黒井城!!!~その1. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

時は2025年3月。
寒さに負け、冬は全く出掛けなかった不安

ええ、ジジイですもんビックリマークしょうが無いやんビックリマーク

寒さが少し和らいだので、山城チャンスビックリマーク

ゆうわけで、平日でないのがやや不安ではあるが、黒井城跡のぼってみた。。

↓赤井直正看板
赤井直正看板
JR黒井駅で降り、まずは昼飯調達おにぎりのために城跡とは反対方向の駅南のスーパーへ。

ここで大きな赤井直正PRの看板、見ィつけたビックリマーク車の人は目にするやろう目が、ぷにゅたが見れたのは全くもってラッキーチューである。

↓黒井川
黒井川
駅の北へ。黒井川という川。
ここはもうちょっとしたら桜桜が綺麗でしょーな。

↓興善寺山門
興善寺山門
どんどん北へ。
興善寺はまだ先だからここで山門を潜らず、東から回り込む。

↓春日局庵
春日局庵
春日局庵
ここ黒井は春日局ことお福出生の地であるらしい。でも、週末やのに閉まってるな。

↓春日局生誕地_説明
春日局生誕地_説明
なになに、明智光秀の重臣・斉藤利三が黒井城に入り、お福をもうけたんか。
ここ興善寺は斉藤屋敷跡地だったのか。

看板の位置高杉やし、手前の木、邪魔なんすけどショボーン読まれへん。

↓トイレ入口
トイレ入口
裏手のトイレに入ろうとすると大きな黒井城看板。今度は光秀も登場やビックリマーク

↓ようこそ黒井へ
ようこそ黒井へ
登城口はもうちょい北やな。

↓楼門前の石燈籠
楼門前の石燈籠
何だ、このマツタケきのこみたいな燈籠ははてなマーク
絶妙なバランスで立つ、自然石の石燈籠。

↓興善寺楼門
興善寺楼門
二階建ての立派な赤い楼門。
創建年代は不明だが、宮津市の智源寺からの移築で、元禄年間に改修の記録が残る。

↓春日局出生地の碑
春日局出生地の碑

その手前にある、春日局出生地の碑


↓楼門_阿形
楼門_阿形
楼門左の仁王像?

↓楼門_吽形
楼門_吽形
右の仁王像。

↓台座
台座
台座の筋斗雲みたいなのも見事である。正式名称は知らん。
吽形の方の冠?はなぜか足元に置かれていた。

↓鐘楼
鐘楼
境内もちょっと入ってみる。

↓興善寺本堂
興善寺本堂
本堂前のピンク。百日紅(サルスベリ)とのことだ。

↓お福の腰掛け石
お福の腰掛け石
お福の腰掛け石
なるほど、子供が腰掛けるにはちょうどいい高さかも。

↓高石垣と七間堀
高石垣と七間堀
境内奥には、他にお福産湯の井戸、嘉吉三年の宝篋印塔があるらしいのだが、見逃した。

興善寺は斉藤利三屋敷だった地に建てられた。

その名残が感じられる高石垣七間堀は現存する。


↓国指定史跡碑
国指定史跡碑
坂道をあがっていくと、登城口広場(駐車場)に着いた。

↓明智光秀_説明
明智光秀_説明
広場にある説明板。右の方は明智光秀について書かれている。

信長から丹波攻略を命じられた光秀だが、一度目は敗北。天正7年、ついに黒井城は落ち丹波は平定された。

↓赤井直正_説明
赤井直正_説明
一度は光秀を退けたのが、丹波の赤鬼節分こと、黒井城主・赤井直正と波多野秀治の連合軍だった。

↓黒井城登山道
黒井城登山道

オーソドックスにゆるやかコースで登って、急坂コースで下山するつもり。
砦はしんどそうなんでやめておく。

↓登山口
登山口
ここで一息入れてから、いよいよ登山開始だ。なお、黒井城は別名・保月城とも呼ばれる。


↓豊岡稲荷神社
豊岡稲荷神社
とその前に、、登山口脇にあるこちらの神社神社で、城攻めの無事をお祈りして、とお願い

↓豊岡稲荷社_縁起
豊岡稲荷社_縁起
なになに、赤井直正が中腹に祀り祈願せり。大正時代はじめに麓に遷した、か。

↓登城開始
登城開始

↓防獣フェンス
防獣フェンス
6月にツキノワグマ、出たってよ!?

この防獣フェンスの建て付けが悪く、鍵の上げ下げが堅かった。

↓道中の雰囲気
道中の雰囲気

↓赤門
赤門
この日は暖かかった、ゆうか登山してたら暑いぐらい滝汗やった。この頃にはすでに上着を2枚も脱ぐ羽目になりましたとさ。てんてん。


つづく。。。