2024年11月。念願の淡路島・洲本城へ。
伊丹空港からリムジンバス🚌1本で行けます
(要予約)

ほとんどの乗客は「ニンゲンの森」とかいう所で降りていき(よく調べたらニジゲンノモリでした)ぷにゅたのみ、洲本バスセンターまで乗車。
↓大浜海水浴場

バスセンターから一路南下。途中左手に見ゆるは洲本大浜🏖️の林と海岸線。
↓洲本城天守_遠望

もう三熊山山頂の模擬天守が見えている。
↓藩庁跡北東端の櫓台跡石垣

三熊山北の山麓には、江戸時代の藩庁が置かれていた。
これはその東の端。
車軸積み、という落し積みの一種だそうな。
↓藩庁跡前の水堀跡

ご覧の通り藩庁跡の石垣と水堀が残っている。
水堀には3本の土橋が架かってて、それを渡った先が藩庁跡。
↓お登勢の像

堀の前に建つお登勢の像。
お登勢とは幕末~明治の激動の時代の洲本を舞台とした小説の主人公で、実在の人物ではない。なお、寺田屋の女将とは別人です。
↓庚午事変とお登勢_説明

庚午事変(こうごじへん=稲田騒動)とは、明治3年に徳島藩の過激派元藩士らが、稲田氏の屋敷などを襲撃し
、死者17人はじめとする被害を出した凄惨な事件
のこと。


経緯として、稲田家は代々洲本城代を務め、実質上淡路島の領有を任された家老であり、幕末には新政府派となって徳島藩と対立を深めていた。
現在、淡路島が兵庫県となっている原因ともいえる。
↓淡路文化史料館と城跡碑

藩庁跡には現在、淡路文化史料館、検察庁、裁判所などが建つ。
↓藩庁東民政所跡

↓堀跡と石垣

石垣は打込み接の乱積み。
↓二つ目の土橋と検察庁

↓裁判所と三熊山

西端にも櫓台がある。
↓登城口

西端から道なりに進み、突き当たりを左にいきすぐ右手、歩いて登るための登城口がある。
↓分岐点

左から登ってきて手前へ進む。
右手から登ってくる道と、ここで合流している。
↓通行止め

なぬ
通行止めとな


この先に登り石垣があるんやけど・・・幸い工事などはしてない様子。
安全に留意しつつ、恐る恐る奥へ立ち入ってみたろ。自己責任で。
↓西登り石垣

立ち入って程なく見えた。
ちょっと判りにくいけど、これがそうやろ。
↓西登り石垣2

下から見上げる感じでもう一枚。
↓八王子神社参道鳥居

通行止め看板の所まで戻り、八王子道から登る。
↓八王子神社

ゼェゼェ。。
なめてたのもあるが結構しんどいな(;´Д`)ハァハァ。
巨石の下に鎮座するのが八王子神社
か。

手ブレやないかい
さては息があがっとるな。

大永6年頃、洲本城を築城した安宅隠岐守が城郭の鎮護とした、といわれている。
↓十二支社

登り終わる寸前、十二支をそれぞれ祀る社が。誰が何の為に
よくわからないし、どれがどの干支かもわからなかった。

↓八王子木戸跡

八王子木戸跡に至る。
名前からすると櫓門ではなく、木製の門があっただけだろうか。
↓八王子木戸跡_内側より

↓隅石は崩落したか

↓日月の池跡

日月の井戸もあるらしいが、見逃した。
なんしか城の水手
を確保するのに重要な場所だったと思われる。

ここで池を眺めながらのランチタイム
としました♪

↓本丸方向

この石垣の上が山里郭で、奥に人影が見える高石垣が本丸かな。
↓本丸への虎口

ここから本丸へ向かうには、右へ。
↓本丸東石垣_山里郭跡より

山里郭跡は整備中だが、作業中ではなかったので、少しだけ入って本丸高石垣をちょい見。
↓本丸大石段

「輪違い紋」ゆう事は、蜂須賀よりも脇坂推し
という事なのか。

1585年~1609年まで城主で、総石垣の城に改修したのは脇坂安治。言わずと知れた賤ヶ岳七本槍の一人。
↓本丸石垣

↓本丸虎口

では本丸大石段をあがり、いざ本丸へ。
石段の最後は折れ曲がってるな、枡形構造。
↓雁木

本丸に着いたZ

おう、石段を上がってくる敵を、この石垣の上の櫓から攻撃するのか。守備兵が櫓に上がる為の雁木が。
↓武者走台

こちらは本丸側面の武者走り台。守りは鉄壁やな、こりゃ。