~宇陀松山城 年表~
- 14世紀半ば、宇陀三将(他に芳野氏、沢氏)の一人、秋山氏が阿紀山城を築く
- 1585年(天正13)豊臣秀長の大和国入部に伴い、秋山氏は退去
- 以降、秀長により伊藤義之→加藤光泰→羽田正親と目まぐるしく城主交代
- 1592年(文禄元)多賀秀種が城主に。城の大改修を行う
- 1600年(慶長5)家康により福島高晴(福島正則弟)が城主に。城を大改修し、松山城と改名
- 1615年(元和元)高晴、大坂方と通じた疑いで改易。城は廃城、破却される
- 家康により織田信雄が大和と上野に5万石を与えられ藩主となり、麓に陣屋を構える
- 1694年(元禄7)四代藩主信武のとき、お家騒動(宇陀崩れ
)が起こり、信武が自殺。織田氏は丹波柏原へ減転封となる。宇陀は幕府直轄領となる
- 2006年(平成18)国史跡に指定
- 2017年(平成29)日本続100名城に選出
なんと
信長の次男・あの信雄が、流れ流され、こんな所(失礼な言い方やな!)に領地もらってたんか。

いうても本人は一辺もここに来てないみたいやけどな。
↓薬の館

宇陀市大宇陀歴史文化館「薬の館」(旧細川家住宅)。1806年創業の薬問屋💊を改修。
屋根にかかる大きな看板が目立つ。
↓宇陀松山の町並み

月曜日のためか、人影はまばら・・・というか、貸切り状態
。

写真に写る人間は全て我ら一行です。
↓山邊義徳家住宅

この辺りで最も古い1783年頃の築で、紙問屋。切妻・厨子二階。
宇陀紙は手漉きの和紙で、いまなお重宝がられる。
↓カマキリ

トイレ休憩の時見つけた。
お腹がでかいから、ハラビロカマキリか。

↓花模様

花壇かと思ったら、葉っぱとか茎が見当たらない。何だコレ
造花か?

↓ハせ弥

奈良漬の樽看板がひときわ目を引く。
↓虫籠窓

虫籠窓がある家がメチャ多い。
この家は一部改修された窓か。
↓都司家住宅

都司家住宅「更紗屋」。神楽岡神社の参道の角に建つ。1868年(明治元)頃の築。
片側入母屋、厨子二階。
↓神楽岡神社参道

ご祭神は天照皇大神(あまてらすすめらおおかみ)。高台にあるため、参拝は見送り。
↓黒川家住宅

寛政3年の築。黒川本家は葛を扱う商家で、ここの吉野葛は宮内庁御用達。
厨子二階には3種類の虫籠窓がある。
↓森野旧薬園

史蹟森野舊薬園の石碑。
吉野葛を扱う。1729年に薬園が開かれた(日本最古の私設薬草園)。
↓森岡家住宅

この地区には珍しい妻入りで表側は入母屋屋根の町屋。
↓宇陀松山の町並み2

↓飾り破風がある家

唐破風と千鳥破風、どっちもある

松の枝っぷりもよいね
。

↓宇陀市松山地区まちづくりセンター

千軒舎。薬屋、歯科医院をしていた家を改修。
無料開放している。
タダやし、ちょっとここで休憩
。

↓久保本家酒造

300年の歴史を持つ蔵元
。宇陀川沿いに蔵が建つ。

↓道の駅 宇陀路大宇陀

名残惜しいが通りを離れ、道の駅 宇陀路大宇陀へ。
道の駅も、雰囲気を壊さない建築物やね。
↓ご当地ソフト

ブルーベリーソフト
。うまし。


暗かったので色補正してます。ここまで紫色濃くない。
他に厚切りハムカツ食べた。
↓足の湯

大宇陀温泉あきのの湯♨️。ここの道の駅では、無料の足湯を楽しめる。
気持ちいい~♪汚い脚なのでモザイクかけてみた。
↓お土産たち

お土産買って家路へ。
吉野葛、柿パイ、柚子胡椒、つるむらさき・・・お土産はやっぱり地のものを買いたくなるよねー。