岐阜城(稲葉山城)① | 城取博幸のスーパーマーケット見聞録

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して行きたいと思います。

岐阜城(稲葉山城、金華山城、井口城)

鎌倉時代に二階堂氏が築造したと言われる山城

「斎藤道三」の居城の時は「稲葉山城」と呼ばれていた

「長良川の戦い」で勝利した道三お嫡男「斎藤義龍」の死後、龍興が家督を継いだ

1567年、「稲葉山の戦い」で信長が勝利し、「織田信長」が天下統一の足掛かりとして居城

今回のテーマは「光秀ルートの研究」

信州の自宅から高速道理、一般道を通り約3時間

自宅を起点に数日かけて

岐阜市「岐阜城」、可児市「明智城(長山城)」、土岐市「妻木城」、阿智町「駒場城」を訪れる予定

城下の地図

ロープウェイ乗り場

テレビドラマ「麒麟がくる」

斎藤道三ギャラリー

斎藤道三(元木正弘)の像

美濃の守護代で、「明智光秀」の君主

一介の油売りだった亡き父と共に親子二代で美濃の国盛りを目指す

天才的な軍事力と狡猾(こうかつ)な政治力を持つ

岐阜城の絵

三十塔

1917年、天正天皇大典記念事業として建築

日本画の巨匠「川合玉堂」が位置を決めた

ロープウェー 所要時間約4分  往復1100円

奥に見えるは長良川

右側が登り口、左が降り口

岩の形

金華山チャート

金華山の大部分は、チャートという堅い岩石からできており、岐阜城の石垣、庭園などにも使われている

伝、下台所跡

天守が見える

このころは信長は「天主」ではなく「天守」を使っていた

江戸時代の絵図や記録に「下台所」とある平らな場所

入り口部分の「二の門」のある場所

井戸跡

岩盤を四角形にくり抜いて、臼井を貯めて非常時の貯水施設として利用された

山城は水が貴重であった

天守

向かう道は石垣でできている

1910年、模擬天守が再建したが消失

1956年、鉄筋コンクリート建築で三層四階建ての模擬天守落成

山上部の石垣

城主の権威を誇示するため巨石を使用

天守入口

お城時計

大名時計・和時計

西洋の機械時計が日本に入ったのは「フランシスコ・ザビエル」が周坊国(現在の山口県)の大内氏に献上したのが最初である

岐阜城のジオラマ

戦国時代に山城は多く作られたが、籠城戦は援軍が来ない限り勝てていない

岐阜城も何度も攻められている

木造織田信長座像(等身大複製)

「本能寺の変」の後、信長公の菩提を弔う位碑所として、大徳寺総見院の本堂に安置された

紙本金地着色世界及日本地図(六曲屏風)の内 世界地図(複製)

宣教師等がもたらした欧州の地図情報をもとに日本で制作されたものと考えられます

銀箔押南蛮具足

岐阜城450周年を記念して南蛮甲冑をイメージして製作された

ビロードのマントを羽織っている

「ルイス・フロストの岐阜城訪問」

フロイスは岐阜城に8日間滞在し、キリスト教の保護を求めた

天守からの岐阜の景色

「美濃(岐阜)を制する者は、天下を制す」

信長の時代では50万石となった

山側の景色

下山する

途中の井戸

私は城や石垣のつくりにはあまり興味がないが、必ず井戸の場所はチェックしている

登りと下りは道が違う

展望レストランのメニュー

一番上に書かれた「どて丼」を注文

こんな景色

「信長どて丼」

別に信長が食べていたわけではない

ご飯の上に錦糸卵、どて、刻みネギ、白ごま、和辛子が添えられいる

とても柔らかく、牛と豚の味、食感の違いは分かる

八丁味噌とホルモンは実によく合う

冷えても硬くならないため、スーパーの惣菜売場にあってもよいメニュー

牛、豚ホルモンを八丁味噌などのブレンド味噌で煮込んだもの

名物菓子の「かがり鮎」

中は抹茶味のゼリー菓子

ロープウェイで下山し近くを散策

次回もまた岐阜城周辺を紹介します