長岡天神~桂の緒城!!!~その1. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

近場でどっか行くとこ無いかな~、と調べていたら、京都市西寄りに城跡・古墳が点在している事がわかった。

いうわけで阪急京都線の沿線を散歩してみた次第です。。
まずは長岡天神駅から~、スターティンビックリマーク

↓開田城土塁公園
開田城土塁公園
徒歩3分。開田城=かいでんじょう、と読むそうな。

↓開田城跡の土塁
開田城跡の土塁
一部は復元らしいのだが、このようにしっかりした土塁が残されている。

↓開田城跡の土塁_説明
開田城跡の土塁_説明
戦国時代、国衆のひとり、中小路氏の居館(居城)。乙訓、西岡では守護職に支配されない自治政治を目指し、国一揆を結んだ。開田城はその拠点のひとつ。

↓開田城跡の土塁_説明写真
開田城跡の土塁_説明写真
居館を方形状に土塁で囲み、堀もあったようだ。いまあるのは西辺の土塁。

↓開田城跡_地図
開田城跡_地図

↓開田城跡の楠
開田城跡の楠
土塁上のクスノキは市民の憩いのシンボルとなっているらしい。

↓開田城跡の土塁2
開田城跡の土塁2
長さ28mにわたって保存されている。

開田城跡の土塁3
南側より。

↓乙訓景観十景
乙訓景観十景
街中でありマンションに挟まれた立地ではあるが、いまある土塁だけでも後世に残していってほしいものだ。

はい、以上で本日のメインディッシュは終了となりますビックリマークあとは遺構すら無い物件となる見込みです。。なんですって~!ガックシ。。ガックリ

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↓八条ヶ池
八条ヶ池
開田城跡近くの八条ヶ池
鳩🐦️がおる。

↓八条ヶ池2
八条ヶ池2
八条ヶ池は1638年(寛永15)、八条宮智忠親王によって築造された。長岡天満宮の前庭であり、灌漑用水の役割をも果たす。

↓八条ヶ池_説明
八条ヶ池_説明
都市景観大賞・都市空間部門で大賞を受賞したとか。

↓鯉
鯉
カメラ向けたら寄ってくるなんて、そんなにモデルになりたかったんか~。

※ ※ ※ ※ ※

国道10号を北へ歩いて13分。
二番目に訪れたのは、今里城跡

↓今里城跡
今里城跡
なんや、説明板だけの城跡か。。

↓今里城跡_説明
今里城跡_説明

「能勢ひこ五郎」なる人物、いわゆる土豪

の城館で、発掘調査では堀・井戸・木橋などが検出された。

↓今里城跡_説明写真
今里城跡_説明写真
この写真、現状のどの場所かよう分からんな~。

↓今里城跡2
今里城跡2
分からんから、悔しまぎれに隣の駐車場を撮る。

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↓今里大塚古墳公園
今里大塚古墳公園
何と、ショックビックリマーク
この時間帯デジカメカメラの動作がおかしかったのだが・・・最後の一枚しか撮れていないとはビックリマーク

今里大塚古墳というのを見に行った証明にはなるが。。見た感じは円墳でした。

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長岡天神駅まで戻り、一駅乗って西向日駅で降りる。

↓長岡宮大極殿跡碑
長岡宮大極殿跡碑
駅前にあった長岡宮大極殿跡の石碑。

↓朝堂院公園
朝堂院公園
北へ歩くこと1分。

朝堂院公園だって。これは事前に調べておらず知らなかった場所。


↓朝堂院公園_説明
朝堂院公園_説明
784~794年、長岡京という都が存在した。
人口増加により手狭となった平城京から都を遷したのだが、洪水波などの影響により、わずか10年で平安京へ遷都された。

↓朝堂院西第四堂跡
朝堂院西第四堂跡

↓南面回廊跡
南面回廊跡

つづく。。。