筒井城!!! | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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↓大和街道より虎口を見る
筒井城跡石碑への辻
近鉄郡山駅から一駅、筒井駅で降りる。

一昨年に来た時は城跡石碑の場所がわからなかった。どうもこのほっそーい路地裏が怪しい。思いきって入ってみよう上差し

↓家と家の間を奥へ
家と家の間を奥へ
幅はおよそ1m、道というより家と家の隙間やん。
本当にこの先にあるのかはてなマーク

正面は人の家の勝手口だが、道は左手に続いている。

↓さらに奥へ
左折してさらに奥へ
左折してさらに右折、すっごい所通るなー。

あとで調べたらこれは虎口跡で、枡形状になっているのもそのため。道幅もあえて狭くしたのがそのまま残っている、との事だ。


はてなマーク何か見えてきたゾィ。

↓筒井順慶城趾石碑
筒井順慶城趾石碑
念願の石碑に到着。

筒井順慶城趾石碑


2年越しのリベンジ成功じゃいビックリマーク

↓筒井順慶城趾石碑_横から
筒井順慶城趾石碑_横から
ここは筒井城の西端にあたる。

深夜とかの訪問は控えた方がいいでしょう。

↓石碑より東方向
石碑より東方向
石碑から見て、農地が広がる方に筒井城があった。

↓堀跡1
堀跡1
城跡の敷地内には入れないので、南からぐるっと回り込む。

これは途中で見かけた水路だと思うのだが、どこらへんなのか忘れてしまった。

↓堀跡2
堀跡2
反対側。たぶん堀の跡かと。

↓筒井城跡看板
筒井城跡看板
筒井城跡の主郭、東側に到着。
南から北端まで歩き、さらに袋小路の道を南下。はじめから北から回り込んだ方が早かったわ~。。笑い泣き
ここは城郭中枢部。
↓筒井城跡
筒井城跡
筒井城は、郡山城を築いて居城を移すまで、筒井氏の本拠地だった。って言わんでも分かるか、さっきの石碑で。

↓筒井順慶掲示板
筒井順慶掲示板

↓筒井城_説明
筒井城_説明
筒井氏が文献に登場するのは、近年の研究で1343年だった事が明らかとなった。

国替え後、信長の命によって筒井城は破却された。

↓筒井城_縄張
筒井城_縄張
地図によると、筒井城跡の看板がある現在地一帯が、主郭だったようだ。

↓昭和38年空撮
昭和38年空撮

↓堀跡3
堀跡3

菅田比売神社の木々が後ろに見えるので、城の南側だろう。

古地図ではここに堀は描かれておらず、ただこの辺り一帯が湿地帯なだけかもしれない。写真右側は造成しているのが分かる。


↓蓮池
蓮池
やっぱり。バリバリ湿地帯やん。

↓マンホール
マンホール
きんぎょ。

↓堀跡4
堀跡4

↓祠
地蔵尊

↓堀跡5
堀跡5
これはれっきとした内堀の跡でしょ。

↓菅田比売神社
菅田比売神社

菅田比売神社神社の境内も、主郭内に含まれていたようだ。


↓菅田比売神社石碑
菅田比売神社石碑


※ ※ ※ ※ ※

筒井から一駅分歩いて平端へ。

↓ため池
ため池
この辺には、写真以外にもため池がたくさんあった。海無し県ゆえのアルアルだろうか。

↓筒井村道標
筒井村道標
道中にあった道標。「筒井村道路云々」とか書いてるから、近代のものだろう。

↓雰囲気ある家並
雰囲気ある家並
どんどん南下していく。

↓道標
道標
道の分岐点に立てられた石標。

八木方面、郡山方面、電車停留所近道など書かれてるから、やはり近代のものに違いない。

↓収穫
一昨年行った時の写真。
収穫の季節だ、刈り取った稲を天日干ししていた。
乾燥させるとともに風にさらす事によって、米が固くなり、長期保存できるようになるんですって。

↓厳島神社
厳島神社
目的地の近くに厳島神社神社があった。
なかなか古そうな鳥居さんである。

↓五輪塔覆堂
五輪塔覆堂
着いた。。
五輪塔覆堂。いわゆる筒井順慶の墓である。

残念な事に、この時は施錠されてて中に入る事は叶わずだった。

↓五輪塔覆堂_説明
五輪塔覆堂_説明
なので、門の外からズームして説明板をパチリ。
もし開いていたとしても、大きな蜘蛛の巣が行く手を阻んでいた。

↓五輪塔覆堂_外面
五輪塔覆堂_外面
天正12年、順慶は36歳の若さで病死してしまった。

松永久秀に圧迫された時季があり、苦難の末の大和国掌握だったイメージ、、そんなに若くして亡くなっていたのかビックリマーク

↓五輪塔覆堂_拡大
五輪塔覆堂_拡大
一間堂で宝形造り、屋根は本瓦葺き。

建物の中に五輪塔や一周忌に寄進された石燈篭などが残されている。

現状は格子の隙間から、わずかにのぞく事しかできない。

南無・・お願い


おわり。。。