先日、20代の若者に髪を切ってもらいながら
色々な話をしていてジュリー、沢田研二の話をして、
「あ~、うちのお母さんが何か話していたことがあります~」
みたいな返答があり、そりゃそうだわなあと思って
質問されるがままにジュリーの話をしていて、
最後の最後に「それで沢田研二さんは何なんですか?俳優?」
と聞かれてずりこけそうになった。
「か、歌手だよ。映画とかにも出てるけど、歌手だよ。
良かったらYouTubeで検索してみて・・・」
と、かろうじて答えた。
そうだよなああああああ。
そういう歳の、そういう世代のワカモノに、
私は髪を切ってもらったり整体でバキバキしてもらったり
母の介護をしてもらったり熱帯雨林の注文を配送してもらったり
しているわけなんだよなああああああああ。
何と言うか。
すみません。<???
ジュリーしかり、ゴールデンボンバーの鬼龍院翔しかり、
私が推す男達を、彼らの偉業を知らない世代と言うか、
知る機会のなかった人達に語ってしまう時の
自分に慣れられない。
どこから語れば良いのか。
何に焦点を当てるべきなのか。
まったく興味のない人に飽きられないように
数分で理解を求めたりインパクトを与えたりできるのは
どのデータポイントなのかっ!?
いや、そもそもそんなことを考えなくても良いのでは・・・。
確かにそうとも思うのだが、ついつい何か伝えたいと
思ってしまい、スルーできない自分が
後で考えるとちょっと情けない。
「ん~~~。まあ昔の人だしね~」
「ファンじゃないと知らないよね~」
とかで終わるべきなのか?
それこそジュリーともなると、
「お母さん、お父さんに聞いてみて~」
さえ通用しないのだ。
「おじいちゃんおばあちゃんに聞いてみて~」
くらいまで行っちゃう可能性まであるのだ。
たまらん。
まじでたまんないわーーー。
だってガチで語っちゃったらただの痛いオバサンなんでしょ?
たまんないわーーー。
心のどこかが悔しいわーーー! <?
そういう心理って専門家は何と呼ぶのでしょうかね。
自分の恋人でも夫でも推しでも良いのですが
(なんなら食べ物でも趣味でも例はなんでも良い)、
自分の好きなものを他の人にも好きになってほしいという
気持ちとか欲求ってすごく微妙だと思うのです。
承認欲求のひとつなのでしょうか?
でも、必ずしも自分以上に好きになって欲しいわけでもなくて、
その辺が微妙だと感じます。
まあ、自分の恋人を自慢して会わせたら、
友人も好きになってしまって寝取られたら笑えませんわね。
人間の感情というのは、げに複雑でございます。