今回の母、クマ姑がショートステイで不在の日々は、
過去の3回とは私側の状況が違っていたので
なかなか興味深い日々となった。
1度目は母も私も初めてのことにどきどきで不安しかなく、
私自身は病院をいくつも回ることになり落ち着かず、
母はパニックに陥って私に電話をかけまくり、
等々、控えめに言ってもカオスな三日間であった。
その経験に恐れおののいてしまったので、
2度目は半年後の海外出張のためとなり、
これは私の方が実に大変な2週間だった。
3度目は異常な仕事の山場を予想してのことだったが、
これは私の読みが外れ、母を送り出す前々日から修羅場が
始まってしまったこともあり、私は精神的にも身体的にも
母と心中してしまいたいほど辛かった。
そして今回の4度目。
仕事は間違いなく大変で、深夜までがっつりという
日々となったが、その内容がやりがいもあるものだったので
精神的に元気に過ごせた。
朝は爽やかに目覚め、母を心配することなく
自分の支度をしてお茶を淹れ、
落ち着いて仕事に取りかかる。
午前中は米国在住メンバーと連絡が取れて
昼も時間に焦ることなく迎え、
お茶を淹れ直したりフルーツやヨールグトなどを食べて
洗濯物を取り込んだり畳んだりといった家事もできて
仕事の合間の気分転換になった。
午後から夜も集中して仕事ができるというのは
素晴らしいもので、夕方からインドやルーマニアの同僚が
起きてくると、時計を気にせずにチャットもできたし、
リモート会議もできた。
「ごめん!どうしても抜ける!悪い!また後で!」
なんて言わなくて済むって素晴らしい。
仕事し放題!<精神的には良いが、身体には良いのか?
時計を気にしまくりながら昼食や夕飯を作って
母に食べさせて片付けてシャワー浴を介助して
着替えさせて。
巻き爪のケアをしたり投薬したりして
ベッドに送り込んでから慌てて仕事用のMacを
立ち上げ直して会議に参加することが
どれだけ辛いかを遠い目で考えてしまうほど快適だった。
自分ひとりの夕飯なんて、
時間も内容もどうにでもなる。
深夜の会議を終えて自室から出ると、
いつもは響いてくる母の部屋からのわけのわからない
テレビの音もなく、ひとりで入るシャワーやお風呂で
好きな音楽を聴くしあわせはプライスレスと思えた。
朝昼晩24時間、母が起き出す音、車椅子のブレーキを
かけたり外したりする音、たんとつばを吐く音、
スリッパのマジックテープを剥がす音、トイレに行く音、
せん妄で言ううわ言、それこそ水筒の蓋をカチリとボタンを
押して開ける音まで、私は耳を澄まして生きている。
そのストレスとプレッシャーがない時間を生きる
すばらしさに、厳かな感動まで覚えた。
つまりこれが、いつかひとり暮らしになった時の
私の毎日の生活になるのだろうかと考えたら、
それはあたかも死刑囚が刑務所から出たかのような
イメージと重なって笑ってしまった。
認知症の家族の介護って、修行じゃなくて刑だったのか。
こんなことを何年も続けておられる方々の、
精神と身体のご無事を深く憂うばかりだ。
なんて言って、私自身も今年中にイチ抜けできる
確証と言われたら、そんなものは、ない。