米子城!!!~その3. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

↓仕切門を下の段より
仕切門を下の段より
南の方向にある本丸下の段に移動。
振り返って仕切門。
奥が本丸上の段、天守跡。

↓本丸下の段
本丸下の段
下の段からは南側の眺望が開ける。

↓下の段からの眺望_新加茂川
下の段からの眺望_新加茂川
新加茂川
近年の改名により旧加茂川が加茂川、加茂川が新加茂川となった。何のこっちゃ。

↓水手御門跡
水手御門跡
この曲輪の南端にある出入口、水手御門跡
水手御門下郭を経て、石切丁場へ通じる。

↓水手御門跡_外より
水手御門跡_外より

この先は通行止めだったと思われ、ここで引き返す。


↓犬走りへ
犬走りへ
次に、仕切門石垣の左手の石垣の袖を通る道(犬走り)があるので、そちらへ。

↓仕切門石垣
仕切門石垣
間近に見る石垣は野面積み。

↓根石
根石
一番下の根石の上にスマホ📱を置いてみた。

メチャクチャでっかい岩だとお分かり頂けるかな。

↓遠見櫓跡
遠見櫓跡
この写真だと、ただの広場に見えちゃう。
ここに遠くまで見渡せる櫓があったようだ。

↓本丸北西隅石垣
本丸北西隅石垣
天守台の北西隅は、石垣が複雑な形状で積まれてる。

↓クルマダリア
クルマダリア
この辺りにあった希少品種のクルマダリア。

↓本丸北西隅石垣2
本丸北西隅石垣2
すんごい積み重ねてる~ラブラブ萌え。。

左上にちょこっと天守台

↓本丸三段石垣
本丸三段石垣
ぐるりスターして本丸エリアのスタート地点に戻ってきた。

ボチボチ下山するか。

↓米子城跡_全景
米子城跡_全景

降りてきて、三の丸跡の駐車場から振り返る。

二の丸石垣もよく見える。


↓米子城跡全景_拡大
米子城跡全景_拡大
山頂の石垣と麓の旧小原家長屋門を一枚に収めてみた。

↓湊山公園
湊山公園
さて、まだ時間があるがどこへ行こうか。

飯山城跡(采女丸)は遺構も無さそう。
移築門、中村一忠の墓がある南の感応寺も気になるが、ここは北上して湊山公園へ。

湊山道が通行止めだったので、少し遠回りはなるが。

↓湊山公園の池
湊山公園の池

↓清洞寺跡
清洞寺跡
池のほとりにある、こちらの供養塔たちがお目当て。

↓加藤光泰、池田由之夫妻の供養塔
加藤光泰、池田由之夫妻の供養塔
左から藩主・池田由之と真ん中はその妻、右が加藤光泰の供養塔だ。これははてなマーク

↓清洞寺跡_説明
清洞寺跡_説明
まず、1610年領主となった加藤貞泰が、朝鮮で亡くなった父・光泰の供養塔を建てた。

光泰は秀吉に仕え、山崎の戦いナイフなどで功を立て甲斐一国24万石にまで出世した武将だ。

貞泰は米子の統治わずか7年余りで、伊予大洲6万石へ移封。

↓加藤光泰、池田由之夫妻の供養塔2
加藤光泰、池田由之夫妻の供養塔2
そして後年、領主となった池田由成が、亡き父母の為に五輪塔を建てた。

それらの菩提寺は廃されて五輪塔だけがここに残され、清洞寺という全く別の寺となっていたが、それも維新ののち廃寺になった。

↓中海埠頭より
中海埠頭より
せっかくここまで来たからには、中海を間近で見ていくか。

晴天で湖面に青空が映り込み、映え映えキラキラである。

↓中海埠頭より2
中海埠頭より2

港⚓️がこれだけ城に近いというのは、交通・物資の搬入などの面で利便性が高かったといえる。


↓米子駅ホームにて
米子駅ホームにて

この後は鳥取城を目指すが、移動距離も長いので料金よりも時間を節約し、特急で。

窓口は混んでたが、駅員さんが「自動券売機でも買えますよー」と誘導し、ボタンも押してくださいました。

ありがとうこざいますチュービックリマーク


なぬっ、ICCOCAは使えないはてなマーク
聞いてよかった、乗車券も買わねば。

9時52分発、スーパーまつかぜに乗り込む。


おわり。。。