松坂豪商「三井家」「小津家」「長谷川家」「本居宣長生家」を歩く | 城取博幸のスーパーマーケット見聞録

城取博幸のスーパーマーケット見聞録

城取博幸が国内外のスーパーマーケットを回り、ヒットしそうな商品紹介を
して行きたいと思います。

名古屋からJRで松坂駅へ

夜の松坂駅

夕食はまぐろ専門店

まぐろの刺身とまぐろの唐揚げ

刺身はキハダまぐろのように見える

まぐろの照焼き定食

手前の油揚げの煮物は珍しい

甘辛いタレがかかっている

 

翌日は

松坂「三井家」「小津家」「長谷川家」「本居宣長生家」を見て歩く

寺の寺紋は「五七桐」

中華そば「不二屋」

「現金」のみ表示

ラーメンや五目焼きそばが有名

昼時は行列

松次郎の舗

蜂屋さんの「最中アイス」

和田銀

牛銀と並ぶ松坂の「松坂牛」の店

松坂街歩きマップ

松坂は「お伊勢参り」の通り道であることから繁栄した

ここは

このライオン像はどこかで見たことがある

三越のシンボルである「ライオン像」だ

ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔下のライオンをモデルにしている

「願いがかなえられる像」として有名

現地を訪れたが三越のライオンほど人気はないようだ

三井家の始祖「三井高利(1622年~1694年)」は松坂で生まれた

江戸日本橋に開業した呉服店「越後屋」 後の三越

現在は(株)三越伊勢丹ホールディングスとなっている

この地は三井家の屋敷の一部であった

 

こんな道を進むと右側に

三井家跡

中は入れない

三井家の由来

三井家の家祖「三井高利」は1622年この地に生まれた

1673年には江戸の「越後屋呉服店」を開店

*当時としては珍しく現金商売であった

「丸に井桁三文字」は現在でも三井系企業に受け継がれている

一族の「松坂北家」の屋敷、松坂店(木綿の仕入れ店)、松坂南家の屋敷があった

高利産湯(うぶゆ)の井戸

中には入れないため柵越しに井戸が見える

 

さらに進むと

ここは

旧小津清左衛門家

映画監督「小津安二郎」の実家だ

「小津安二郎」は9歳から19歳まで松坂で過ごす

江戸で一番の紙問屋

現在も「小津産業株式会社」として営業を続けている

家紋

江戸で一番の紙問屋

浮世絵の中に「久」伊勢屋の文字が見える

かなり大きな屋敷だ

玄関を入るとすぐに台所

大きなかまどが復元されている

五両箱

当時の金庫

金属が貼られた蔵

2階が資料館になっている

内部

ソロバン

上の玉は二つ

菊の紋が付いた会計帳

マニラ麻を原料としたチラシ

*当時フィリピンマニラの麻農園ではアメリカ資本下日本人が出稼ぎしていた

中庭

 

小津家を後にし一本隣の道を進むと右側に「牛銀本店」の看板

道の幅は当時のまま

中央が本館、右は牛肉の直売所、左の洋館は「洋食屋牛銀」

入口

家紋

メニュー

すきやきは9000円~14000円

若い頃お伺いしたが入口の金額を見て遠慮した経験がある

肉の直売所

トレイサビリティ

松坂牛は但馬牛の流れを汲んでいる

洋食屋牛銀は改装中

市内に仮店舗があるらしい

下見をしておいてよかった

リニューアルのお知らせ

翌日の昼食にお伺いしようと思う

洋食屋牛銀のメニュー

手頃な価格なのでいろいろと味わってみたい

 

さらに道を進む

ここは「史跡 本居宣長宅址」

本居宣長(1730年~1801年)は松坂生まれの江戸時代の国学者

「賀茂真淵(かものまぶち)」に入門し「源氏物語」「古事記伝」などを出版

当時は古事記も源氏物語も難しく未解読であった

手前が当時の住居跡

奥の建物は違うようだ

こちらは蔵

本居宣長が12歳から72歳まで60年間過ごした場所

ここで医者を開業するかたわら日本の古典を研究

また全国500余名の門人を指導した

住宅は松坂公園に移転、「鈴屋」の名前で親しまれている

大きな松の木

本居宣長が大切していた松の木

移転は困難とこの松は残された

 

長谷川家

魚町通りにある邸宅は、江戸時代の木綿問屋「丹波屋」

5つの蔵、うだつの上がった屋根、日本庭園は見ごたえがある

文化財の説明

機(はた)織り

東都大伝馬街繁栄之図(日本橋)

小津家にあったものと同じ

安藤(歌川)広重(1797年~1858年)が描いたもの

赤い文字は松坂出身の商人

はせ川の文字と家紋が読める

玄関を入るとここも台所

高い煙突が印象的

当時の使用人のお膳

「一汁一菜」だ

当時の使用人が食事をした場所とお膳

箱膳の中には、茶わん、汁椀、皿、箸のセットが納められている

食事の後は、食器にお茶や白湯を注いで漬物などで洗うように飲んで、食器を洗うことはなかったという

昔の我が家もそうであった

当時の土蔵

屋根が立派だ

長谷川家には5つの土蔵があった

米蔵、大蔵、新蔵、西蔵などがあった

瓦の構造が複雑、うだつもある

裏庭

この花は椿か

 

土蔵の一つが資料館になっている

寿老人像

商家長谷川家と災い

当時江戸の町では火事が頻繁に起きていた

長谷川家は対策マニュアルをつくり徹底していた

展示品

おもしろいものを見つけた

これは「注連縄の木札」

星形の「セーマン」、格子形の「ドーマン」

 

調べてみると

海女が頭に巻く手ぬぐいにこの二つが染められたり、刺繍されたりされていたという

これは海女たちが危険から守るための「おまじない」

「陰陽道」と関係していると言われている

 

千両箱

午前中は松坂商人の屋敷を歩いた

スーパーマーケット「ぎゅうとら」で昼食を買い松坂城のベンチでいただいた

午後は松坂城、鈴屋、埴輪館を見学

 

夕食は松坂名物のやきとり「のぼやん」

支店を覗いたが満席であったため本店へ

レバー刺し

鮮度抜群 左が「レバー」右は「ハツ」

これがやきとり盛合せ

自分で焼いて食べる焼肉スタイル

タレは八丁味噌を使った味噌醤油ダレ

砂肝

焼肉と同じだ

味噌醤油ダレ

これがうまい

キャベツとせせりの炒め物

〆は鳥ぞうすい

お腹いっぱい

ご馳走様でした

 

カウンターに座ったため職業柄店主と女将さんの動きをずっと見ていた

店は満席であるが、普通のやきとり屋に比べてバタバタ忙しそうに見えない

ホールアルバイトは2人

焼肉スタイルにすれば仕込みは大変だが、客が鶏肉を焼いてくれる

いいシステムだ

さすが商人の街松坂だ

 

商売繁盛の秘訣

店主を見ていると

思わず「えびす様ににてますね 耳たぶも大きいし」と口をついてしまった

女将さんはいつも笑顔で「豊受姫」のようだ

注文を入れるととびっきりの笑顔を見せてくれる

店は繁盛していて何店か支店があるようだ

 

いい店はオーラが出ていて、自分もそのオーラをもらえる

いい店に入った

記念撮影も気軽に応じてくれた

写真を見て分かるように二人ともいい顔をしている

まさに「えびす様」と「豊受姫(伊勢神宮外宮の祭神)」だ

恵比寿様は商売繁盛の神様

 

本人は「えびす様と言われたのは初めて、今井雅之さんによく似ているとはよく言われるが」

と言う

そういえば似ている

連れが突然「今井雅之さんは特攻隊の映画の主人公ですよ」と教えてくれた

フィリピンの特攻隊慰霊ツアーの後だけに何かの縁か

特攻隊の話はしなかった

次回はスーパーマーケット「ぎゅうとら」で昼食を購入して松坂城でいただく