天守5階からの眺望を満喫中。。
↓眺望(西南西)

他の国宝級天守に比べ、四方を思う存分見渡せるという有り難さ
。

宍道湖に突き出た台地に、松江藩主松平直政墓所・月照寺がある。
↓眺望(西)

遠くに朝日山が見える。
↓天守階段

防災施設整備工事とやらが行われていた。
↓天守台

降りてきた。
天守台は高さおよそ7m、矢田石をあまり加工せずに積まれている(野面積み)。
↓天守_西面

光の加減もあるが、黒くて武骨な印象だ。
国宝に指定されたのは平成27年と最近の事で、お城では5つ目の国宝
となった。

↓北ノ門跡

南から本丸に突入したが、北ノ門から出る。
門の左手には、乾櫓跡(乾角箭櫓とも)がある。
↓本丸石垣

北ノ門跡付近から見た、本丸の石垣。
↓天守_北面

木々の間から天守が。さらばだ
天守。

↓水の手門跡

城の搦手である、水の手門跡。
立派な石垣に囲まれた、折れ曲がりまくりの枡形虎口となっている。
↓水の手門跡2

振り返りの一枚。
ラーメンどんぶり🍜の模様のごとく(言い過ぎやろ
)クネクネと折れ曲がらされる。

↓馬洗池

水の手門を抜けると馬洗池があった。
ここで馬🐴の体を洗ったり、水を飲ませたりした。
↓水の手門跡3

もう一度振り返る。
右手の石垣の上からも、門を通過しようとする間中、銃弾・弓矢の雨あられ
。


↓水の手門跡4

少し出た所から。
一部復元だが、門を守る石垣としては厳重過ぎるほどの高さ
。

実はここは17世紀半ばには一直線の門だった。18世紀には食違い虎口の絵図が残っているから、江戸時代に大幅に作り替えたようだ。
↓天守と隅欠き

今度こそ最後の天守か。

石垣が二段構成になっているが、一段目の上が腰曲輪跡。
手前の石垣は、上も下も大きく隅を欠いている。鬼門除けのためだろう。
↓二ノ丸下の段石垣

その1.で南側から見た二ノ丸下の段石垣を、北側より。
↓つつじ

↓つつじ2

↓脇虎口ノ門跡_枡形

脇虎口ノ門跡より退城する。ここも折れ曲がりの構造である。
↓北惣門橋

脇虎口ノ門を抜けると、堀に架かる北惣門橋がある。真新しい綺麗な橋ですね。
↓宇賀橋方面_北惣門橋より

これからあっちに見える橋へ行く。
↓内堀_東

反対側を見ると、内堀の突き当たりには堀川遊覧船のりばが見える。
↓松江歴史館

松江歴史館は本館と長屋、長屋門で構成され、日本庭園や茶室なども備える。観覧するには天守との共通券がお得だ。
↓北惣門橋_城外より

振り返りの一枚。
明治時代には石造りのアーチ橋に造り変えられていたが、平成6年、絵図などを参考に現在の木橋に。
↓宇賀橋

今度は北田川に架かる宇賀橋を渡って、堀の北側へ。
↓内堀_北東_宇賀橋より

この辺の堀の幅は広いな。
↓北堀橋_宇賀橋より

北田川上流の方を見た。北堀橋が見える。
↓宇賀橋と天守

堀川遊覧船から天守が拝めるスポットの近く。なるほど、アタマだけだけど見えますね~

↓塩見縄手

堀に沿って北西へ。武家屋敷エリアに突入。
↓武家屋敷

↓変な形の木

なんじゃ、こりゃ
この木、どーなってんのー


↓木のトンネル

痛っ!
アタマ打ちそう。打ってへんけど。。

↓堀川遊覧船と堀北

ちょうど堀川遊覧船が通った。ていうか、割と頻繁に通る。
↓小泉八雲胸像

「雪女」「耳なし芳一」「ろくろ首」などで知られる小泉八雲は、39歳のとき松江に英語教師として赴任、1年3か月を松江で暮らした。
てか、恥ずかしながら外人さん(イギリス人)やって知らんかった。恥ずかし~。。
↓内堀_北西

あちらに見える橋は、新橋。
↓小泉八雲旧居

日本人と結婚し
日本をこよなく愛した文豪・小泉八雲の旧居が、ほぼ当時のまま残されている。入ってへんけど。

バス停・小泉八雲記念館前でバス
を待ち、11時台には松江駅へ戻った。
