その2.では主に模擬天守と、天守台からの絶景を紹介する。
↓武者走り石垣

本丸はおおむね石垣でグルリ囲まれている。
この上には、瓦の検出量からして多門櫓があった可能性が高い。
↓武者走り傍からの天守

見えたぞ
天守・・・というか模擬天守、というか天守風展望台


天守台の上に竜宮門のような石垣を積んで、さらにその上にコンパクトな三層の模擬天守を載せている、オモローな形状。
↓天守と紅葉

コントラスト上げ杉た
。。

↓洲本城案内マップ

なんちゃってな天守に目を奪われがちだが、西日本最大級の規模を誇る総石垣の縄張が見事な山城だ。
山裾の下の城との間を結ぶ、東西の登り石垣が特徴。
↓天守台

高さ7mほど。
この天守台の上にかつて天守があったかどうかは不明(洲本城では建物が記載された文献が一切見つかっていない)。
けど、隅石は完全に算木積みで、重量を意識した造り。
↓本丸跡

天守台上には小天守台の方から上れるようになっている。
以前はここに休憩所
があったようだが、取り壊されていた。

↓山里郭を見下ろす

カメラ
を左へ回していく。絶賛整備中の山里郭跡。

↓眺望_東北東方向

大阪湾。
↓眺望_北東方向

いい天気
に恵まれ、絶景
や。


↓眺望_北方向

洲本港⚓️。
かつては交通の要衝だったが、神戸淡路鳴門自動車道の全線開通で役割が減った。
フェリーは現在では深日(ふけ)港からの1航路のみである。
メバルがよく釣れるらしい。
洲本港の奥には炬口漁港。
↓大浜海水浴場

洲本港の手前は大浜海水浴場。
↓眺望_北西北

洲本市街。
バス降りたところ=洲本バスセンターは、あのへん。
↓眺望_北西方向

奥の山は先山。
↓天守_東面

小天守台より模擬天守を見る。
こちら面は破風の数が少ない。
↓模擬天守下

石板には「御大礼記念、天守閣、洲本町、昭和参年度建築」などと刻まれている。
それにしてもこの天守、どっから上がれるんや

↓模擬天守_内部

真下から見上げる。
現在は耐震性などに問題があり、中には立ち入れないが、往時はこの下から階段が出ていたっぽいな。
↓眺望_西方向

淡路ICの方向。
↓搦手門跡を見下ろす

搦手門は現在通行止め。
食違い虎口。
↓本丸跡を見下ろす

本丸跡の雰囲気。
↓絵画風のカット

↓大阪湾

遠くに見える陸地は、淡路島北部。
↓二股の大木

天守台から降りた。
写っていないが、幹の中に観音さまがおられました。
↓謎の句碑

"誰も注目してない石碑"!の時間です。パチバチパチ
こちら、本丸にある046cafeの傍らに建つ謎の石碑。顕彰碑の類いかと思って撮ったのだが・・・調べてみると、、
「千萬の国のえみしの耳きりて 山つくらばや武蔵野の原」
裏面:「昭和九年春 大内理太郎」
作者・鈴木重胤
唄の意味などについては情報出てこないなー。
鈴木重胤は淡路島出身の江戸時代後期の皇学者らしいけど。
↓謎の句碑_裏側

自分なりに解釈してみる。
「異国の民の、何千何万の耳を切り取って、それを積み上げて山を作りたいなぁ、原野の原っぱに」
これは・・・慶長の役の事を言ってる

諸将が手柄を誇示するのに、万余の明、朝鮮の兵や民を殺し、首はかさばるからと鼻や耳を削ぎ落とし日本にいる秀吉に送ったのは有名な話。
洲本城主・脇坂安治も水軍率いて参戦してる。
脇坂、ディスられてる
痛烈な城主批判のわらべうた
なお、脇坂安治は朝鮮出兵の手柄で3千石を加増されている。
↓ツバキ栽培品種
