↓仕切門を下の段より

南の方向にある本丸下の段に移動。
振り返って仕切門。
奥が本丸上の段、天守跡。
↓本丸下の段

下の段からは南側の眺望が開ける。
↓下の段からの眺望_新加茂川

新加茂川。
近年の改名により旧加茂川が加茂川、加茂川が新加茂川となった。何のこっちゃ。
↓水手御門跡

この曲輪の南端にある出入口、水手御門跡。
水手御門下郭を経て、石切丁場へ通じる。
↓水手御門跡_外より

この先は通行止めだったと思われ、ここで引き返す。
↓犬走りへ

次に、仕切門石垣の左手の石垣の袖を通る道(犬走り)があるので、そちらへ。
↓仕切門石垣

間近に見る石垣は野面積み。
↓根石

一番下の根石の上にスマホ📱を置いてみた。
メチャクチャでっかい岩だとお分かり頂けるかな。
↓遠見櫓跡

この写真だと、ただの広場に見えちゃう。
ここに遠くまで見渡せる櫓があったようだ。
↓本丸北西隅石垣

天守台の北西隅は、石垣が複雑な形状で積まれてる。
↓クルマダリア

この辺りにあった希少品種のクルマダリア。
↓本丸北西隅石垣2

すんごい積み重ねてる~
萌え。。

左上にちょこっと天守台。
↓本丸三段石垣

ぐるり
して本丸エリアのスタート地点に戻ってきた。

ボチボチ下山するか。
↓米子城跡_全景

降りてきて、三の丸跡の駐車場から振り返る。
二の丸石垣もよく見える。
↓米子城跡全景_拡大

山頂の石垣と麓の旧小原家長屋門を一枚に収めてみた。
↓湊山公園

さて、まだ時間があるがどこへ行こうか。
飯山城跡(采女丸)は遺構も無さそう。
移築門、中村一忠の墓がある南の感応寺も気になるが、ここは北上して湊山公園へ。
湊山道が通行止めだったので、少し遠回りはなるが。
↓湊山公園の池

↓清洞寺跡

池のほとりにある、こちらの供養塔たちがお目当て。
↓加藤光泰、池田由之夫妻の供養塔

左から藩主・池田由之と真ん中はその妻、右が加藤光泰の供養塔だ。これは

↓清洞寺跡_説明

まず、1610年領主となった加藤貞泰が、朝鮮で亡くなった父・光泰の供養塔を建てた。
光泰は秀吉に仕え、山崎の戦い
などで功を立て甲斐一国24万石にまで出世した武将だ。

貞泰は米子の統治わずか7年余りで、伊予大洲6万石へ移封。
↓加藤光泰、池田由之夫妻の供養塔2

そして後年、領主となった池田由成が、亡き父母の為に五輪塔を建てた。
それらの菩提寺は廃されて五輪塔だけがここに残され、清洞寺という全く別の寺となっていたが、それも維新ののち廃寺になった。
↓中海埠頭より

せっかくここまで来たからには、中海を間近で見ていくか。
晴天で湖面に青空が映り込み、映え映え
である。

↓中海埠頭より2

港⚓️がこれだけ城に近いというのは、交通・物資の搬入などの面で利便性が高かったといえる。
↓米子駅ホームにて

この後は鳥取城を目指すが、移動距離も長いので料金よりも時間を節約し、特急で。
窓口は混んでたが、駅員さんが「自動券売機でも買えますよー」と誘導し、ボタンも押してくださいました。
ありがとうこざいます
なぬっ、ICCOCAは使えない

聞いてよかった、乗車券も買わねば。
9時52分発、スーパーまつかぜに乗り込む。