鶴見総持寺「大西瀧治郎の墓」と「司令官の妻」 | 城取博幸のスーパーマーケット見聞録

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して行きたいと思います。

日本人として知っておきたいこと

 

鶴見総持寺

JR鶴見駅から歩いて行ける

気温は低いが晴れてきた

案内所で地図をいただく

案内図

迷ってしまうほどの大きなお寺

 

目的は「特攻の父」「統率の外道」と言われた海軍「大西瀧治郎中将」の墓参り

特攻第一号はフィリピンから飛び立っている

 

大西中将の墓

本間中将の墓には花がなかったが、ここは今でも献花が多い

墓石の隣に「海鷲観音像」

大西の妻「淑恵」が建てたもの

墓石

昭和三十八年八月二十三日再建

大西淑恵 児玉誉士夫

墓石の裏には「大西淑恵」とロッキード事件の「児玉誉士夫」の名前が

墓誌はないが淑恵は大西が亡くなった8月16日と同じ日に90歳で亡くなっている

執念で日を合せたと言われている

人生を墓参に費やした女性

 

最期の言葉は「わたし得しちゃった!」

これは周りに支えれてきた感謝の言葉である

遺言

大西淑恵が建てた「海鷲観音」

昭和二十七年九月

施主 大西淑恵 

淑恵は戦後こつこつとお金をため亡くなった特攻隊員の慰霊のためのに建てた

「海鷲観音」建立当時の写真

大西瀧治郎主人公「あゝ決戦航空隊」

写真左が「淑恵」氏

大西瀧治郎役は「鶴田浩二」

淑恵約は「中村珠緒」


特攻隊員との約束を守った司令官

残された夫人の長年に渡る慰霊行脚

詳しくはこのユーチューブが分かりやすいと思う

「大西瀧治郎」・・・特攻隊員との約束を守った指揮官、残された夫人の長年に亘る慰霊行脚 (youtube.com)

 

「初期の特攻は効果があり過ぎた」

250㎏爆弾を積んだゼロ戦一機で敵の航空母艦のダメージを与えることができた

特攻機の狙いは船の煙突部分

内容をよく見ると

大西は特攻の発案者の一人と言われているが

航空機による特攻の前にすでに「桜花」や「回天」の開発が行われていた

大西は「実行者」であったのではないのか

本人は一言もそれに触れず全ての責任を被っている

なぜ特攻が行われたか

それは負けが近づき講和を有利に進めるため

アメリカ軍には「日本人は何をするか分からない」と恐れられていた

本土決戦に対する慎重論も出たという

いま私たちが平和で暮らせるのも、特攻によるものも大きい

 

詳しくは「神立尚紀」氏の文が分かりやすいと思う

これも涙なしには見られない

ぜひ見て欲しい

 

大西の墓の隣に銅像が見える

これは誰のものか

よく見ると

「アントニオ猪木」の墓であった

奥に墓石

花がいっぱい飾れている

裏を見ると

令和5年(2023年)に建立されている

出来立てのホヤホヤだ

令和4年(2022年)10月1日に亡くなっている

「燃える闘魂」

アントニオ猪木の生涯

「特攻」と「闘魂」の墓参りでした

 

サクラが咲き始めている

キレイな色だ

せっかくなので「石原裕次郎の墓」へ

矢印に従う

ここが石原裕次郎の墓

柵の奥には高級な花束が

たぶん花屋さんと契約して管理しているのだろう

裕次郎の妻の言葉

織部燈篭も

これが織部燈篭の特徴

 

清掃も契約している

 

後醍醐天皇廟

中は入れない

柵越しに写真を撮らせていただく

瓦の家紋は「五七桐」

天気がよくなってきた

 

鶴見駅に戻る

「白玉あんみつ」が目に付く

甘いものが食べたくなる

鶴見駅3階の珈琲館

小豆ぜんざいが気になる

ほうじ茶をコーヒーに変えてもらう

アメリカンを注文したらホットウォーターがついてきた

後でレシートを見ると100円プラスされていた

栗小豆ぜんざい

身体が温まる

鶴見駅を後にする

フィリピンの「バターンの死の行進博物館」「特攻博物館」へ行く予定だ

アメリカ、フィリピンサイドの博物館であるため、日本軍は悪人扱いされていると思うが

その前にお墓参りを済ませておいた

今の平和は先人のおかげ

知っておかなくてはならないこと