年の瀬⛄️🎄を迎え、ようやく春の山陰旅行
の紹介を終えたか。

今年は暑さ
もあって、城ブラは少なめだった。

・・・そのうち追い付くっしょ

今まで追いついた事は皆無です。
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3週間ほどで我が家の外付けHDDは何故か復旧し、中のお城画像も無事で、現在は順調に稼働している。
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一昨年、郡山城跡に行ったのだが、今回は周辺を散策(訪問は2024年11月)。
↓郡山城外濠跡碑

これは今回行っておらず、だいぶん以前に行った時の写真。もし状況が変わっていたらゴメンなさい🙏。
↓郡山城外濠跡

この外濠跡はJRの駅近くなので、JRで来た人は目にしやすい。
↓郡山城下の雰囲気

一昨年は、大納言塚へ行くつもりだったが、駅前でランチ
を食べている間にコロっと忘れてしまった。

今回は大納言塚と、紺屋前の水路に行くのが目的である。
↓金魚鉢

郡山ゆうたら金魚。
幕末に藩士の副業として、維新後は職を失った藩士や農家の副業として盛んに行われるようになった。
↓金魚

↓箱本館 紺屋

江戸時代から続く藍染め商の町屋をリノベーション。藍と金魚を楽しめる。
↓紺屋前の水路

道の真ん中に水路、といえば島原を思い出す。まあ、あっちの方が風情あったけどね↓
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↓大納言塚 史跡碑

20分くらい歩いて大納言へ。
大納言塚というのは秀吉の弟・豊臣秀長の墓のこと。
道中は坂道もあり、近くは無い。
↓大納言塚_入口

墓所は土塀に囲われている。
裏手から回り込む形で入口を発見。
↓大納言塚

位牌は京都の春岳院に移されたが、1777年春岳院の僧が郡山町民らの協力を得て、元々葬られていた場所に五輪塔を立て、土塀を造った。
↓大納言塚_拡大

五輪塔は高さ約2mで、戒名「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」と刻まれる。
↓大納言塚_石碑

参拝口の正面に向けて建つ石碑。
こちらから来る人は少ないのか、木々に隠れて存在感はあまり無い。
↓大納言塚_説明

豊臣(羽柴)小一郎秀長については、今さら言うまでも無い。
兄秀吉を支え、大和郡山の統治を任された。
秀吉が天下統一を成し得たのは、半分は秀長のおかげ、という人もいる。
秀長病死後の秀吉のほうけぶり
(秀次事件、利休事件、大陸出兵、家中の対立など)を考えると、うなずける。

↓豊臣秀長_肖像画

2026年、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」。ついに主役となる豊臣秀長。
俳優のキャラで言うと、秀吉と逆やろ
・・・ってゆうツッコミはしないでおこう。。

「半沢直樹💴」「下町ロケット🚀」「陸王👟」など手掛けた脚本家が、果たしてどのように彼の生涯を描いていくのか、楽しみではある。
おわり。。。