってしまった。

 

ずっと食べたかったのだ。

鮎の塩焼きが。

 

 

それだけでわくわくしていたのに、そこへDmmkママが

作りたての焼き鳥各種とお惣菜を届けてくれて、

私はもうこのまま死んでも良いと思えるご馳走にありついた。

 

日本酒を半合ちょっと飲んだだけで出来上がり、

リア充とやらも、これここに極まれりと目を閉じた。

 

これでばちが当たらなかったら嘘だよな。