宇陀松山の町並み!!!~その1. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

大和筒井から移動して、榛原(はいばら)ゆう所へ。絶対読めん。

送迎バスで「美榛苑(みはるえん)」という温泉旅館♨️で家族と合流、宿泊しましてん。

↓ホテル内・和傘の飾り
ホテル内・和傘の飾り
和傘のライトアップゆうたら、高取の壷坂寺が出てきよんな。
近くの室生寺でもタイアップしてるらしぃな。しらんけど。その関係かはてなマーク

↓ハっぴーくん
ハっぴーくん
八咫烏(やたがらす)をイメージ。足は3本で、なぜサッカーボールに乗っているはてなマーク

↓ウッピーくん
ウッピーくん
ウッピーくんの方は、宇陀市の花・すずらんの妖精って事らしい。

↓夕食(付出し)
夕食(付出し)
順次食べるので、メインディッシュとかの写真は撮らず。
炊き込みご飯が美味でした。

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↓宇陀松山・伝統的建造物群保存地区
宇陀松山・伝統的建造物群保存地区

翌日。
近い割りには500円も運賃取られるけど、バスで宇陀松山へ。

宇陀松山観光はぷにゅたのゴリ押しなんやけど、ぷにゅた一家は総じて歴史好き。異論は出なかった。

↓宇陀川
宇陀川
宇陀川に架かる橋の上より。

宇陀川はやがて名張川(なばりがわ)と合流する。

↓松山西口関門(黒門)
松山西口関門(黒門)
通称・黒門といわれるが、正式には松山西口関門。城下町の西の出入口で、国史跡。

↓松山地区_案内図
松山地区_案内図
安土桃山時代今どき言わんか。織豊時代に豊臣秀長の家臣によって整備・拡充された宇陀松山城の城下町として発展。

江戸時代~明治時代に建てられた商家や町家などの伝統的建造物が数多く残る。

間口の広い建物が建ち並んでいるのが特徴。

↓松山城下町_説明
松山城下町_説明

↓松山西口関門_説明
松山西口関門_説明
文字はかすれてしまってよく読めない。

16世紀末~17世紀初頭に建てられた、宇陀松山城で唯一残る建造物だ。

↓松山西口関門(黒門)内より
松山西口関門(黒門)内より
高麗門形式でんな~。

↓松山西口関門(黒門)2
松山西口関門(黒門)2
反対側から来た人には、多少見つけづらいかもしれません。

↓消火器ボックス
消火器ボックス

↓植田家住宅かぎや
植田家住宅かぎや
江戸時代後期の建物。
材木や油、米穀🍚などの取引を営んでいた。

↓犬矢来
犬矢来
これ、懐かしいな。僕が子供の頃にゃあ街中で見られたけどな。京都やさかいに。

犬矢来(いぬやらい)とは、犬の放尿や泥はねを防ぐなどの目的で、主に竹で作られた。

↓イヌサフラン
イヌサフラン
こっちは同じ犬つながり🐕️で、イヌサフランか。
サフランに似ているが、犬でも食べない事からこの名がついた。毒性あり、食べないように注煽り

↓春日神社参道
春日神社参道
春日神社。
1405年(応永12)足利義満が宇陀の地を春日神社に寄進したことで、この地に造られた。

↓宇陀松山城跡_遠望
宇陀松山城跡_遠望
石垣が見えてきた。

春日神社は宇陀松山城の麓にあり、中世には城郭の郭としての機能も併せ持っていた。

↓春日門櫓石垣_右
春日門櫓石垣_右
春日門跡。両脇に櫓台の石垣が残る。

↓春日門櫓石垣_左
春日門櫓石垣_左
右折れの枡形状になってますな。

さて、この先にある宇陀松山城跡本丸まで攻めたい所やけど、今回は年老いた親も同行しており、また見所たくさんという訳でも無さそう、ここまでにして通りへ引き返す。

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↓森田家住宅
森田家住宅
1808年(文化5)頃に建てられた森田家「諸木野屋」。薬💊や雑貨を商っていた。

一階右端の戸袋に、薬の看板が使われている(ちょっと白くなってる板)。


つづく。。。