松江城!!!~その4. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

天守5階からの眺望を満喫中。。

↓眺望(西南西)
眺望(西南西)
他の国宝級天守に比べ、四方を思う存分見渡せるという有り難さおねがい

宍道湖に突き出た台地に、松江藩主松平直政墓所・月照寺がある。

↓眺望(西)
眺望(西)
遠くに朝日山が見える。

↓天守階段
天守階段
防災施設整備工事とやらが行われていた。

↓天守台
天守台
降りてきた。
天守台は高さおよそ7m、矢田石をあまり加工せずに積まれている(野面積み)。

↓天守_西面
天守_西面
光の加減もあるが、黒くて武骨な印象だ。

国宝に指定されたのは平成27年と最近の事で、お城では5つ目の国宝キラキラとなった。

↓北ノ門跡
北ノ門跡
南から本丸に突入したが、北ノ門から出る。
門の左手には、乾櫓跡(乾角箭櫓とも)がある。

↓本丸石垣
北ノ門跡石垣
北ノ門跡付近から見た、本丸の石垣。

↓天守_北面
天守_北面
木々の間から天守が。さらばだビックリマーク天守。

↓水の手門跡
水の手門跡
城の搦手である、水の手門跡
立派な石垣に囲まれた、折れ曲がりまくりの枡形虎口となっている。

↓水の手門跡2
水の手門跡2
振り返りの一枚。
ラーメンどんぶり🍜の模様のごとく(言い過ぎやろビックリマーク)クネクネと折れ曲がらされる。

↓馬洗池
馬洗池
水の手門を抜けると馬洗池があった。
ここで馬🐴の体を洗ったり、水を飲ませたりした。

↓水の手門跡3
水の手門跡3
もう一度振り返る。
右手の石垣の上からも、門を通過しようとする間中、銃弾・弓矢の雨あられ銃いて座

↓水の手門跡4
水の手門跡4
少し出た所から。
一部復元だが、門を守る石垣としては厳重過ぎるほどの高さびっくり

実はここは17世紀半ばには一直線の門だった。18世紀には食違い虎口の絵図が残っているから、江戸時代に大幅に作り替えたようだ。

↓天守と隅欠き
天守と隅欠き
今度こそ最後の天守か。バイバイ

石垣が二段構成になっているが、一段目の上が腰曲輪跡


手前の石垣は、上も下も大きく隅を欠いている。鬼門除け節分のためだろう。


↓二ノ丸下の段石垣
三ノ丸下の段石垣
その1.で南側から見た二ノ丸下の段石垣を、北側より。

↓つつじ
つつじ

↓つつじ2
つつじ2

↓脇虎口ノ門跡_枡形
脇虎口ノ門跡_枡形

脇虎口ノ門跡より退城する。ここも折れ曲がりの構造である。


↓北惣門橋
北惣門橋

脇虎口ノ門を抜けると、堀に架かる北惣門橋がある。真新しい綺麗な橋ですね。


橋の先には、松江歴史館。元は家老屋敷があった場所にある。

↓宇賀橋方面_北惣門橋より
宇賀橋方面_北惣門橋より
これからあっちに見える橋へ行く。

↓内堀_東
内堀_東
反対側を見ると、内堀の突き当たりには堀川遊覧船のりばが見える。

↓松江歴史館
松江歴史館
松江歴史館は本館と長屋、長屋門で構成され、日本庭園や茶室なども備える。観覧するには天守との共通券がお得だ。

↓北惣門橋_城外より
北惣門橋_城外より
振り返りの一枚。
明治時代には石造りのアーチ橋に造り変えられていたが、平成6年、絵図などを参考に現在の木橋に。

↓宇賀橋
宇賀橋
今度は北田川に架かる宇賀橋を渡って、堀の北側へ。

↓内堀_北東_宇賀橋より
内堀_北東_宇賀橋より
この辺の堀の幅は広いな。

↓北堀橋_宇賀橋より
北堀橋_宇賀橋より
北田川上流の方を見た。北堀橋が見える。

↓宇賀橋と天守
宇賀橋と天守
堀川遊覧船から天守が拝めるスポットの近く。なるほど、アタマだけだけど見えますね~照れ

↓塩見縄手
塩見縄手
堀に沿って北西へ。武家屋敷エリアに突入

↓武家屋敷
武家屋敷

↓変な形の木
変な形の木
なんじゃ、こりゃはてなマークこの木、どーなってんのーはてなマーク

↓木のトンネル
木のトンネル
痛っ!ショックアタマ打ちそう。打ってへんけど。。

↓堀川遊覧船と堀北
堀川遊覧船
ちょうど堀川遊覧船が通った。ていうか、割と頻繁に通る。

↓小泉八雲胸像
小泉八雲胸像
「雪女」「耳なし芳一」「ろくろ首」などで知られる小泉八雲は、39歳のとき松江に英語教師として赴任、1年3か月を松江で暮らした。

てか、恥ずかしながら外人さん(イギリス人)やって知らんかった。恥ずかし~。。

↓内堀_北西
内堀_北西
あちらに見える橋は、新橋。

↓小泉八雲旧居
小泉八雲旧居
日本人と結婚しウエディングケーキ日本をこよなく愛した文豪・小泉八雲の旧居が、ほぼ当時のまま残されている。入ってへんけど。


バス停・小泉八雲記念館前でバスバスを待ち、11時台には松江駅へ戻った。



おわり。。。