↓赤門からの眺望

ここ石踏(せきとう)の段跡は、視界が拓けている。
↓赤門_天井

赤門だが、近年の建築かな

↓石踏の段跡

復元?された赤門のほか、何か石碑があるな。
↓赤井直正招魂碑

赤井直正招魂碑は、1819年(文政2)建立。

直正の生涯が漢文で刻まれているのだが、何箇所か登場する「光秀」の名が、何者かによって削られている。
近年まで明智光秀といえば「裏切り者
」という負のイメージが強かったから、であろうか。

↓石踏の段跡の石切場

黒井城の石垣に使われた石について調べても出てこなかった。
現地調達?かとも思ったが、切り出したにしてはイビツな岩だ。
自然の岩か、無理やり削平したものか。
↓主郭部見学路

この見学路をよく見てなかったから、帯曲輪や西曲輪をぐるりし損ねた
。三の丸からぐるりできたのか~


↓東曲輪跡

石踏の段跡から、またしばらく登山は続く。が、程なく東曲輪跡に到着。
あまり広い曲輪ではなく、三の丸石垣がもう目の前だ。
↓三の丸石垣

荒々しい野面積み。
↓三の丸石垣_北東隅部

隅部は算木積み。いうことは織豊時代以降の積み方か。
↓三の丸からの眺望

春日町黒井の農地が見渡せる。
↓三の丸跡

さらに奥には、二の丸の石垣が見える。本丸に近くなる度、段が高くなっていく構造。
↓二の丸石垣

上の方の石垣は崩落したのだろうか。
↓二の丸南側石垣

二の丸へは、南側についた階段から入る。
帯曲輪はこの先、立入禁止
となっていた。

↓二の丸南側石垣_拡大

なので見えている石垣をズーム
で。

石垣は南西側のみ積まれており、城下から見えるのを意識しているのだろう。
↓二の丸跡

二の丸跡に入った。
奥には本丸跡が見えている。
↓三の丸を見下ろす

二の丸から三の丸を見下ろす。
非常に整備された城跡である。
↓本丸手前の空堀

二の丸と本丸の間には、空堀とそれを渡るための土橋がある。
でも、土橋は通行禁止。
↓本丸手前の空堀2

空堀+石垣で、高低差のダメ押しじゃ

↓本丸南側石垣

本丸へは、やはり南側より入る。
↓本丸跡

ふ~着いた~



あそこのベンチで昼飯
食べようっと。。

↓黒井城本丸跡

週末だが、主郭付近で見掛けたのはあそこにいる人のみだった。
↓二の丸を見返す

↓本丸眺望_北

主郭付近からは、360度のパノラマが拝める。
北は福知山城のある方角。
↓本丸眺望_北北西

カメラ
を右へずらしていく。

↓本丸眺望_北西北

↓本丸眺望_東

東から南にかけ、盆地が広がる。
↓保月城趾石碑

先客が退いたので、城跡碑を見る。

黒井城は保月(ほげつ)城、保築(ほづき)城ともいい、赤松貞範が建武年間に築城した、といわれる。
↓西曲輪跡

本丸の先は、一段下に西曲輪がある。