西教寺!!!~その1. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

夏の間、あまりの熱さ滝汗にどこへも行く気がせず、家に引きこもっていたふとん1
少し涼しくなったので、ひっさびさのお出かけだビックリマーク

※ ※ ※ ※ ※

そのアクセスの悪さから、近いのにも関わらずずっと行ってなかった西教寺坂本城跡を目指す。


↓バス停近くの公園
バス停近くの公園
まずはJR比叡山坂本駅から日吉台線のバスに乗り、日吉台市民センター前🚏🚌で降りる。

そっから一直線の道をひたすら1.3km歩く走る人

↓西教寺御成門
西教寺御成門
やっと着いたぜ、西教寺

西教寺の総門は坂本城の移築門だ。

重要文化財キラキラ

寺院における最上級の格式を示す御成門。
戦国時代の豪放な武家風建築の要素を残す。

↓西教寺の総門_説明
西教寺の総門_説明
織田信長が比叡山を焼き討ちメラメラした際に西教寺も焼失。坂本城主・明智光秀がすぐに寺の復興に尽力した。その時に坂本城の城門を寄進したという。

↓沢庵禅師の碑
沢庵禅師の碑

沢庵禅師の碑

にゃんだ、これははてなマーク


↓沢庵禅師の碑_説明
沢庵禅師の碑_説明
1614年(慶長19)42歳のとき、沢庵禅師は西教寺を訪れた事が「石山行紀」という著書にしるされてメモいる。

↓西教寺_由緒
西教寺_由緒
西教寺聖徳太子が開創。
平安時代に良源大師が再興。
その後真盛上人が1486年復興した。

現在は天台宗真盛派の総本山である。

↓西教寺からの眺望1
西教寺からの眺望1
門を潜ってから拝観料500円を払い、パンフを貰う。案内パンフに従って突き当たりを左手に。

琵琶湖を拝める絶景ビューポイントキラキラ

↓西教寺からの眺望2
西教寺からの眺望2
いうても曇ってる雷さかいに、いまいちかもぶー

↓唐門
唐門
後ろを振り返ると、立派な唐門。明治に建立。

↓唐門_木彫り
唐門_木彫り
細工が細やかである。

↓唐門_扉
唐門_扉
扉にはスズメ?

↓眺望_額つき
眺望_額つき

↓唐門_内側より
唐門_内側より
軒に阿吽の麒麟が左右に彫られてるが、見えないな。まさに「麒麟が来る」。

↓石垣
石垣
お城っぽい雰囲気の石垣。この上に櫓とか建ってそうな。
あれは観音堂か。

↓風鈴回廊
風鈴回廊
夏限定の風鈴の回廊🎐。当初は9/21までの予定だったが、残暑を考慮しての1週間の延長期間だった。

曇りのためか、思ってたほどは映えない。

↓手水舍
手水舍
手水は使用禁止でした。。

↓墓地_案内図
墓地_案内図
風鈴回廊を抜けると前方に墓地があり、明智光秀一族の墓もある。

が、前を行くカップルふたご座は、風鈴の所ではしゃいでいたけど、墓や唐門は見向きもせずに素通りしていたにっこり

↓墓地_説明
墓地_説明
他にも戦国期の人物の墓があるが、知らない人達だったので・・・

↓明智光秀一族の墓
明智光秀一族の墓

こちらが明智光秀一族の墓

焼き討ち後に再建に尽力した事から、明智光秀の菩提寺となった。


「秀岳宗光大禅定門」と刻まれている。


↓明智光秀一族の墓_説明
明智光秀一族の墓_説明


つづく。。。