摂津・高山城!!!~その2. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

高山城のある山に登る前に、マリアの墓なるものを見に行こう。

↓棚田
段々畑

北側の斜面を見ると、棚田がつくられている。

日本の古里の原風景やね。。


↓マリアの墓へ
マリアの墓へ
府道4号線を10分も北上すると、こちらの案内表示に辿り着く。ここから少し丘を登る。

↓マリアの墓の木
マリアの墓の木
3分ほども坂道をあがると、急に神聖な雰囲気乙女のトキメキが漂ってきた。

↓マリアの墓
マリアの墓

↓高山マリアの墓_説明
高山マリアの墓_説明
高山マリアとは、高山右近の母を指す。しかし、墓碑には江戸時代の年号が刻まれている。

どうやら隠れ切支丹だった2組の夫婦の墓、と考えられている。

↓3基の墓
3基の墓
アーメン十字架

↓1基だけ離れている
1基だけ離れている

↓1基_拡大
1基_拡大
もしかすると、大きな木そのものが高山マリアの墓碑という事はないだろうかはてなマーク

後世の信者がその側に眠りたい、と考えるのは自然な願いなので。

↓高山城跡_登り口
高山城跡_登り口
西方寺の方まで引き返し、高山城を目指す。

ここでトラブル。登り口が分からず、一つ手前の山に登ってしまった。GPS地球を見ながら、そのまま西へ最短距離で修正しようとしたのが大間違いwww。

無理やり降りた場所は瓦礫の山ゲッソリ、表通りからは工事中🚧で立入禁止エリア。向こうの方からは現場作業者の声も聞こえてくる。

ケガをしないよう慎重に瓦礫の山を乗り越え、手前の山を登り直して再び元の位置に下山するハメに滝汗。結局西方寺のある道をもう少し進めばよかっただけなのに。

この日は余野本城でも山中を彷徨い、どうもうまくいかない。おかげで相当体力がヤバくなってしまったゲロー

↓登城道
登城道
最初から間違わなければ、比高30mしかないのであっという間に登れたのに。あ~あ、疲れた😩

↓主郭が見えてきた
主郭が見えてきた
高山城は単郭でシンプルな構造。
築城時期、城主不明。高山飛騨守や高山右近に関連する城と思われている。

↓主郭虎口
主郭虎口
主郭へ入るすぐ手前のみ、落差がある。これは今立っている場所が堀切だった名残りだろうかはてなマーク

↓高山城跡碑
高山城跡碑
高山城跡碑と案内板が建つ。
ここのみ木々が取り払われ、眺望が利く。

↓高山城跡_説明
高山城跡_説明

↓堀切
堀切
主郭手前の堀切?竪堀?自然地形と言われれば信じてしまうレベル。

↓高山城跡からの眺望
高山城跡からの眺望
山間部に拓けた高山地区。南東の方角。

↓高山城跡からの眺望2
高山城跡からの眺望2
棚田が見えるんで北東の方角か。

↓主郭
主郭
特にこれといって目を引く遺構は無い。
郭外周にうっすら土塁?のようにも見える。

↓土塁
土塁
この高まりは土塁なのか、あるいは櫓台だったとか。うーむ。。ようわからん城やな、ホンマにここ城あったんはてなマーク懸命に整備されてるけど・・・

この山は「ジョウ山」と呼ばれてきたらしいけど、もしかして根拠はそれだけでは!?

↓高山バス停時刻表
高山バス停時刻表
さて、帰るかな・・・て1日3本かいビックリマーク

15時12分まで少し時間あるけど、持て余す。高山向山城に登るには時間が足りず、体力も無い。

↓川尻バス停時刻表
川尻バス停時刻表
川尻いうバス停ですぐに降り、池田駅行きを待つ。ここまで来たら本数はある。
15時39分に乗ります。。


おわり。。。