川崎春秋苑「本間雅晴の墓」と「将軍の妻」 | 城取博幸のスーパーマーケット見聞録

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またまたお墓参りです

フィリピンから追いかけている人物

乗りかかった船なので徹底的に研究する

マニラももう一度行く予定だ

散歩を兼ねて「本間雅晴」「大西瀧治郎」二人のお墓参りをしてきました

 

「本間雅晴」

日本の陸軍軍人 最終階級陸軍中将

大東亜戦争においてフィリピン攻略戦を指揮

「バターンの死の行進」の責任を問われ戦後銃殺刑に処された

本間中将はインドネシアの戦いで有名な「今村均」と同学年であった

墓地は川崎市多摩区「信行寺 春秋苑」

フィリピン ロスバ二ョスの処刑跡

子「尚子」の言葉

 

「バターンの死の行進」

 

 

マッカーサーはバターン半島の要塞に籠っていた

日本軍に捕られることを恐れ魚雷艇で部下を残しコレヒドール島から「敵前逃亡」を行った

ルーズベルトの命令と言われているが、私は言い訳だと思っている

コレヒドール島には「I  shall return」言葉が刻まれている

 

辻正信

この男はバターンの行進時独断で多くの捕虜を殺害したと言われている

本間はこのことを知らなかった

フィリピンだけでなくシンガポールでも許可なしで大量殺戮を行った人物

辻はその後国内外を逃げ回り、後に国会議員になっている

任期中に突然ラオスに行き行方不明となる

 

小田急線「生田駅」下車

気温が6℃と寒い

バスで春秋苑に向かう

 

気温6℃の中でバスを待つ

春秋苑前停留所近くの「いなげや」

ここでお供えの花を買う

「とくし丸」が荷物を積み込んでいる

こんな都会でも買物難民がいるようだ

キンカンか

 

入口

右は石材屋さん

右に進むと管理事務所があります

石材屋さんで地図をいただく

本間雅晴の区画

その上に「森進一」の文字

森進一はまだ存命のはずだが

春秋苑に眠る有名人の写真

右の第二特別区へ

 

本間雅晴中将の墓

キレイに整備されている

花がない

墓参りをするときは花を持っていた方が怪しまれない

もう少し大きめの花を買っておけばよかった

少し寂しい

合掌

墓石の裏は

昭和三十七年四月三日 本間富士建之

平成十三年(2001年)三月十日 本間幸子再建

尾崎氏の言葉

墓誌

本間雅晴 昭和二十一年四月三日 比島ロスバ二ョス没 五十九才

本間富士 昭和六十三年一月十九日没 行年八十四才

「富士子」ではなく「富士」と刻まれている

 

将軍の妻

「本間富士(子)」

本間雅晴中将はフィリピン軍事法廷にかけらた

そこに妻の「本間富士子」がいた

弁護団のコーダー大佐は富士子に本間の手紙を見せた

富士子は「わたしはマニラにまいります」と答えた

当時日本からフィリピンに行くことは大変なことであった

「わたしは今なお本間の妻たることを誇りにしています」と涙とともに気丈に弁護

裁判官の検事も涙を流したという

5人の裁判官、検事、弁護士はすべてマッカーサーの部下であり復讐裁判が行われ本間は銃殺刑にされた

 

本間も涙を流し妻に感謝の言葉を残している

富士子は雅晴の髪の毛と爪を持ち帰り墓を建てた

富士子はその後マッカーサーに直談判し裁判記録を要求した

 

ユーチューブがあるため興味のある方は

涙なしでは見られない

 

近くの森進一の墓

奥にスペースがある

五輪塔

「森内一寛」が森進一の本名

生前にお墓を建てた場合は赤字で書き、亡くなれば黒字に変える

寒い一日であった

寒さに震える山茶花の花

 

生田駅近くの「八千代庵」にて昼食

温かいそばと天重を注文

そば屋の定番

丼の奥には野菜サラダ

いつもはざるそばだが気温が低いため温かいそばに

身体が温まる

海老天丼の海老がデカい

プリっとした食感で食べ応えがある

ごはんの上に揚げ玉をトッピングしているようだ

駅に向かうと春秋苑の送迎バスが

調べておけばこれを利用できた

 

生田駅から鶴見の「大西瀧治郎」の墓に向かう

墓参りは歴史の勉強にもなるし、人々の生きざまを知ることができる