「川村吾蔵記念館」 | 城取博幸のスーパーマーケット見聞録

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して行きたいと思います。

川村吾蔵記念館

佐久市田口3112

「川村吾蔵」(1884年~1950年)

海外(アメリカ、ヨーロッパ)で活躍した国際的彫刻家

ニューヨークで多くのモニュメント彫刻を完成させた

乳牛像、著名人の胸像制作で高い評価を得ている

*第二次世界大戦前後の活躍であったため、日本人であったことから彫刻に名前は殆ど残されていない 

ヨーロッパでは吾蔵が美術館で石膏のデッサンをしているのを見て、フランスの彫刻家「ロダン」が助手になるよう勧めたが、目指すものが違い断ったという逸話がある

館内

ビデオをしばらく見る

入口のライオン像で有名な「ニューヨーク図書館」

私は何度もこの前を通ったがこの彫刻には気づかなかった

吾蔵の名前が刻まれているという

館内は撮影禁止

郷土が生んだ偉大な芸術家

展示品

撮影が禁止であるため本を購入

なぜ「マッカーサー」なのか

吾蔵の年表

「牛のGOZO」と呼ばれた

酪農家から乳牛模型を依頼され、アメリカ、カナダの牧場を回って研究し

7年後に「完全なる乳牛模型」を完成させた

この模型はアメリカ、カナダ、ヨーロッパ、日本等の農科大学に設置された

右上は「プリンストンの戦い記念碑」(1922年製作)

右下が「ニューヨーク図書館」(1922年)

左は「合衆国最高裁判所入口の像」(1935年)

その他、吾蔵はニューヨークにある「パリ凱旋門」も共同制作している

「野口英世」と「川村吾蔵」(1939年製作)

1921年、ニューヨークの行きつけの日本料理屋で、一人酒を飲んでいる時

隣の席で「一緒に飲まないか」と声をかけたのが「野口英世」であった

野口英世が没してから10年後制作に取りかかった

「島崎藤村」と「川村吾蔵」(1943年製作)

二人の最初の出会いは、吾蔵が中学3年の時、小諸義塾に赴任してきた「島崎藤村」の国語の講義を受けた時から

第一次世界大戦中、吾蔵がフランスにいた時に、藤村をフランス南部まで疎開させたという逸話がある

「マッカーサー親子」と「川村吾蔵」(1949年製作)

1945年に敗戦になり、長野県にもアメリカ軍が駐留した

長野県の嘱託で通訳をしていた吾蔵が、アメリカで活躍していた「GOZO」であることが

将校に知れると、横須賀基地へ美術最高顧問として招かれた

吾蔵はここでマッカーサーや将校たちの肖像を制作

1950年、65歳で胃がんで没した

*亡くなる年まで、どうでもいい横須賀基地の将校やその夫人の胸像を作り続けた

左は子供の「アーサー・マッカーサー」

フィリピンコレヒドール島 敵前逃亡家族

「ヘレンケラー」と「川村吾蔵、家族」(1950年製作)

1937年、女性活動家の仲間と渡米した時に「ヘレンケラー」と出会う

ヘレンケラーが二度目の来日した際、再開し胸像制作に取りかかった

この胸像は、吾蔵が亡くなり未完成であった

婦人と長女の手により完成することができたという逸話がある

ヘレンケラーの胸像の表情はは他の胸像の表情と少し違う気がする

書簡と道具

川村吾蔵記念館を後にした

 

ツルヤショッピングセンター立科店

北佐久郡立科町芦田 1125-1

ツルヤ概要
1892年、長野県小諸市に魚屋として創業
店舗数34店、売上高861億円
一店舗当たりの平均年商 25.3億円

2019年度長野県内小売業売上高(東京商工リサーチ)では

ツルヤ 89,800百万円 前年対比 104.4%

デリシア 72,295百万円 前年対比 99.6%

綿半ホームエイド 51,676百万円 前年対比 100.2%

佐久地方はツルヤのドミナント

入口には練り粕の大陳

白瓜を漬ける季節だ

ツルヤの特徴は

・店には平台がない(鮮魚壁面売場除く)

・青果の品揃えは豊富で低価格である

・自社開発商品(PB商品)が多い

・ツルヤは「EDLP」が基本である

・最近はさらに低価格化が進んでいる

・「アウトパック」と「インストア」のマージンミックスは勉強になる

・世の中、「ニューディスカウント」が静かに進行しつつあるように感じる

イートインコーナー

購入商品

握り寿司 9貫 499円

アボカドグラタン 199円

握り寿司8貫499円は安い

まぐろおおいしい 他のネタはそれなり

アボカドグラタンは、アボカドの中にポテトグラタン、海老をトッピングしてオーブンで焼いたもの

これはおいしい

こんな景色の道を進む

中山道「望月宿」

昔の面影がまだ残っている

案内図

望月歴史民俗資料館

中山道地図

これは?

「駒つなぎ石」

望月宿の道の中央に川が流れていた

この石は馬や牛を繫ぎとめたもの

館内

特に興味を引いたのは「水戸天狗党」

「天狗党」とは、幕末期の水戸藩で活躍した「尊王攘夷派」を指す

和田峠を超えて、松本藩、諏訪藩連合軍と戦い、打ち破っている

和田峠の途中に「水戸藩士の墓」もある

道の駅にも寄ってみた

夕方であるため品薄になっている

冬瓜は150円

観賞用の蓮の実

朝8時半に家を出て夕方7時に帰宅

充実した一日であった

後日、岐阜城にも行ってきました

また紹介します

UNY MEGAドンキも視察

コロナがまだ収まりません

これまで慎重に生活してきたため、油断は禁物

ここはもう少し我慢

「雨の日には、雨の日の 生き方がある」

次回は岐阜城、明智、土岐の城を紹介しようと思っています

暇だが、忙しい