妙見さんでのお参りを済ませて山城攻めです。
大阪府豊能町豊能郡余野
摂津・余野本城(よのほんじょう)別名:余野古城、余野山城、水牢城
余野本城の築城年代は、おそらくは平安末期に能勢氏一族の余野氏によって築かれた城だと思われる。その後、「応仁の乱」の際に陣没して廃城となったと伝えられ、明応2年(1493)に余野山城守頼幸が復帰し余野城を築いたと云う。そして天正年間の高山氏との対立で全て焼亡したと云う。
城は摂津国池田から丹波国亀山へ抜ける摂丹街道(現国道423号)を見下ろす比高60mの山上に築かれて、GoogleMapにも表示され比較的わかりやすいんですが、案内板の類は一切ないとのこと。摂津国にありながら今まで攻めなかった理由として、この辺に本陣を構える場所が見つけられられなかったんすよ。駄菓子菓子!余野自治会館に本陣を敷けるという情報を得まして、そこを本陣に城攻めしよう思ってたら、会館は無人くんでおまして、どうしようかと思案した結果、勝手に鉄馬車置いて本陣敷かせていただきました ありがとござまいた
その自治会館正面が余野本城の後に築かれた余野城跡。現在は淀之水学園城山キャンパスとなって城跡を偲ぶことは困難である。ただここは数年前にちょっと上まで行って案内板見て攻略済です。 ちなみに 高山右近の妻である高山ジュスタはこの余野城で生まれた。
余野本城を目指すべく本陣から西へ進軍し、事前情報を仕入れた登城地点である資材置場を目指すべく、国道423切畑口の信号を渡ってすぐの筋を右折する。実はその前にここを通り越して200mほど進んでしまい、また引き返してきてここを見つけた次第。その前にも国道北へ進んで引き返すし、城攻め前の無駄な数百mで元々少ない脚力をだいぶ消耗してしもた
そして! この先で道が二股に分かれてますが、左に進んでしまった・・・
それが地獄の始まりなのであった😱
左折した道は舗装されており快適に進軍する。
目標地点である資材置場がなかったが舗装道から土道になりと、突如竪堀現れ、堀底を上へ進む。
堀底道を左折すると、うほっ 一直線の竪堀道。
その反対側に屈折する竪堀がぁ あっさり城域に達したと狂喜乱舞
Mapで確認すると城跡表示とぜんぜん違うとこなんすけど? 城域めっさ広域なん?
先に土橋らしきモノが。
横堀に架かる土橋がある。
土橋から見る屈折する横堀にうっひょ~
逆側も屈折する横堀。
土橋を見返す。
土橋の先。左に竪堀が落ちてますが、この切岸上は郭に違いないと直登しました。
未整備の城跡とは聞いてたが、やっぱぐるじ~
てっぺんに着いた。削平されてるのか?
郭かこれ? いや、きっと出丸に違いない。
反対側へ下りて行く。
横堀が通ってる。しかしここは何や? わしは横堀地獄に迷い込んだのかビクビク
クネクネやし
あ~マジでわからんわからんわからんらん ここはどこや~!?
いつまで曲がっとんねん!
Mapで確認すると余野本城の標示がどんどん離れて行く こりゃやってしもたな
ヤバいヤバいヤバい \(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ
そして!?
この鉄塔が目に入って両膝をついて愕然とする
GoogleMapに城跡と離れた場所に鉄塔が写っとるんですよ ぜんぜん城とちゃうとこ彷徨ってたわし気付くの遅い!
とりあえず堀底を歩いて引き返す。
マジでこのクネクネ横堀はなんなんじゃ
元来た場所に戻らず、ただひたすらMapの城跡表示めがけて山中を歩く歩く彷徨う彷徨う倒木を跨ぐ藪漕ぎする斜面を滑り下りる這いつくばって登るズリ下りるつんのめる蜘蛛の糸に引っかかり歩く歩く
やがて樹々の隙間から見えた登城口の起点となる資材置場らしき場所。
あれがあそこにあるという事は、わしは逆側の山に入り込んどったことになる
激斜面を下りて行く。
下りて沢を渡ると道があった。 この先に資材置場。本来はこの左側に余野本城跡がある。あほなわしは右の横堀地獄の山から下りてきた
右下のR423を横断して川を渡って右折しての二股を右に進むべくを左に進んだのが大間違い。そら城跡から離れて行きますわな。あほや。
仕切り直しや!
つづく