毛利氏の麾下として活躍し、織田信長さまに追放された足利義昭が鞆に入ると義昭の警固と接待役を務めた嵯峨源氏の流れを汲む渡辺氏の居城 一乗山城。

 

後半戦参ります。

 

 

お休み処曲輪(Ⅱ郭)から北東の犬走りを歩いて行きます。

 

犬走りの本丸東面切岸下辺り。大石垣はこの辺りのはずですが・・・

 

転落石が散乱してる。

 

その切岸には石があるのは分かるが、大石垣だけに斜面を覆いつくす石垣を想像してたのじゃ! これは大石垣が大崩落したのかぁおーっ!   それに草で隠れて石垣が見えん状態になってる感じ。

 

夏に攻城したわしに七面明神ちゃんが報いてくれなかったようであるぼけー

 

石材の大きさと量からしてそこそこの規模での石垣が斜面を覆っているような感じもする。いや、感じ入る前に草刈したら大石垣が露わになるかもしれんな。なんやったらわしが草刈してやりたいが、暑くて死んでしまいそうなのでやめときます。どうせ鎌ないしぶー 初めからそんな気ないし

 

この先に竪堀が落ちてるがご覧の様な状態なので未確認。同じくその先の横矢掛け土塁も未確認。

 

お休み処曲輪から本丸へ。ご覧の様な形状なので横矢が入ります。

 

本丸虎口もお休み処曲輪(Ⅱ郭)同様に桝形虎口状から左に折れて本丸下段に平段を配しての虎口形状になっているもよう。ただ、この部分は土が流失した可能性あり。

 

この平段は本丸より突出してるので、虎口に侵攻してくる攻め手に対して横矢をぶっ放す役割があると推測。

 

平段から本丸へ。土塁通路に階段を付けたか、中央のへこんでる部分が通路であったのであろうかというわし説。

 

本丸。奥の大土塁は櫓台。

 

まずは本丸からお休み処曲輪を見下ろす。

 

本丸ほぼ中央に本丸碑。その後方の櫓台に・・・

 

ヒジョーに良きモノが見えております音譜

 

櫓台下部に4、5段に積まれた石垣。ちょっと谷積み感ありやけど・・・えー?

 

櫓台の基礎部だけに石垣を積んだのかはてなマーク

 

鈍角になってる部分。

 

櫓台の入口があったかと推測できる石垣の開口部。

 

開口部の右隅。

 

開口部の左隅。

 

櫓台の西側斜面は石垣が崩落したのかご覧の様な状態。

 

櫓台前に崩落した石が集められたようですが草モウモウ。この石材が櫓台にへばり付いていたとすると、櫓台はもっと石垣に覆われてたものと想像。

 

この石垣の状態も上部が崩れたのか積み直したのか不思議な感じやね。

 

櫓台の上。

 

櫓台から見る本丸。

 

この櫓台の後方に五重堀切がぶち込まれてるんですが、こりゃちょっと突入する気になれんなあせる  諦めましたぼけー  

ちなみに 後から知り得た情報では、Ⅱ郭(お休み処曲輪)の西(本丸西腰曲輪)方面から侵攻し、防獣柵を突破すれば行けるようです。どちらにせよ冬場の方がよろしそうですが。

 

落城 !  退却 !

 

 

土橋を反対から撮った画が漏れていたので、載せておきます。こちら側にいる守備兵目線で敵が攻め寄せて来る様子を想像してお楽しみくださいにやり

 

登城の際は途中から出てきましたが、帰りは七面大明神ちゃんのどえりゃ石段参道から下山してみます。

 

登城時は途中の看板のとこへ出てきた。

 

なげぇ~ビックリマーク なんぼほど下りなあかんねんビックリマーク  足が限界突破しそうなので、途中で休憩がてら振り返って撮る。

 

下りれた。

 

神さんは高いとこ好きやのう昇天

 

 

全体的に小さく纏まり竪堀や堀切を多用して防御力を固めている印象。ただ如何せん攻めた季節が悪かった。畝状竪堀、大石垣、多重堀切は藪の中。暑さも相まってもうヘロヘロ状態でおましたので、藪漕ぎする気力がおまへんでしたえーん   

 

渡辺氏は関ケ原の戦いで毛利氏と共に西軍として参戦するも敗北し一乗山城を退去し没落していくこととなる。その後、福山城主水野勝成に仕え、それなりの家格を保っていたが、水野家改易後にまた没落したと云う。ザンネ~ン!

 

image

ヤマップデータ発動してねえ!

 

起動さすの忘れとったぁ! ムネ~ンあせる

 

 

 

あばよ!