~鹿背山城 年表~
- 1188年頃(文治4)木津英清により築城説もあり
- (応仁・文明年間)応仁の乱で東西両軍の争奪戦
が繰り広げられ、1470年(文明2)畠山義就に攻められ落城
- 1479年(文明11)興福寺の僧侶が入城
- 1485年(文明17)木津執行に代わり、古市氏(いずれも興福寺衆徒)が入城
- 1559年(永禄2)松永弾正久秀
、大和国に侵入
- 1562年(永禄5)久秀、相良郡に徳政令を出す(それまでに城を獲得したよう)
- 久秀、城を大改修し現在に残る防御施設を造り上げる
- 廃城時期=不明だが、久秀は筒井順慶との抗争で次第に劣勢となり、放棄→廃城の流れか
↓主郭_櫓台

主郭の南東隅にある高まり。発掘調査により櫓台だった事が判明している。
↓櫓台

近づき過ぎると、高くなっているのがわかりづらい。ヘタクソ

↓櫓台から見下ろす

南東下。かなり落差がある。
↓主郭北西土塁

主郭の北西側にも、高い土塁がある。
↓北西土塁から見下ろす

↓曲輪1_2

主郭から降りてきた。
札に近づき過ぎる余り、曲輪そのものがよくわからないという、典型的な失敗例
である。

↓主郭_南東切岸

高い。
この上が、先ほど立った櫓台だろう。

↓主郭_東堀切

主郭と2郭との間を遮断する堀切。
うーん、良いV字。

↓主郭_東竪堀

その堀切は、竪堀となって北へ落ちていく。
↓曲輪2_7

曲輪2のピークを目指して、どんどん東へ。
↓曲輪2_6

↓曲輪2虎口

↓曲輪2

ここが曲輪2。主郭よりは狭い。
↓曲輪2から東を見下ろす

↓曲輪2_5
