烏帽子形城!!!~その2. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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↓案内標識
案内標識
わんぱく広場から来て、堀内障壁の方へ進む。

↓横堀
横堀
気付けば横堀の底を進んでいた。右手には土塁がある。

↓烏帽子形城の構造
烏帽子形城の構造
横堀は曲輪(主郭含む)の三方を囲んでおり、今いるのは曲輪の南側の横堀。

発掘調査では、横堀の曲がり角に堀内障壁が見つかった。土塁の高さが10m、障壁の深さがさらに2mあったという。

↓横堀2
横堀2
現状は土が堆積しており、土塁がせいぜい2~3m、堀内障壁は無い。

↓土橋に到達
土橋に到達
曲輪の東まで来た。曲輪の入口である、土橋に突き当たった。左手が曲輪。

↓眼下の土塁B
眼下の土塁B
横堀から階段を上がり、曲輪じゃない方へ出た。ここで東方向への視界が一気に拓け、思わず、おおビックリマークと声が出た。

遺構が下の方まで続いており、どちらを見渡しても遺構、まさに遺構が大渋滞しているびっくり

↓土塁B_拡大
土塁B_拡大
東下の土塁がこんもり。南の方へ伸びている。

↓土橋付近から見る土塁A
土橋付近から見る土塁A
土橋より北側を見る。
今いる場所も土塁の上で北へと続き、見張台のような場所まで到達する。

左が曲輪で、その間に横堀がある。

↓木の根っこ
木の根っこ
足元も見逃すなかれ。
関西万博の公式キャラクター・ミャクミャクちゃうん!?

↓曲輪西の切岸
曲輪西の切岸
少し土塁を北に進んだ所から振り返る。

さっきいたとこ、スンゴい傾斜やんビックリマーク削ってますね、こりゃ。。

写真右上に、土橋が見切れている。

↓切岸の下は横堀、土塁
切岸の下は横堀、土塁
カメラカメラを左下へ回すと、切岸の下は横堀、土塁が連続。壮観だなぁニヤリ

↓見張台
見張台
土塁を少し降りた所から、見張り台を見上げる。ここへ向けて弓矢🏹が今にも飛んで来そうだ。

↓見張台の下は堀切
見張台の下は堀切
カメラを右へずらすと、見張り台の下は堀切状になっている。

↓堀切
堀切
見張り台に登り、その堀切を見下ろす。なかなかの高低差がある。

木の階段がついており、下へ降りられる。堀切の奥の高台へも登れるようだ、登ってみよう。

↓見張り台東の曲輪
見張り台東の曲輪
登ってみた。ここも削平してますね。曲輪のひとつだったのかなはてなマーク

↓横堀と土橋を見返す
横堀と土橋を見返す
再び土橋の北まで戻ってきた。横堀の底へも降りてみよう。

曲輪(主郭)は右手。ハンパ無い高さがある。

↓曲輪B
曲輪B
土橋を渡り、曲輪Bに上がる。まあまあ広い。

↓主郭へ
主郭へ
いよいよ曲輪A(主郭)へ。

↓主郭
主郭
主郭は、南北にやや長い。

↓主郭の様子
主郭の様子
何か、いろいろ説明書きがあるようだ。
見てみよう。

↓烏帽子形城復元予想図
烏帽子形城復元予想図
復元予想図なんで、凹凸が激しい。

↓烏帽子形城_説明
烏帽子形城_説明
楠木正成が築城と伝わり、最後はキリシタン大名の甲斐庄正治、正房が城主、というのが新たな情報。

↓礎石建物跡_説明
礎石建物跡_説明
1988年の調査で礎石や瓦が見つかった。瓦葺きの建物が2棟あったようだ。

↓礎石建物跡A
礎石建物跡A
発掘されたものを台上に再現したもの。城主の館だったのだろうかはてなマーク

↓主郭は眺望が利く
主郭は眺望が利く
北側は木々か取り払われ、眺望が楽しめる。

↓眺望案内
眺望案内
眼下に高野街道、かつては龍泉寺城(嶽山城)、金胎寺城、高安山城、高屋城、若江城など、河内平野を一望できた。


つづく。。。