西教寺のつづき。
西教寺は明智光秀の菩提寺である。
その1.で、明智光秀一族の墓に手を合わせた。
その左端の方、少し見つけにくい所にあるが・・・
↓明智煕子の墓

明智煕子の墓。
明智光秀の正妻にして細川ガラシャ
の母。顔に疱瘡の痘痕(あばた)があったが、光秀は快く煕子を迎えいれ、夫婦仲は良好だった
という。
越前で生活が苦しかったとき、夫のために黒髪を売って
助けたという逸話が残る。
↓明智煕子_説明


本堂。重要文化財
。1739年完成。
総欅入母屋造の豪華なつくりである。
↓本堂_説明

建物内は基本撮影禁止
のため、パンフの写真を載せてみた。
↓坂本城_想像イラスト

大本坊の中にはグッズ売場や休憩所があった。休憩所の壁に掲げられていた、坂本城想像イラスト。
↓渡り廊下

建物と建物の間は廊下で連結しており、スリッパのまま移動できるようになっている。
大本坊から本堂へ。
↓鐘楼堂

本堂南の廻り縁より外を見る。
鐘楼堂は1831年築。
ワイヤーロープがこちらに引き込まれていて、鐘は本堂からつく事ができる(行事の時以外一般の方はつかないで下さい、の注意書きアリ)。
↓菊の御紋

天皇家とは特に直接の関係は無いとの事だが、最澄ゆかりの寺だから。
↓客殿襖絵_説明

本堂の北から客殿(桃山御殿)へ。客殿は伏見城からの移築。
内部の襖絵、障壁画(伝狩野永徳の筆)とともに重要文化財。
襖絵らは小さな窓から覗ける。写真は撮れへんけど、さすがホンマもんやな、見事やったわ~。
それにひきかえ、庭園はどれも大した事なかったな~(※あくまで個人の感想です)
↓明智光秀画像

一番北には、明智光秀資料室が設けられている。
展示品の目玉は、かつての大本坊の梁に使用されていた材木。「天正年中明智公所造古木」と大書されている。
焼討ち
後に、光秀が西教寺再建に尽力した証拠となっている。
↓坂本城_模型

これぐらいやったら撮ってもええやろ。
完全に琵琶湖に突き出た海城の形状。
↓坂本城_模型2

海側から見た天守。
↓麒麟がくるポスター

2021年大河ドラマ「麒麟がくる」。
コロナ禍の影響もあり、結局麒麟🦒は来なかった。。(※あくまで個人の感想です)
でもこのポスターは格好いいな~。
↓明智夫妻木像安置室

煕子は、木村文乃さんが演じてたな。
↓明智夫妻木像

二人のご位牌とともに安置されている。
↓明智光秀座像

かたわらには光秀公の座像(人形?)。手ブレしとるやないかい
↓大本坊_説明

大本坊の写真は失念した。昭和の改築なんでまいっか。。

全体的に見どころがたくさんあって良かったな
。。
西教寺を後にし、来た道をまた引き返すこと2km、いやそれ以上に歩いて
琵琶湖の近くのバス停へ。
くっ、
ここで予想外の雨
が降ってきやがった

