知り合いが「希望ヶ丘」という所に引っ越すというので、いったいどこなん
と地図で見ていると、近くに城跡あるやん
ってなって。


話題作りも兼ねて、ビュッと行ってきました

↓余野城_遠望

年は明けて2024年2月、この日は寒さが和らいだ。山城攻略にはうってつけであーる。
阪急池田駅からバスに乗り込み、余野で下車。
↓余野城跡入口

余野城跡と余野本城跡が向かい合ってる感じだが、まずは西の余野城跡へ向かう。
かつては幣ノ木(シデノキ)城と呼ばれた。
↓来た道を見返す

ここは淀之水学院の城山キャンパスに至る道だが、ご覧のように急坂となっている。
↓淀之水学院城山キャンパス

道の行き着く先は学校の敷地内、校門で行き止まりである。学校の敷地が概ね余野城本丸との事だ。
今知ったんだが、ここよりもう一本右の道、遊仙寺参道に余野城説明板などがあったようだ。
しまった。。
↓余野城跡

余野は高山右近夫人ジュスタの出身地である。
余野城は能勢氏の一族・余野山城守頼幸によって築かれた。余野高綱は右近と親交があったが、のち対立。1584年、右近の攻撃
を受け落城。余野国綱は自刃した。

↓余野本城_遠望

バス停付近に戻り、今度は余野本城を目指す。
↓余野本城への道

えーと、ここを入っていくんかねぇ

↓間違えた道

程なく道は二手に分岐していたが、迷わず左手の道を進む。これが間違いの元だったとは。
↓材木運搬用水路跡か

おお、これは横堀か
でもGPSで位置確認
すると城跡からどんどん離れていってる・・・よし、ここは堀に沿って登ってから「突っ切り山」で目的地を目指すぜ



これが本当の不味い決断だった。引き返せばいいものを。
↓林道

倒木をくぐりあるいはまたぎ、ゼエゼエ汗かきながらピークに到達
。そこから見える城跡方向の景色に愕然・・・ひとつ向こうの山やん
向こうの山との間は崖っ
草木も藪化してるし突っ切るのは到底無理っ






来た道をかなり引き返し、谷沿いの道を見つけて北へ。ようやく写真の平坦な林間に出れたのだった。
北摂津守さんとほぼ同じ失敗したと思われます↓
↓井戸跡

お、ネットで見てたこの井戸跡見つけて安堵した。ここに違いない。
余野本城も余野城とともに築かれたと言われ、余野城の方は城館だったと考えられている。余野本城は単郭のシンプルな構造。特徴から天正期に改修されたとの見方もある。
↓坂虎口跡

こっから登るんかな。
↓主郭土塁

やっと主郭に到達。城跡表示などは無い。
主郭の周辺には土塁が残る。
↓土塁2

↓見張台

主郭南寄りにある見張台のような高まり。
↓主郭から帯曲輪を見る

↓横堀?

城跡の手前にある横堀っぽいもの。
↓竪堀

坂虎口の右手にある、竪堀跡か。
↓畝状竪堀群

思ってた以上に、ザ・畝状竪堀群やな。
このアングルがよいね

↓畝状竪堀群2

さらに奥の土塁上より。
↓畝状竪堀群3

下まで降りた。
変な道から来たんで帰りの正規のルートがわからん。比較的なだらかな斜面から無理やり下山したら私有地みたいな所に出た。そこから出るには張られた立入禁止?のロープを越えねばならん。入る時ならためらわれるが、出ないとあかんから不可抗力よな。
疲れてしまって城跡探索が淡泊ですね。。

余力があればと考えてた水牢城もとてもじゃないけど無理。
この後はバスで高山地区へ向かいます。