朝堂院公園からさらに北上。
ものの1分も歩けば、、
↓大極殿公園碑

大極殿公園が。公園内に入る。
↓長岡宮宝幢跡_説明

宝幢(ほうとう)というのは儀式用の旗柱
のことで、元旦
に行われる朝賀の儀式に使われた。


旗には青龍
・朱雀・白虎
・玄武の四神の絵が描かれた。


発掘調査で柱穴が3つ見つかった
という。

↓大極殿公園

↓史跡 長岡宮跡碑

ちなみに「長岡京」とは長岡にあった都そのものを指し、そのうちで政務を行った場所を「長岡宮」とよぶ。
↓長岡宮跡大極殿跡遺址之碑

こちらの碑は高さ約5mで、明治28年建立。
↓長岡宮跡

↓十三重塔

この十三重塔は何だろか
調べても出てこないところを見ると、特に意味はないのかも。

↓長岡宮の礎石

これらの礎石は、昭和三十~四十年代に小林清という方が工事現場に出向き、個人的に採取したもの。
当時は開発の際に何の調査も行われていなかった。恐ろしや~。。

↓長岡宮の礎石_説明

↓長岡宮の雰囲気

↓北大極殿公園

※ ※ ※ ※ ※
ここから東に向かって線路を越え、旧上田家住宅を目指すのだが、その途中に内裏公園という公園があった。
↓内裏公園の花

デルフィニウムか。
↓内裏公園

公園内には礎石の位置表示がされている。
↓内裏内郭築地回廊跡_説明

回廊の北西部だったことが判明している。
↓内裏公園の花2

↓黄色い花

キク科の花か。
↓旧上田家住宅

1910年(明治43)建築の旧上田家住宅。国登録有形文化財
。

ここから190m東にあったが、昭和17年に現在地に移転した。
写真は内蔵部分かな。
↓旧上田家住宅2

主屋の玄関部分。
入場は無料らしいので、内部も見学すればよかったにゃ~。

※ ※ ※ ※ ※
今度は西進して国道67号線に出る。
↓西国街道

京の東寺口から摂津へ抜ける古い街道。この道には入らず、67号線沿いに北へ。
↓須田家住宅

こちらは1744年には現在地に存在したという
須田家住宅。
かつては松葉屋という醤油屋だった。個人の所有で、主屋が京都府の有形文化財。
↓向日町競輪場

グイグイ北上していく。道中に見かけた向日町競輪場🚴♀️。
こんな所にあったのか~。ちょっと寄って・・・なに、2024年9月の開催を最後に改修工事に入ってるだとぅ

1950年の築で75年経ち、老朽化と赤字のため廃止一歩手前まで話が進んでいたが、結局アリーナを建設する方向で2029年頃完成する見込み。
※ ※ ※ ※ ※
↓例慶公園

さらに10分ほど北上してたどり着いたのは・・・例慶公園。
↓寺戸城跡

遺構はとくに無い。
ただの狭い公園。。だが、標注と説明板がある。
↓願徳寺宝菩提院跡_説明

ここに願徳寺という大寺院と宝菩提院(ほうぼだいいん)という道場が併設されていた。
なお、日本最古の入浴施設
が見つかっている。

↓寺戸城跡_標注

寺戸城跡の表示も。
「古城」や「南垣内」といった地名から、室町時代にこの地で活躍した土豪・竹田氏の城館があったものと考えられます。とある。
応仁の乱の際には東軍の拠点とされた。
南北朝時代に向日丘陵東斜面を利用して築城と考えられ、宝菩提院(南西にある、はり湖池の方)も城として含み、利用されたのだろう。
竹田氏は室町幕府直轄の西岡衆のひとりだった。
西岡衆は桂川西岸に割拠し、寺戸城主・竹田左京進仲広のほかに、今里城主・能勢光頼、開田城主・中小路五郎右衛門、物集女城主・物集女太郎左衛門尉などがいる。