桑折西山城!!!~前編 | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

近年、千田嘉博先生らの尽力により、TVでも取り上げられたりで知名度を上げた、桑折西山(こおりにしやま)城

福島駅9:34発の白石行き各駅停車電車で、桑折駅には9:47着。徒歩走る人で向かう。

↓桑折駅周辺マップ
桑折駅周辺マップ
駅にあった散策マップ。桑折西山城は小さく描かれているのみ。

↓桑折西山城跡へ
桑折西山城跡へ
随所に案内表示があるので、迷わず登城口へ向かえるニヤリ

↓中館西館_遠望
高館山_遠望
もう見えてますね。

これは、城跡のうち、中館・西館のある山か、あるいはひとつ南隣の山か。

↓桑折西山城跡_遠望
桑折西山城跡_遠望
カメラを右に回すと、こっちが本丸のある高舘山やな。
標高は193m(比高80m)。

↓東北自動車道高架下
東北自動車道高架下
線路沿いを南下してから、高架下をくぐってきた。登城口まで徒歩15分位かかった。

↓桑折西山城跡登城口
桑折西山城跡登城口
いよいよ登城開始♪
血湧き肉踊る瞬間爆笑。。

↓桑折西山城_説明
桑折西山城_説明

1189年(文治5)頃、常陸入道念西(伊達氏初代・朝宗か)が居を構えたともいう。

1532年(天文元)頃、伊達氏14代稙宗(たねむね)が築城。嫡男の晴宗が米沢に移るまでの約16年間、本城として機能した。

平成2年に国史跡指定。

↓桑折西山城_縄張
桑折西山城_縄張
連郭式の平山城で、広大な面積を持つ。

城跡は大きく分けて本丸・二ノ丸部分と中館・西館部分から成る。

↓防獣フェンス
防獣フェンス
あれ?行き止まりか?と思わせないよう、ちゃんと入口と明記されている。
初心者にも優しい気配りチュー

↓桑折西山城登城路
桑折西山城登城路
登城路はこんな感じ。

↓大手門跡
大手門跡
あっという間に大手門跡に着いた。ここは二ノ丸と砲台場とに挟まれた窪地にあたる。

道は三手に分かれ、そのまま進むと本丸・二ノ丸の中間地点へ、左へ行くと中館・西館へ、右はすぐ砲台場。

城の根幹部分である事が窺える。

↓砲台場跡方向へ
砲台場跡方向へ
まずは右手に見える高台、砲台場に挙がってみよう。

↓大手門土塁跡
大手門土塁跡
振り返ると、大手門は土塁に守られた虎口である事がわかる。
また、中館・西館へ向かう道も見えている。

↓砲台場跡
砲台場跡
砲台場の上。削平されている。

↓砲台場_説明
砲台場_説明
砲台場というのは、幕末の戊辰戦争ナイフの時に、仙台藩がここに砲台を設置した事から命名されている。

↓砲台の土台土塁
砲台の土台土塁
この郭の最南端に、実際に砲台が置かれた土塁がある。けど、草木が伸びていて写真では分かりづらいショボーン

↓砲台場周辺土塁
砲台場周辺土塁
土台以外にも、郭の南端の周りは土塁で固められている。土塁も含めて幕末の遺構らしーな。

↓本丸方向
本丸方向
砲台場をそのまま北東へ進む。
左手に見ゆるは、本丸跡か。意外と遠い。

この城の規模のデカさを感じた瞬間である。

↓砲台場からの眺望
砲台場からの眺望
反対側を見ると視界が開けてきた。
まずまず絶景キラキラ

桑折町・伊達市を見下ろせる、絶好の立地やんビックリマーク
東北自動車道、JR東北線も見えた。

↓本丸から砲台場を見る
本丸から砲台場を見る
やや草が伸びて歩きにくい箇所もあったが、問題なく本丸へ到達。

いま歩いてきた方向を振り返る。
砲台場の最北端があれ。

なるほど、奥州街道めがけて大砲爆弾をぶっ放せる適地やったのね。

↓本丸跡
本丸跡
本丸北東方向。裏門跡(搦手口)がある。
説明板もあるようだが、あそこまで行く手間を惜しんでしまったてへぺろ

七曲り道に通じており、四本柱のシンプルな冠木門で、門の左右にも柵を設け、門の内側には目隠し塀を設けた。

↓本丸跡_眺望
本丸跡_眺望
眺望は本丸の方が利くが、先ほども見たので。

↓安達太良山
安達太良山
背丈があるので、アブラナ科のカラシナか。

花の向こうに、頂部が白い山々が見える。安達太良山との事だ。

↓安達太良山拡大
安達太良山拡大
都会の喧騒を離れ、脳が活性化したおねがい瞬間。。

↓本丸_説明
本丸_説明
本丸の中心部に来た。

本丸には政治の中心部である中心建物、表門、裏門以外の遺構は見つかっておらず、至ってシンプルな構造だ。

↓中心建物跡
中心建物跡
伊達家中興の雄・伊達稙宗は、周辺諸国を従えると、分国を統治するため塵芥集(じんかいしゅう)」メモを制定した事が知られている。

天文5年だから、この建物内で作ったものだ。



つづく。。。