米子駅から長駆、鳥取駅へ。
各停では乗り換え有りで2時間36分かかるところを、特急だと1時間5分で着く。
↓天神川

電車の窓より。
倉吉駅の近くを流れる天神川。
↓くる梨バス

11時には鳥取駅に着いた。
鳥取駅で100円循環バス
に乗り、西町五丁目いうバス停で降りる。

↓鳥取城全景(久松山)

バス停からは標高263m、久松山が見えるので
そちらを目指す。
↓内堀

擬宝珠橋(ぎぼしばし)より北方向の内堀。水堀も遺構だ。
中ノ御門は擬宝珠橋が復元工事中?で通れなかった。なので写真奥に見える鳥取県立博物館前の方からしか入れない。
遠回りやないかーい

↓「ふるさと」歌碑

なんだこれ?岡野貞一の歌碑

「う~さ~ぎ
、お~いし、か~の~や~ま~」で有名な唱歌「故郷(ふるさと)」。その作曲者、岡野貞一が鳥取県出身ということだ。

隣にメロディーBOXがあり、ボタンを押すと歌が流れる。恥ずかしいから押さないけど。
↓宝珠橋跡

宝珠橋(ほうじゅばし)のあった所に、土橋が造られている。
↓久松公園モニュメント

城跡のあるエリアは久松(きゅうしょう)公園と呼ばれているらしい。
モニュメントは地元の彫刻家・山本兼文氏の作品。
↓史跡碑

「史跡 鳥取城跡 附 太閤ヶ平」。
太閤ヶ平(たいこうがなる)とは、鳥取城本丸から東に1.4kmの所にある秀吉
本陣の事。鳥取城跡と太閤ヶ平を併せて国史跡ですよ~という意味か。

・・・チャリ置き場
になっちゃってるけどね。

↓北ノ御門跡

慶長の大改築前はこちらが大手門だった。改築後は搦手門となった。
↓堀_城内より

門跡を抜け、すぐ右へ。まあまあ広い堀幅。
このあと7月に某番組で、堀の水全部抜いたらしーけど、見逃した(訪問は2024年4月)。
↓北御門跡脇の石垣

崩落してしまっている箇所。
ちなみにこの日は清掃の日だったようで、ご苦労様です。
↓丸ノ内跡

丸ノ内跡には、かつて米蔵が建ち並んでいた。
↓山下ノ丸を見上げる

ここ丸ノ内跡から見上げる、山下ノ丸の石垣。
戦国時代の山頂の山上ノ丸に対し、麓に築かれた近世城郭部分をこう呼ぶ。
↓山下ノ丸_拡大

一番高い所に見える石垣の上は、天球丸(てんきゅうまる)。
↓仁風閣を見上げる

↓仁風閣

正面より。
こちらは現在閉館中とのことだ。
なんでも映画「るろうに剣心
」ロケ地として使われたらしぃな。見たはずやけど、あまりピンと来てない。

↓近世城郭としての鳥取城

1617年に入城した池田光政が、32万石に相応しく、現在に残るような姿に大改変した。
↓西坂下御門跡前の石垣

北ノ御門跡から道なりに山の方へ進んでいく。この辺の石垣は新しいっぽいね。
↓西坂下御門(跡)

西坂下御門。
唯一現存した建造物だったが、惜しくも昭和50年の大風
で倒壊してしまい、その後修復された。

↓西坂下御門跡_内より

振り返る。ほう、高麗門形式やんか。
↓右膳ノ丸跡_石垣

左手を見上げると、防護ネットが張られた高石垣が。
歪みや孕みがあるとの事で、安全面のため仕方無いか。

この上は右膳ノ丸だった。
↓二ノ丸南張出し部の石垣

野面積で隅石は算木積みになっていない。古い時期に積まれたものか。
この上には二ノ丸下の帯曲輪があって、さらにその上に見えているのが、三階櫓跡石垣。
↓久松公園案内マップ(山下)

現在地から道は二手に別れ、二ノ丸西口へ通じる道と南口に通じる道がある。
南口から入るつもりだが、二ノ丸南西側の石垣も少しだけ見にいってみよう。
↓二ノ丸西虎口への石段

うおっ
正面も右手も城壁が。

軍がこっちから攻城するのは、まず不可能やろう。
↓複雑な形状の石垣

石垣の宝石箱
や~♪


何がどうなってんのん

隅石の上は裏御門跡となっているので、門櫓の櫓台なのかも。
↓複雑な形状の石垣2

別角度で。
右下の方は崩落防止の補強で土留めし、さらに表面を石垣で固めたものだろう。
↓二ノ丸南西石垣

こっちの方は真新しい石が多く、近年に完全に積み直してるわ。分岐点に戻るか。
↓二ノ丸南石垣

分岐点から右手へ進む。
うん、こっちは古いな。味がある。
↓二ノ丸南石垣_東方向

二ノ丸南口へ向かう石段をサイドから。
↓二ノ丸南虎口への石段

石段。
↓二ノ丸南石垣_東方向2

石段のさらに東方向の石垣。
↓隅石の痕跡

お!隅石だったらしきラインを発見。

左側と上に、後から拡張・積み増ししたものと思われる。